バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

安かろう悪かろう、か

2012-04-30 09:40:38 | ライフスタイル
 高いよりは安い方がいいに決まってる。
 でもなぜこんなに安いのか,少し調べてみたらどうかと思う。
 安さを追求するために,どんな経路をたどっているのか。日本の雇用を阻害してはいないか。低賃金、就職難の悪循環の元となっていないか。更には、私たちの安心,安全をも脅かし、happy感を奪ってはいないか。
 無駄を省いての激安なのか、無理を強いてのものなのか。

 これからは安さに走るのではなく、高さの理由を吟味したうえで選択したらどうかと思う。

濃い1時間を過ごす

2012-04-29 07:49:43 | 
 絵の当番、8時間。
 受付で暇だったら本読んだり,簡単なスケッチして時間つぶそうといろいろ持っていったけど,そんな内職できる雰囲気ではなく、ただおしゃべりするか,じっと目をつぶるか,何度も絵を見て回るかして時間を潰す。ある意味,ゆったりした贅沢な1日なんだろうけど、何もしないでただ座っているなんてのは性分に合わず,楽しもうとかくつろごうとか、まったくできない。それでもどうにかこうにか1日の折り返しまでやって来て、あと3時間、あと2時間半、あと2時間。あいにくの雨。午後には上がるとの予報だったけど、夕方になっても雨足は衰えない。残り1時間という頃には、会員の先生方もさすがに時間をもてあまし、「今日は雨だからね」と客足が伸びない会場ですっかりくつろいでいた、その時。かなり目立つ風貌の老人がふらりと入ってきた。その瞬間、会員の先生方は全員起立し,一同に緊張が走る。なんでも近所にお住まいの高名な画家先生とのこと。水戸黄門様が不意に登場状態。そして作品へのアドバイスが始まった。緊張してアドバイスを受ける会員先生の輪の後ろで,それらを立ち聞きすべくついて回った。画家先生は雑談を織り交ぜながら絵について語る,語る。絵1点、1点への批評が続くけど、おっしゃることは全ての絵においてだいたい一緒。構図の捉え方、表現方法等のアドバイスが続くけど、具体的な指摘の中に一貫する主張は絵を描く「心」。さて,自分の絵の前に来ると、「ふーん、いいね。おもしろいね」で素通り。前に出て何か一言もらえる雰囲気ではなく、先生方は、「そんな絵どうでもいいから、はやく自分の絵を見て下さい」って空気が充満する。物足りないけど、ここまで回って来たら何言われるか想像つくので、あえてアドバイスいらない気もする。それより、立ち聞きしている間に次ぎの絵の構図が浮かんで,早く描きたくて描きたくてたまらなくなってきた。画家先生が繰り返す「心」に揺さぶられ、描く気満々になってきた。あー,早く帰りたい。話しを聞きながら,頭の中で構図を描き,色を置いてみた。これいい、なんて上の空になっているうちに、お開きの時間となった。
 この日長かったけど、収穫あり。



読書感想文で四苦八苦

2012-04-26 08:01:49 | バネ
 「先生,この本おもしろいよ」って生徒から借りた本。
 その数日後、どうだった?と聞かれたので、次回までに読書感想文書いておくと約束する。
 
 約束したけど、さてなんて書こうかずーっと考えている。電車に乗っている最中、草取りしている最中、タマネギ刻んでいる最中。これだけ考えても、うまいことが思いつかない。読書感想文の原稿用紙を前にして,一文字も書けない子と同じ状態。状態は同じでも,状況は違う。書くネタはたくさんある。しかし、どれを書こうかと迷っている。沸き上がるネタは、どれも大人ならではの視点。この感想文読んであの子は「へー、なるほど!そういう視点もあったのか!」とは、ならないよねー、っていう邪念が手を止めてしまう。

