バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

オラホの会

2015-07-29 14:47:22 | 
油絵を描き始め、人物画を追求し、裸婦デッサンに通った。そんな折、父のアトリエ物置で見つけた絵。
横たわる裸婦。タッチが荒く、サインが入っていないことから描きかけのままお蔵入りしてしまったのだろう。手製の仮額が付いているから、制作中のものをどこかに展示したのだろうか。
人物画の参考にしようと野田に持ち帰り、いつも眺めていた。
しかし、これだけの絵を独り占めしているのは良くないと思うし、仮額もグラついている。
この際だから上田に車で行く時に持って行き、遊美さんで額装してもらおうと思った。

夕方、遊美さんに絵を持ち込んだ。
奥の部屋には来客がある様子。

奥を覗き込み、輝さんの娘さんですよって紹介され、「絵を額に入れてもらいたいと思って」と切り出すと、
そこにいたお客さんは、
「どんな絵、早く見せて見せて。」
梱包をはがすと。

「この絵、知ってる。オラホの会に出した絵だ!ここで会えるなんて!」

先客は、父がこの絵を展示したときのいきさつを口早に説明してくれた。
父は春陽会以外に絵を出展することはほとんどなかったけど、なぜかオラホの会だけは出展したのだという。
オラホの会とは、東部町の教員経験者だけが会員になれるという会で、会員は50名くらいだそうだ。そもそも「オラホ」とは長野の方言で、「おら達の方では」というニュアンスかな。
そう言えば生前、東部(現東御市)の日帰り温泉に父と一緒に行ったときに、そこで地産「オラホビール」をご馳走になりながら「オラホの会」の説明を聞いたような記憶がある。絵の会のことより、集まりで飲む地ビールうまい!と楽しそうに語っていたのを思い出す。

この絵はP25という特殊サイズで、そのことからして主張が強い。

アイスコーヒーをいただきながら、当時の話を更に聞くと、そこにいらした方はなんとオラホの会の会長さんで、皆でこの絵の前で写真を撮ったなどと当時のエピソードが次から次へと出てきた。

すると「物置にこれと同じ絵があると思いますよ」と、遊美さんのご主人がおっしゃる。

先にFサイズで描いたけど、「入りきらない!」と言って父は店にやって来て、横長特注サイズP25キャンパスを遊美さんが手作りしたのだそうだ。

2001年の作品。
14年経てこうして外に出て、偶然にも深く関係した方に真っ先にお披露目することとなった。

黒い額に入れてもらうことになった。
こういうことって、あるんだね。


ブルーグラデーション

2015-07-26 09:50:28 | ライフスタイル
 真っ平らな関東平野。
 利根川土手に出ると、遙か彼方まで見渡せる田園地帯。
 これはこれでいい。
 というより、10代の頃この土手に立った時どこまでも平らな景色に感動した。

 でもしばらくこの地で生活するうち、やっぱり周囲に山があった方がいいと思うようになった。突き当たりに山を感じさせる雲のブルーがある時、一瞬得も言われぬ安堵感があるのだから。


 お中元、お歳暮に添えるイラストには野田のお気に入りの景色を切り取ってきた。でも今年は長野で過ごすことが多いので、上田塩田平の景色を添えた。
 突き当たりに実際に山がある。いつも描くのは山を思わせる雲を添えていたけど、今日はそこに本当の山をある。感じる程度の山でなく、ドーンと実際の山がある。描く。グリーン、ブルー、グレイ、そして空へとつながる薄紫色。たまらないね、この色。


別所温泉、齋藤旅館にて

2015-07-25 19:08:13 | 別所温泉
 今年の高校生の信州夏合宿は、例年より早く7/21~7/24に行われた。
 関東と同じ19日に信州は梅雨明けし、夏合宿らしい青空の下、恒例のBBQや登山も予定通り行われた。選手達にとっては『大変』な日々だったかもしれないけれど、別所温泉で過ごす4日間はあっという間に終わってしまい、昨日雷雲に包まれている野田に帰ってきた。

 やっぱり信州はいい。
 軽井沢、佐久を過ぎ小諸のトンネルを抜けると右に浅間山山麓が広がり壮大な景色が広がる。左側眼下には佐久平から遠く美ヶ原やアルプスを望む。取り囲む、織りなす山々がブルーのグラデーションを重ねる。
 だから私は青が好きなんだと思う。
 バスに乗っている子ども達が小諸のトンネルを抜けた瞬間歓声を上げるかと思いきや、大概は寝ているというのだから、それは残念。
 この景色に包まれると、「ふるさとに帰ってきた!」を実感する。

 そうやって数日が瞬く間に過ぎ、帰る日がやって来た。
 こんな日の夕方は群馬や埼玉で雷雨に遭いそうだからと、少し早めに帰路についた。
 途中東御のSAに寄りお土産を買い、長門牧場のソフトクリームを食べていて気づいた。

 「忘れ物した!」
 ここまで来て戻るか。しばらく逡巡した挙げ句引き返すことにした。一つ先の小諸ICで降り、小諸ICですぐさま乗り、「帰ってきたぞー」を思わせる景色を複雑な気持ちで堪能し、このまま野田に戻るのをやめて別所の人になってしまおうかという気に少しなりながら上田を目指した。
 
 誰もいない実家に入り、忘れ物をバッグに収め、せっかくここまで戻って来たのだからやり忘れたことを一つ済ませようと思った。
 それは高校生達が合宿中お世話になった齋藤旅館に挨拶すること。
 今回は期間中一度も顔を出していない。
 合宿最終日の晩、女将さんが30回目の合宿を記念して選手みんなにケーキをプレゼントしてくれたというのだから、格別な取り計らいにお礼を言わずに帰ってしまったことを後悔していた。
 こうやって戻ってきたのは何かのご縁かと齋藤旅館に向かった。
 高校生が立った後の宿は、次の客を迎える前で静まりかえっていた。きれいに掃き清められた玄関が開け放たれていたので、正面から声をかけるとあいにく女将は留守だったが旦那さんに挨拶することができた。

 別所温泉は信州最古の温泉地で、歴史的建造物に囲まれた由緒ある温泉地である。そこの旅館が高校生の合宿に部屋を提供するなんて、当初はどこも引き受け手がなかった。
 ただ一つ齋藤旅館だけが受け入れてくれた。
 そうして続いたこの30年(正確には29年)。
 旅館入り口に「西武台千葉バドミントン部ご一行様」と看板が立つと、それは地元の風物詩になっているらしい。

 何事も続けることはたいしたもんです。
 お互い元気で、また来年よろしくお願いします。