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バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 20 アルル2日目 闘牛場を描く

2025-03-28 11:51:51 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
20.1985年9月30日 (月)晴れ

朝食の時、他にも客が5名いた。10:30がチェックアウトなので、ローヌ川風景を窓から描いた。晩秋の太陽が淡く澄んでいた。川の中に,コンクリートの残された橋げたが,この地の歴史を語り,川岸を歩く点景の人がのどけさを与えてくれた、
昨夜の宿は二つ星で高価なので、麻美が前回来たときの宿が取れていたので,広場に近い宿に引っ越しした。
昨夜外食に出たときに見つけておいた闘牛場の外壁を描くことにした。F6号に取り組んだ。
今日一日はこれに決めた。外壁をぐるっと回った。日陰を見つけた。石造りの重量感にてこずり,色がぱっとしなかった。
今日の宿は女将が経営していて,落ち着いたホテルだった。










【追記】
スイスジュネーブ湖を起点とするローヌ側は,アルルで大ローヌと小ローヌに分岐して地中海に注ぐ。
前回アルルに来たときはミストラルが吹き荒れていて,川沿いを散歩する人影は見られなかった。今回は穏やかなローヌ川だ。ここアルルは老人が多い。
駅前広場で前回来たときとそっくりにペタンクに興じている老人たちがいた。あの時と同じ人かもしれない。同じように声かけられ,ベンチで話し込み、駅前スーパーで何とかという野菜を買えばおいしいよとしきりに言われた。
アルルには数日滞在するので,お気に入りホテルに落ち着くことができて良かった。ローヌ川沿いの教会を見て、父は「油絵はヨーロッパの景色を描くのに適してるのだな」と語っていた。スペインの黄土とは違った、街全体が色を抑えた石造り景色はどこを見ても絵になる。今日は一日闘牛場を描くと言いキャンパスを広げた。通行人に取り囲まれたりしながら描いていた。画面をのぞき込んで「うまいね」と言って行く人もいた。カフェのテラスでサンドイッチとコーヒーの昼食を済ませ、グレープフルーツジュースを頼んだ。皮ごと絞られていたのか,苦くて飲めなかった。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 19 ようやくフランスに入る

2025-03-01 16:41:25 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
19 1985年 9月29日(日)
 今日フランスのアルルに行くようになる。9:50発の電車を待った。昨夜の睡眠不足で駅で待つ間も電車に乗っても眠ってばかりいた。アルルは来るときに通過したところだ。途中から別れて入ったローヌ川がゆったり流れ,今までのスペインとはがらりと変わった。
 電車を降り歩いて5分くらいのところの宿を予定していたが満杯で駄目だった。そこは麻美が前回来たときに泊まったホテルで、ゴッホが住んでいた家を改築してホテルにしたもの。奥まったところに二つ星の宿が見つかる。宿の親父はスペイン人に見えた。フランスと聞けば作法のやかましいところと思ったが、この親父は良くなく、強引にひきづりこまれた。夕食を外で取るといったらホテルの親父が世話してくれた。そこもスペイン人経営だった。
【追記】
 前回一人旅でアルルに来たときに,ホテルの前のテラスでくつろぐ宿泊客の老夫婦に呼び止められた。ホテルを探していると言うと、「このホテルはいいよ。きれいだし,食事もおいしい。私たちはいつもここに泊まるよ」と声を掛けられ,幸いにもシングルルームが空いていたので即決した。フロントを出て,今部屋を取りましたと告げると,テラスのおばあさんは「よかった、よかった」ととても喜んだ。
 そのホテルは母と息子で営む,こじんまりしたホテルだった。その後アルルの街で知り合った同じように一人旅する卒業旅行の日本人男性が、今のホテルを変えたいと言い,他のホテルから引っ越してきた。それまで彼がいたホテルは、「地球の歩き方」で紹介されたからか日本人がたくさん宿泊していた。日本人に会うことなどほとんどない一人旅だったのに、なぜかそこにはたくさん日本人が居た。そこの親父さんが口やかましく辟易すると言っていた。彼を引き連れて来てもう一部屋取ると,女将さんは微笑ましいものを見るようにニコニコしていた。そんなんじゃないと全力で言い訳しておいた。

 今回は空きがなかったが,明日は空くとのことなので予約した。女将さんも息子さんも前回宿泊した私のことを覚えていてくれた。「一人で来た日本人だよね」と。