 読み手を意識して書く。大人が子どもを導こうとして書く。こうなると道徳の教科書みたいになってしまい、きっと読む方はつまらないだろうな,という思いも手を止める一因となっている。

 子どものための絵本の掟は、登場人物である子どもの成長物語でなければならない。大人のセンチメンタルに包まれた,ほの悲しいお話は子どもには良くない。そうだよね。悲しい映画は一度見れば十分。いくら心動いても,2回見ようとは思わないものね。
 こう考えると,大人の生活感で書いた感想文では、おもしろくないだろうなと思う。

 春風亭昇太さん曰く、創作落語を作る時,書きながら「これ、おもしれー」って話しがどんどん書けたときはいいものができて、「あーして、こーして」って考えながら書いたときは、あまり良くない。同じ,同じ,コーチ劇によるサザエさんやOBA48の脚本作っている時,考えながら可笑しくってしょうがなかった。次々アイディアが沸いてきて、ストーリーがどんどんできていった。
 四の五の言わず、自分の心のノリのままに筆を動かす方が,いいものできる。
 そう考えると,思うままで読書感想文書いた方がいいかもしれない。

 まだ時間はあるから、どちらがいいか、どうするか、いろいろ考えてみよう。


語った方がよりよく伝わる

2012-04-25 09:32:37 | バネ
 毎月バネで保護者向きに配布しているプリント。今日は5月号のプリントのコラム(一部修正)を載せちゃいます。


【5月号 バネ通信より】

人生後半に向かっていますから、自分が残すものを意識して生きています。

 国際交流の苦手な日本人です。最近は、特にビジネスにおいて中国をはじめとしたアジア諸国に「してやられた」感が漂う日本です。彼らには「常識が通用しない」と背を向けて気を吐くのが精一杯で、負け組日本の言い訳やごまめの歯ぎしりばかりが聞こえてきます。そこで大人達はよってたかって、今中国で最も知名度が高いという加藤さんという若者からこの危機的状況を抜け出す方策を探ろうとしています。その彼からの日本人への提言は、「言葉の力」を身につけよ、でした。対中国であれば、中国語、最低でも英語を堪能に使えること、これに尽きると。
 これができれば話は簡単だ、と思うし、それだけじゃだめだろうとも思います。

 日本は共通文化と単一言語の国ですから、国内では多くを語らずとも通じ合えます。むしろ我々にとっては多弁であるよりも、以心伝心が美徳であります。しかしこのような生活感を持つ国は世界に類が無く、これが日本人の国際交流下手の一因となっています。私は日本文化否定論を語るつもりはありません。むしろ日本の美徳こそが、世界に誇る価値観だと思っております。ただ気になって仕方ないことがあります。それは、近年日本人同士において、「以心伝心」で通用しなくなっているということです。価値観が多様化し、さらに短いスパンで人々の考え方や生活スタイルが変化しています。それにより価値観の世代間格差が広がり、また共通文化を共有する世代の幅がどんどん狭くなっています。日本人の中の共通の価値観の輪郭線が急速ににじんできているのです。だから日本人同士においても、語らないと通じ合えないことが多くなったのです。にもかかわらず、我々は永年に亘り語らない文化で生きてきたので、コミュニケーション能力が欠落したままです。今突然語り合えと言われても、語れないのが現状です。
 語ることも、論理的に考えることも苦手な国民は、相手を説得することも、相手の言い分に耳を傾けることも苦手です。ここなんです、問題は。海外に目を向ける前に、まず日本語で考え、意見し、全体調和を図るコミュニケーション能力。
 バネとして、今後日本復興を託す若者に何かできることがあるとしたら、それは読み書きトレーニングを通じて子ども達のコミュニケーション能力を育てるということです。バネが手をさしのべることのできる子どもの数はわずかです。しかし何もしないよりは良いと思います。縁あってバネの扉をくぐった子どもには、すべきと思う事を成す。
 
