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バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 21 アルルで別行動

2025-04-13 14:05:54 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
21. 1985年10月1日(火)晴れ
 9月14日に日本を出て既に半月以上経ち残してきた家族のこと、畑の様子、女子短と様々頭の中に募ってきた。

 今度の宿では朝食を頼んでいないので,パンをかじって済ませた。麻美は街を一人で歩いてくると言うので、単独で街中を描きに出た。
街は小さいので,ローヌ川と闘牛場を目標にして歩いていれば迷うことはなかった。ローヌ川岸を下って橋まで行き、町中に入りたばことコーヒーを飲む。16.5フランだった。今日はチョークで描いた。画材屋があったので、フィクサチーフを買う。小瓶のスプレーだが36.5フランで手持ちは残り2.5フランだ。街の中程に遺跡を見つけ入った。その中でスケッチに夢中で昼の閉門を知らないでいた。門は閉ざされているので昼寝の門番を起こす。スペイン人の老婆が出てきて荒調子で喋るが言葉が一向に分からない。言っていることは感じで分かるので謝った。入場料を払えと言っている。残りの2.5フランを出すと料金版を指さして4フランだという。さんざんの思いで外に出してもらった。午後1時近かった。

 今日はチョークや鉛筆で描いてまわった。遺跡からの民家、闘牛場からの赤い屋根の風景、街の中心地にある大きい建物の中のヴィーナスに似た石膏のある一角風景。
 今日も疲れた。麻美が近くの中国料理屋で日本食品の類を買ってきて、食事は部屋で済ませた。


No.1099  アルル礼拝堂No.1075 


アルルの家並みNo.1060

 
アルルde Rhone

アルル闘牛場

アルルスケッチ

アルルローヌ川

アルル郊外スケッチ

【追記】
 この旅行記は父がノートやスケッチブックに現地で、そして帰国後書き直すなどして残した記録を文字起こししている。乱雑な文字で読みづらく,記憶を辿りながら、判じながら読み進めている。さらに書き残した作品や写真を探し当てはめている。この旅行記はまだ続くが,実は最後まで読んでない。その都度、1日1日を判読し,作品や画像を探し当て,1日分が完成したところから掲載している。だから明日はどんなことが書かれているのか、明日のことを今は知らない。
 同じ旅を共有していても、父の感想に触れ「へー、そうだったんだ」と今更ながらに知ることが多々ある。
 実はこの10月1日にたどり着きたくなかった。読みたくなかった。きっと私への批判を書いているだろうし、今この日のことを思うと後悔で一杯だからだ。そんな思いから10月1日がやってくるのが気が重かった。
 
 父が書いているように,日本を発ち半月経ったこの頃、私は二人旅に辟易していた。どこに行っても「親子なんですか!?」と驚かれ、中には「男女が旅行するのは普通は夫婦か恋人同士だ」などと言ってくる人もいて、奇異の目で見られているように感じていた。それだけではない。言葉が分からないからと常に頼られどこに行くのも一緒。私は父に「簡単な挨拶は覚えたら」と言い放った。いつも一緒に行動することに爆発しそうな気持ちを押し殺し,この日は一人アルルの街を彷徨うことにした。その時、父は父で大変な思いをしていたことを知ったのはこの日の午後だったか、どこかで合流してからだった。だからこの日の日記はどれだけ悪口書かれているかと恐る恐る読み解く自分。そのくせ自分も一人の時間を楽しく過ごせたわけではなかった。ゴッホの跳ね橋を目指すが途中野犬に襲われそうになり,警察官に助けられ駅まで送ってもらった。そして駅近くの遊覧船でローヌ川観光しようと乗船するが時間になっても一向に出発せず、結局他に客がいないからと欠航となり、何もしないで時間だけが過ぎたのだった。
 この後父とどこで合流したか記憶にない。ホテルの部屋か,街の中だったか。
 ホテルの近くにベトナム人がやっている惣菜屋があり、そこで色々買った。醤油ベースの味付けで久しぶりに「おいしいもの食べた。こうやって買って食べるのもいいな」と父は喜んでいた。しかし食事のことは日記ではさして触れていない。あの夜の食事では、父は父なりに私に気を使ったのだと分かった。
 これはどこでどうやって挽回すればいいのか。


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