美容師さんというのはたいてい髪を切りすぎる。あーあ、何でこんなに切るかなーっていうくらい切られたことが何度かある。だから「耳が少し見えるくらい」、とか「前髪は眉と眼の間で」などと具体的に告げる。それでも危ない感じがするときはスタイルブックを広げて「これくらいの長さで」と訴える。こういうやりとりが嫌なので、「伸びた分だけ切って下さい」で通用する馴染みの美容室しかいかなくなって久しい。
伸びた分を切る。床にバラバラって落ちるのは痛んだり弱ったりした古い毛先。言ってみれば過去に生まれた髪。天空にまたたいている星の光は過去に生まれた光であるように、今床に落ちた髪は随分昔に生まれた髪。
暇でぼーっとしているときは部屋の掃除スルーするのに、忙しい時ほど部屋の隅の埃が気になってソファどかして掃除機かけたりワックスかけたくなるのと一緒で、運転中に通りかかった道ばたの生け垣が伸び放題になっているのを見ると気になって仕方がない。剪定ばさみ持ち込んでジャキジャキ切ってあげたくなる。そのくせ家にいる時は、自分の家の生け垣は平気でスルーしてしまうのだから。
しかし、今回は違う。
門扉のクチナシの木が伸び放題になっている。郵便受けの中まで葉が進入している。そうだよ、今これ剪定しようよ。衝動に駆られてもできるはずのない(他人の家の)木を切りそろえるというその行いが、今自由にできるではないですか。しかも木は目の高さだから楽に気持ちよく切れるではないですか。
このクチナシの木は艶々した若葉が美しい。葉は柔らかいらしく芋虫の宝庫となっている。新芽が出て若葉がふいても、一晩でその新しい葉は食べ尽くされることたびたび。伸びては食べられを繰り返すから、いつまでも花をつける。そして玄関周りに香しい芳香を漂わし続ける。そんなクチナシと芋虫と私のバランスがとれ自然の成り行きに任せていたのに、しばらく家を留守にしていたからなのか木が伸び放題になっていた。
伸びた分を切り落とす。新しい先の枝は緑鮮やかで美しく柔らかい。その緑と茶色の境目にハサミを入れる。サクサク切れるのでものの数分でまるで床屋に行ったばかりの小学生のようなクチナシになりスッキリした。そして根元には伸びた新しい枝葉が散乱した。
髪みたいに古い傷んだ部分を切り落とし、新しい部分を残す方法はないのだろうか。
伸びた分を切る。
二日後には剪定した枝の間から黄緑の新芽がぽつぽつと出ているクチナシの木を眺めながら、当たり前なことに気づいた今日この頃。
伸びた分を切る。床にバラバラって落ちるのは痛んだり弱ったりした古い毛先。言ってみれば過去に生まれた髪。天空にまたたいている星の光は過去に生まれた光であるように、今床に落ちた髪は随分昔に生まれた髪。
暇でぼーっとしているときは部屋の掃除スルーするのに、忙しい時ほど部屋の隅の埃が気になってソファどかして掃除機かけたりワックスかけたくなるのと一緒で、運転中に通りかかった道ばたの生け垣が伸び放題になっているのを見ると気になって仕方がない。剪定ばさみ持ち込んでジャキジャキ切ってあげたくなる。そのくせ家にいる時は、自分の家の生け垣は平気でスルーしてしまうのだから。
しかし、今回は違う。
門扉のクチナシの木が伸び放題になっている。郵便受けの中まで葉が進入している。そうだよ、今これ剪定しようよ。衝動に駆られてもできるはずのない(他人の家の)木を切りそろえるというその行いが、今自由にできるではないですか。しかも木は目の高さだから楽に気持ちよく切れるではないですか。
このクチナシの木は艶々した若葉が美しい。葉は柔らかいらしく芋虫の宝庫となっている。新芽が出て若葉がふいても、一晩でその新しい葉は食べ尽くされることたびたび。伸びては食べられを繰り返すから、いつまでも花をつける。そして玄関周りに香しい芳香を漂わし続ける。そんなクチナシと芋虫と私のバランスがとれ自然の成り行きに任せていたのに、しばらく家を留守にしていたからなのか木が伸び放題になっていた。
伸びた分を切り落とす。新しい先の枝は緑鮮やかで美しく柔らかい。その緑と茶色の境目にハサミを入れる。サクサク切れるのでものの数分でまるで床屋に行ったばかりの小学生のようなクチナシになりスッキリした。そして根元には伸びた新しい枝葉が散乱した。
髪みたいに古い傷んだ部分を切り落とし、新しい部分を残す方法はないのだろうか。
伸びた分を切る。
二日後には剪定した枝の間から黄緑の新芽がぽつぽつと出ているクチナシの木を眺めながら、当たり前なことに気づいた今日この頃。