 それがバネのパンセです。

縁は運

2012-04-23 15:26:56 | ライフスタイル
 『○のしずく』石鹸、購入履歴あり。
 こんもりした泡をたてて洗顔しようと思ったけど,うまく泡をたてられなかったのが1回目の使用時。石鹸箱用意していなかったから、とりあえず洗面台にタオルを置き、その上にチョコンと石鹸置いておいた。翌日100均で石鹸箱買うまでのとりあえず置きのつもりで。
 翌朝,洗濯機にそのタオルをポイッと入れたのでしょう。洗濯後に洗われ2センチほどになって洗濯機の底に張り付いている石鹸を発見。その時の虚無感ったら。なんと高い洗濯になったことか。
 よほどこの石鹸にはご縁がなかったのだという思いから,その後リピート購入なし。未だにDM来るけどね。

応援、って何のため

2012-04-23 14:35:43 | Badminton
 大学のリーグ戦、見に行ってきました。
 何が驚いたかって、大学生の応援。
 千葉県内某ジュニアチームは、いつも目新しい応援を披露した。それは「エルユーシーケーワイ、エルユーシーケーワイ,ラッキー」や「よう見た、よう見たー」というベンチのフレーズ。ちょっとヤジっぽい、それ。こういった声だしは、どこかのチームがやると全国に広がる。これは小学生だけのことかと思ったら、小学生に蔓延している応援と同じものを大学生がやっていたことが、驚き。それも1校だけでなく、ほとんど皆同じものを。
 応援のフレーズってチーム独自のものがあるのではなく、全国的な流行があるとみた。それも小学生から大学生まで同じものが。いや、小学生の方がもう少しチームオリジナリティがあるような気がする。これは大人が口だすからかな。
 一日中同じ応援聞かされて「うーん」って気持ちになったけど,声張り上げている方は気持ち良さげだからこれ以上のコメントはなし、つーことで。
 

パンセ 作文の書き方

2012-04-21 17:27:50 | バネ
 3回目のパンセ。
 文章読解するなら、まずは書いてみよう。ということで2回読む練習したところで、いくつかのことを意識して書く日。
 たいてい子ども達は「作文きらーい」って言う。「何か書いていいかわかんない」からだそうだ。原稿用紙を睨みつけたまま、1時間に1行しか書けなかった子もいた。そんな経験すると、作文は苦手と意識にすりこまれちゃうよね。だからまずは書く楽しさを味わってもらうのが、第1回の課題。
 まずはいくつかルールを説明。

 与えられたテーマに沿って書く
 書き出しは会話
 タイトルに命をかける
 感動の中心を書く
 800字程度書く
 
 日常どこにもネタは転がっている。そんなネタを見つけるコツをつかんでもらうために、この日のテーマは「昨日のできごと」。今日じゃいけない、一昨日でもだめ。昨日あったことから、何か一つをクローズアップして書くようにと告げた。
 意外にもさらさらと書き始めた。原稿用紙1枚半を30分で書き終えた。初めてにしては、まず何かを書いたということで上出来。

 最初だから、原稿用紙の使い方、表記等何もチェックしない。では何をチェックポイントにしたかというと、感動の表現。何に心が動いたのか。どうしてそう思うのか。感動部分をどれだけ書いているか。
 子ども達は大抵一番肝心なところをサラリとかわしてしまう。感動は自分をさらけ出すことになり、多くは自分の弱みの暴露になってしまう。だから、無意識に肝心なところを素通りしてしまう。そこを一段一段と突き詰めていくと、実はこうなんです、と本音が導きだせた。
 そう、それを書くんです、というと子ども達は少し分かった様子。

 『恥を書く』

 そして最後に、タイトルをチェック。
 「実はこのタイトルではダメだと思う。」と首をかしげている。タイトル付けを意識したということだけで、もうかなり良い。そして,いろいろ一緒に考えた挙げ句、こんなタイトルにしたらと言うと、大きく頷いていた。

