バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

「輝クロニクル第一期展」パンフレットより

2024-01-11 15:41:15 | ギャラリー輝
1/13から始まる、ギャラリー輝の企画展「輝クロニクル第一期展」パンフレットを作りました。
企画展の趣旨と展示作品のうち大作の解説をで構成されています。

パンフレットより企画展のご案内を転載いたします。




 池田輝は生前、「俺の絵はどうするだ。焚き付けにでもするだか」と私に問いました。じっとのぞき込んだ父の目は鋭く、その答えを見つめていました。「まさか」と応えるのが精一杯だった私はその時から大きな課題を背負いました。今も、あの時の射るような父の目と無念の情が私を突き動かし続けます。
 倉庫に詰め込まれた作品の数々の記録を取ることに3年かけ、2021年にギャラリー輝をリニューアルオープンし現在に至ります。
 ギャラリーや美術館の体は取っていますが、展示の専門知識はありません。毎度思考錯誤、四苦八苦で何とか展示を続けています。作家や作品への解釈途上につき、当初展示を躊躇していた際、「わかっているところから展示していけば良いよ。間違っていたら訂正すればいいんだから」と優しく背中を押してくれる人がいました。その言葉に甘え、今わかっていることを精一杯表現しております。

-上田クロニクル展-と合わせて展示
 
 上田市立美術館と梅野記念絵画館にて開催される上田クロニクル-上田・小県洋画史100年の系譜展と同時開催いたします。
 上田クロニクル展では、池田輝の鹿苑会時代の作品、初期から春陽会会員推挙(1973年)までの4点が展示されます。この展示を機会に当館においても、池田輝の初期の制作を更に深くご紹介いたします。
[上田市立美術館にて展示]
①裸婦 1957年25歳 P15
②馬に乗る 1973年41歳 F60
③一人 1974年42歳 F80 春陽会会員推挙
[梅野記念絵画館にて展示]
④遇話 1968年36歳 春陽会研究賞、鹿苑会岡賞
 この企画展に触発され、改めて作品を制作順に紐解き、さらにその時代背景等を重ね合わせることで、画業と生き様を深く掘り下げることができました。この企画展をきっかけに、今年91歳になった母から若き頃の父の様子を聞き出すことができたことも大きな収穫です。母の様子から、断片的に残る記憶がリアリティを持ってつながり、作品一つ一つに父の姿を重ねることができました。

デビュー期のキーワードは『自由』

「俺に自由に絵を描かせろ」

 随分乱暴な言葉ですが、養子に来る際、母に言い放ったそうです。母曰く、当時は戦後で男が少なく、ましてや養子にやって来る父が「威張っていて当然」な時代だったそうです。そ れまで貧しく画材が買えず自由に絵が描けなかったが、教員となり結婚し商店を営む家に婿養子にやって来た父は、給料は全て画材に突き込むほどの勢いだったそうです。要するに絵を描く自由を手に入れたのです。母曰く、「まるで好きなことをしに来たみたいだった」。借家の和室の一角、4畳ほどの空間を畳を上げてアトリエとし、十分なスペースとは言えないまでも夢中になって自由に描き始めました。
生涯の制作を紐解くと3つのステージに分けられます。
第1期 初期から春陽会準会員となるまで
第2期 春陽会準会員後から教員を退職するまで
第3期 教員退職後から画業を閉じるまで
 今回の展示は第一期展です。
 鹿苑会入会、そして春陽会入選、春陽会準会員推挙までおよび水彩画を含めた大作10点、小品24点を展示しております。(「馬上の人」は常設展示)
 絵を描く自由を得た作家は、ため込んでいたイメージを手当たり次第具現化していった様子が伺えます。作品のモチーフは、近隣風景、静物など身近なものが多く、ほとばしるデビュー感が溢れています。技巧を凝らすことはなく、また画面の整理を進めず、思いのまま自由に描いています。当時から絵の具をふんだんに使い、色を重ね目指す色を作り出しています。しかし池田輝独特の赤が生まれるのはこの後のことです。

自由に絵を描き、制作への思いがほとばしる作品の数々をご覧下さい。

大晦日に蝶が舞う

2024-01-08 10:55:22 | ギャラリー輝



不思議で幻想的な光景に出くわした。
それは大晦日の晩、皆が揃って乾杯しようという時に、突然部屋の中をモンシロチョウが舞ったのだ。
皆が歓声を上げる中、並べる料理の上を、そして部屋にいる7人の頭上をひらひらと舞い続けた。

「チョウは亡くなった人の使いだ」と何人かが言った。
スピリチュアル得意な私なのに、それは初耳だった。何よりスピに無頓着の夫までが言うから驚いた。

上田市立美術館と梅野記念絵画館にて、上田クロニクル展が開催される。その展覧会に父の若き頃の絵が4点展示される。
学芸員の方と連絡取り合ううちに、企画展の作り方、作品解釈の仕方など展示の神髄に触れることができた。それを参考に池田輝作品の再考査をした。
その結果、画業50年を3期に分け、今回上田市立美術館と梅野絵画記念館の展示と期間を合わせ、ギャラリー輝で「輝クロニクル第一期展」を開くことにした。

大晦日に一族が集合した。
年末年始を過ごしにやって来た遠方に嫁いだ娘の夫や私の夫ら、男手3人で夕刻から大作掛け替えが始まった。
小品は既に展示し終えていたが、大作は男手が最低3人必要だ。
大晦日で一族集合するこの機会に展示替えすることにしていた。
私はと言えば、前日から準備していた大晦日の料理が一段落したので、男達が力仕事をしているそのすきに企画展のパンフレット文面を打ち込んだ。

パンフレットには父の制作秘話、それも若いときの話を中心にまとめたものを載せたい。
一月ほど前から91歳になる母から少しずつ話を引き出し、そこに兄の記憶を加えることで、私の思い出話だけで作るものとは比べものにならないくらいリアリティあるストーりが作れたのだった。
この文章を添えて作品を観ると、絵を描いている父の姿が浮かんでくるようだ。
母から聞き出した話は父の暴露話が多く、これは今回の作品解釈に必要な内容だか本当に文章にして良いのか、また間違いはないのかと印刷する前に母に確認しておくことにした。

居間でこたつにあたる母に私が読んだ文章を聞いてもらう。
じっと目をつぶり、一字一句耳で校正している。
全て聞き終えると、「おまえ、文うまいね。よくこれだけまとめたね」
この話が公開されることに多少異議を唱えるかと思いきや、全く問題は無いという。それどころか、「いかに私は当時たいへんだったか」と思い出話の追加が始まった。これらが載せられて恥ずかしい思いをするのは父だけなのかも知れない。
こんなやりとりを終え、母からひとしきり褒められ、パンフレットがあらかたできたことに充実感を味わい、こたつに料理を並べ始め、展示大仕事が終わった夫達が居間に集合したその時だった。

白いチョウが舞った。

「テルさんが喜んでいるよ」と夫。

やりたい放題だった若き頃の話を公開することを父が認めたのか。
倉庫にしまいっぱなしの力作を展示したことを喜んでいるのか。
それとも、力仕事を終えた夫達をねぎらったのか。
なんだか幸せな気分に包まれた大晦日だった。