小学生バドミントンレッスンの際に、高校生にアドバイスした言葉。
「子ども達に教えようとしてはいけない。」
教えないってどういうこと?
ではどう接すればいいの?
などとアドバイスを受けた高校生達は戸惑ったらしいし、「教えない」という言葉が一人歩きした感がある。
バドミントンを少しでも上手くなりたい、そこまで要求していないとして、少なくとも今より打てるようになりたい、等それぞれに思いを抱えて体育館に集まってくる小中学生達。
なかには体動かしたい、みんなと遊びたいと言う気持ちの子ももちろんいる。コロナ禍、体を動かしたり友達と遊ぶ機会が制限される今だからこそ、後者が大半かもしれない。
でも、ただ単に遊ぶために集まっている子達だとしても、どんな子も「できるようになれば嬉しい」し、チャレンジしている瞬間は楽しい。
だから子ども達に対面する時間、全く「教えない」のではなく、チャレンジ要素が入るようにそれなりにリードする。
どのようにリードするかというと、今目の前にいる子達の状況を見てその場で考える。
今日は誰来る?
スタッフは誰がいる?
コート何面ある?
天気は?
気分は?
それらを含めて、チャレンジのステージは?
そんな状況で練習メニューが変わる。
だから最初から教えようとしない。
最初に、いや体育館行く前に、例えば前日とかに、「今日はこの練習しよう!」と意気込んで行った時は教える自分が主役で、子どもを見ることを忘れがちになりたいてい失敗していた。
練習メニューを綿密に組み立て、資料作って準備万端と言うときほど、空気はしらけていた。
だから「教えない」という言葉の意味は、教えようとして自分が主役にならないってこと。
先日野田市のオープンサタデークラブがあった。
川間小会場のバドミントン講座の申込みが多く、コロナ禍全員集合しての練習は難しかったので、学年で日程を分けていた。
今年度最終回の先日は会場を野田市民公園体育館に移し、全員で練習することにしていた。
いつもと会場が違い、送迎の負荷がかかるこの会場に、さて何人集まるのだろうか?
集合時間にはお手伝いスタッフ高校生が既に集まり、なぜか皆嬉々としている。
開始時刻間際に小学生が集まり始めた。
そして整列して顔ぶれを眺める。
半分は低学年生。さて今日は何やろうかとここで考える。
まず体操、なわとび、シャトル遊びやってもらっている間にメニューを考える。
参加者のレベル、学年構成眺めながら、一応事前にイメージしていた練習メニューでいけるかどうかなぞっていると。
なんか予想と違うぞ。
高校生、なんか今日皆、遊ぶ気満々で来ていない?
子ども達もスタッフも遊ぶ気満々がシンクロしているから、今日はあまり余計な手出しをしないことにした。
すると、ずっと一人の子に付きっきりで打っていた高校生が、「この子全く(羽に)当たらなくて、うーんって顔になっちゃうんです」とヘルプしてきた。
来ました!そうです。このタイミングこそ、「教える」ときです。
こうやって打つと当たるよ、遠くへ飛ぶよとラケットを一緒に持って実際に2球打つと、3球目からスコーンと打ち、4球目はスパーンと打ち切り、「できたー」とピョンピョンしていた。
高校生、「教える」って意味伝わったかな?
返り間際に先の小学生が、「当たるようになったねってママに褒められちゃった」と報告に来た。
よかったね。
こうやって楽しんで20年間やって来た自分にとってのサタデークラブは、これが最終回でした。
また機会があれば、どこかで同じようにやってみたいな。
「子ども達に教えようとしてはいけない。」
教えないってどういうこと?
ではどう接すればいいの?
などとアドバイスを受けた高校生達は戸惑ったらしいし、「教えない」という言葉が一人歩きした感がある。
バドミントンを少しでも上手くなりたい、そこまで要求していないとして、少なくとも今より打てるようになりたい、等それぞれに思いを抱えて体育館に集まってくる小中学生達。
なかには体動かしたい、みんなと遊びたいと言う気持ちの子ももちろんいる。コロナ禍、体を動かしたり友達と遊ぶ機会が制限される今だからこそ、後者が大半かもしれない。
でも、ただ単に遊ぶために集まっている子達だとしても、どんな子も「できるようになれば嬉しい」し、チャレンジしている瞬間は楽しい。
だから子ども達に対面する時間、全く「教えない」のではなく、チャレンジ要素が入るようにそれなりにリードする。
どのようにリードするかというと、今目の前にいる子達の状況を見てその場で考える。
今日は誰来る?
スタッフは誰がいる?
コート何面ある?
天気は?
気分は?
それらを含めて、チャレンジのステージは?
そんな状況で練習メニューが変わる。
だから最初から教えようとしない。
最初に、いや体育館行く前に、例えば前日とかに、「今日はこの練習しよう!」と意気込んで行った時は教える自分が主役で、子どもを見ることを忘れがちになりたいてい失敗していた。
練習メニューを綿密に組み立て、資料作って準備万端と言うときほど、空気はしらけていた。
だから「教えない」という言葉の意味は、教えようとして自分が主役にならないってこと。
先日野田市のオープンサタデークラブがあった。
川間小会場のバドミントン講座の申込みが多く、コロナ禍全員集合しての練習は難しかったので、学年で日程を分けていた。
今年度最終回の先日は会場を野田市民公園体育館に移し、全員で練習することにしていた。
いつもと会場が違い、送迎の負荷がかかるこの会場に、さて何人集まるのだろうか?
集合時間にはお手伝いスタッフ高校生が既に集まり、なぜか皆嬉々としている。
開始時刻間際に小学生が集まり始めた。
そして整列して顔ぶれを眺める。
半分は低学年生。さて今日は何やろうかとここで考える。
まず体操、なわとび、シャトル遊びやってもらっている間にメニューを考える。
参加者のレベル、学年構成眺めながら、一応事前にイメージしていた練習メニューでいけるかどうかなぞっていると。
なんか予想と違うぞ。
高校生、なんか今日皆、遊ぶ気満々で来ていない?
子ども達もスタッフも遊ぶ気満々がシンクロしているから、今日はあまり余計な手出しをしないことにした。
すると、ずっと一人の子に付きっきりで打っていた高校生が、「この子全く(羽に)当たらなくて、うーんって顔になっちゃうんです」とヘルプしてきた。
来ました!そうです。このタイミングこそ、「教える」ときです。
こうやって打つと当たるよ、遠くへ飛ぶよとラケットを一緒に持って実際に2球打つと、3球目からスコーンと打ち、4球目はスパーンと打ち切り、「できたー」とピョンピョンしていた。
高校生、「教える」って意味伝わったかな?
返り間際に先の小学生が、「当たるようになったねってママに褒められちゃった」と報告に来た。
よかったね。
こうやって楽しんで20年間やって来た自分にとってのサタデークラブは、これが最終回でした。
また機会があれば、どこかで同じようにやってみたいな。