 次ぎは意見文に挑戦。


全力で手探り

2012-04-20 16:35:24 | Badminton
先日川間ジュニアの元保護者との食事会があり、出かけてきた。
 その席では、やはり当時の思い出話に花が咲いた。そうやって話し込んでいるうちに、子ども達とのやりとりがいかに楽しかったかをまざまざと思いだしてきた。私は楽しかった。で、そちらは?と聞くと、「なんだかいろいろ手探りでやっているみたいだった」と微妙なご意見。ふーん、そうなんだ。手探りなんじゃなくて、その時その時はこれがベストと思い全力投球だったんだけどな、とそれぞれのアクションへの説明を軽く入れる。すると、へーそうだったんだと、今になっていろいろな試みの意味を理解してもらえた様子。確かに保護者から見れば「また何か始めた」って感覚だったかもしれない。それもそのはず、事を始めるとき子ども達にはその理由を説明したけど、わざわざ保護者集めて逐一話したわけじゃない。
 子ども達は家に帰り、「監督が明日からこうしなさいって言った」とお母さんに伝える。するとお母さんは「監督が言うんじゃ、そりゃ大変だ。すぐその通りにしなくっちゃ」となる。どうやらこんな調子だったというのだ。
 
 これで良いと思う。
 これが勝利への近道か、技術向上につながるのか、なんてわからない。だからその時わかる範囲でベストを尽くす。そして子ども達は、それに真っ正面から向かう。それに保護者もつきあう。

 教育を科学する、なんてできないんだから。

facebook考

2012-04-19 07:58:26 | ライフスタイル
 facebookが就職で活用されているって話し。
 企業側が採用判断するのに、facebook上の友達の数やコメント数を参考にして人望を測ったり、書き込みで積極性を見たりするっていう。学生側も、それを利用(活用)して、facebookを自己PRの場として内容とりくつろっている。なんだかなー、って感じ。類は友を呼ぶっていうでしょ。企業の担当者よ、その人のなりを見たいんだったら、友達を見た方がいいと思うよ。
 facebookって日本では同世代の人あまりやっていない。だから、なかなかつながりたい人は見つからない。これが中高年のfacebookの現状。そして頻繁に更新される情報を、いちいちフォローするほど、携帯を携帯し続けていないという状況。
 facebookが日々のよしなしごとを暴露する場なのなら、ブログと変わらないし、ピンポイントで友達に知らせたいのならメールでもいい。どこが違うんだ、ってそれは、facebookは写真がチョロって操作で乗せられたり、動画だって簡単にできる。だからブログよりずっとビジュアルなんですね。もちろんブログだって写真も動画も乗せられるけど、面倒だから頻繁にやらないし、自分としてはここは活字で勝負!って意識的にやっているから、写真はあえて少なめ。
 ビジュアルであることに加え、すぐに友達の反応がわかること。イイネがポチッとされて、アー見てくれたんだって他者の反応がリアルタイムに感じられて、人と繋がっている感がいいんだろうね。

 やってて良かったなーって思うこと度々あるけど、まだ十分使いこなしていないから、これ以上うんちく語れない。



布団たたき考

2012-04-18 15:23:21 | ライフスタイル
 あの人は今。
 あの、大音量の曲を流しながら、ものすごい勢いで布団をたたき、近所迷惑で訴えられていたおばさん。この事件に前後する頃だったろうか、布団をたたくのは意味がないなどと情報番組でやっていた。たたけば布団がふっくらするというのは勘違いで、ただ綿を痛めているだけだとの説明だったと記憶する。それ以来、私は布団をたたかないようにしている。たたくとふっくらするような気がする、という実感はぬぐえないものの、たたく意味が無いという説にあやかり一つの家事を省略していただけかもしれない。そんなこんなするうちに、我が家から布団たたきが行方不明になっていた。
 それが、数年も見つからなかったものが見つかった。それは紛失したのではなく、以前からの場所にただあっただけだった。何が何でも家事を一つ省略しようという意識が、見えるものを見えなくしていたのか。
 といわけで、その存在を主張する黄緑の布団たたきを手に取り、実に久しぶりにたたいてみた。あの目に焼き付いているめいわくおばさんのリズミカルなたたき様を真似て。しかし、久しぶりの動きだからなのか、この動作はかなり疲れる。背伸びして布団に覆い被さりながら、下に向けて腕を振る。結局おばさんのようには全くできず、表面の花粉を払う程度にしておいた。
 数年ぶりに登場したこの布団たたき。これは一人暮らしを始めた時に買ったもの。何十年健在なんだ。確か、アパート近くの金物店で大きな中華鍋と一緒に購入した。中華鍋は8000円だったけど、布団たたきの金額は忘れてしまった。中華鍋はテフロン鍋の便利さにその場を譲ってしまったけど、この布団たたきの寿命の長いこと。この価格を1日辺りに換算すると、限りなく0に近くなるね。
 100均じゃこうはいかないでしょ。

 

意志は顔に出る

2012-04-17 14:53:53 | バネ
 宝塚音楽学校100期生の入学式見ました。テレビで。23.1倍の難関を突破した40名の挑戦者の顔。
 倍率が難関を示すのではなく、分母の質の高さなんですね。特異な学校であるだけに、「とりあえず受験してみっか」的な記念受験組はいないでしょ。それなりの意欲を持ち、それなりの準備をした人たちが分母を成すからこそ、倍率の数字の価値があり、入学式での感涙となるのですね。

 高校受験や大学受験の分母はどうだろう。公表される偏差値によって、だいたい同じレベルが集まるんだろうけど、「その学校にどうしても入りたい」という意欲度はバラバラ。どうしても入りたい組、とりあえず組、記念組。そういう母集団であることを考えると、最後まで粘り強く頑張り、もやもやしている母集団の中で強い光を放ち続ければ、もしかしたら分子に這い上がれるかもしれない。
 受験終盤になってくると、皆弱腰になってくる。そりゃそうだ。落ちると厭だものね。だから受験しないうちから、レベルを下げる人がいる。バネ生にもいた。急に弱気になって、志望校をいきなり2ランク落とすと言う。実はもともとそこに行きたかった、などともっともらしい理由までつける。だからチャンスなんですね。同じ場所でじっと頑張っていると、いつのまにか母集団がざわざわしてくる。(ちなみにこの生徒は、ランクを落とさず受験し、「あの時変えなくて良かった」と会うたび言います。)

 目標が10ならば、成果は5。100ならば、50。

 この話を8月にもしよう。10月にも、12月にもしよう。そして1月にも。
 
 と、あの宝塚音楽学校の新入生の顔を見て思った。


結婚披露宴で幸せの確認

2012-04-15 23:17:25 | ライフスタイル
 OBの結婚披露宴に出席。品川駅前ビルの最上階、オーガニックレストランにて。
 披露宴って、どんどん進化している。例のドライアイスの中へゴンドラで降りて来る演出は、今でも健在なのでしょうか。結婚式からスタッフがガンガン写真撮って、接写して、それらを編集したものがエンディングで流れたことがあった。写真を見るサイトがメールで来て、期間限定で宴の写真が見れるなんてこともあった。至れり尽くせりの演出見ると、イベントプランナー魂が揺さぶられ、ついスタッフ目線になってしまう。余興で皆が前方に夢中になっている間に、さりげなくテーブルセッティングがされているあたり。なるほどと思う。しかし、結婚披露宴というのは、どんなに進化しても、どんなにスタイリッシュになっても、変わらないものがある。
 それは新郎新婦の門出を祝う人々の気持ち。ご両親の気持ち。列席者はみな、イベントの素人。だからこそ、それはイベントではなく、結婚を祝福する会なのです。
 お二人の喜びや友人の祝福、そしてお父さんのあいさつにジーンとし、お開きとなりました。
 出口で新郎から花束をいただき、あいかわらず気が利くいいヤツだなと思い、もと下宿人達にエレベーター入口で見送られ、とっても満たされたひとときでございました。
 このあと、夜の雨の首都高を帰るという、ちょっとズシンと来る事実は残ったけど。

 

 


読解の扉

2012-04-14 07:23:43 | バネ
 2回目のパンセ。
 お話文の読解。

 もしあなたが俳優なら、悲しいを表現する時どうする?こんな質問で始まった。言葉で悲しいとは言わず,表情や動作で気持ちを表現するにはどうする。「うーん」と言いながら顔を作っている。文章ではこれと同じことが行われる。「悲しい」とストレートに書かず、演技を文章にする。お話文の読解は登場人物の『気持ち』読解がキーになるから、これらの演技にあたる表現をキャッチできれば良い。でもそれだけでは文の情緒はつかめない。「情緒って何?」って状態なんだけど、構わず説明を続ける。
 もしあなたが映画監督なら、これから始まる悲しいストーリーを予感させるために、オープニングはどんなシーンにする?
 これから読む文章にちりばめられた、その工夫箇所を全て示す。そしてそれがどのような効果をもたらしているかを説明。
 「いきました。」ではなく「いっちゃった。」と表記した意図等を読み解くうち、「情緒」の意味が理解できてきた様子。
 本読み経験が少ない子が、この辺りまで味わえるようになると本読みが好きになります。この日は、読解の扉をほんの少し開いた感じ。



声は人なり

2012-04-13 09:49:26 | ライフスタイル
 一昨日青木さんファミリーが中高生の練習を見学に来られた。それに合わせて、娘も帰省。Pさん母いわく、切り札一枚使っちゃったんですね、て。まあ、それはそれとして。

 青木さんとバドミントンで繋がる方々が集まり、夕食の宴となった。いろりを囲み、肉や野菜を焼き、楽しいひとときを過ごした。そして、ではそろそろお開きにというところで、「最後にあいさつをお願いします」ということになると、青木さんいわく「日本はこうなんですよね」とのこと。あまりカナダではこのような習慣ないのでしょうか?でも、夏に来たときのクローイちゃんの最後のあいさつの立派だったこと。大勢の前で臆せず、場に応じたあいさつと自分の意見をしっかり言えるってすごいと感心したものです。これは国語が得意だというクローイちゃんだからかもしれないけれど、スピーチ習慣のあるお国柄かなと思っていたのですが。
 青木さんのスピーチに続き、奥さんのスピーチ。

 英語は腹式呼吸で発音する。だから自然に低い声になる。映画の吹き替えで、ブロンド女優は高い華奢な声で日本語に吹き替えられるけど、本人の声は意外にも低くてイメージと違うなんてことがある。でも奥さんの声は、そう言う意味では意外にも高い。

 声って、生活スタイルが出るよね。元アイドル歌手が懐メロを歌って残念!っていう時は、容姿だけでなくその声にあることが多いでしょ。美しい若々しい声を保つことが、生き様を表しているように思えるのです、私としては
 青木さんの奥さんの声は、少女のよう。鈴を転がすよう。
 そしてその美しい声でのスピーチが始まった。一つの英語も聞き漏らすまいとして耳を傾け、ジワーッと感激に満たされた。スピーチのキーワードは「おかあさん」という日本語。この日本語が、とても懐かしく、愛おしく聞こえたのは、おかあさんへのJodiさんの思いが入っているからでしょう。

 Jodiさんのスピーチ、録音しておけば良かった。素晴らしい瞬間にいつ遭遇するかわからない。後になって、あの時あの瞬間が大切だったってわかる。録音していないから、記憶の引き出しで紛失しないように、時々整理しておきましょう。