バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

うちの嫁が

2012-11-29 08:20:10 | ライフスタイル
 配偶者のことをどう表現するか。
 結婚当初「いつもうちの主人がお世話になっております。」なんてフレーズを言うのがとてもいやだった。思ってもいないことを言うのがいやというわけではなく、「主人」という言葉を使うのがいやだった。ではどう言えばいいのか。「うちの亭主」。どうもこの言葉には、「のんだくれ」がセットになっている様にグズロクな亭主のイメージがつきまとう。「うちの旦那」は?これはギリギリセーフ。でもこれには帰宅後どてらに着替えるようなどっしり感があり、まだ若いうちから使いこなせない。そこで選んだのは「夫」。これが無難。しかし月日が体に脂肪をまとわせる様に,いろいろなことが少しずつ平気になり、周りに流され、今は日常的に主人とか旦那を使っている。亭主だけはどうも使えないでいるけど。
 母はどうだったか。「うちの主人が」と人様に言う時はちょっときどった顔していた様に思う。

 では夫は妻をどのように表現するのか。
 家内。うちの奥さん。うちのかみさん。うちのやつ。うちの。
 父はどうしていたか。仲間うちでは「うちのワイフ」と少し照れくさそうに言っていた。コロンボの影響かもしれないけど、父なりに選択した言葉であったと思う。  

 どうしてこういう話しを続けるかというと、最近気になる表現の一つに「うちの嫁」があるから。嫁って夫が妻に使う言葉じゃないでしょ。義父母が息子の妻に向かって言う言葉でしょ。なのになんで夫が妻を「嫁」って表現するの。家内とか、かみさんって言葉はガラじゃないし使いたくない。本来とは違う使い方で新鮮な響きがあるから「嫁」という言葉を安易に選択しただけかもしれないけど、嫁って言葉にはお家(いえ)とか家父長制度とか、一族とか、昔風大家族のイメージがつきまとう。家に縛られるとか姑に仕えるという女性にとってのマイナスイメージだけでなく、大きなものに包まれ守られる安心感もある。「嫁」が流行るのは、東日本大震災以降家族や身内のつながりが見直されているから,嫁という表現のプラスイメージが重宝されているのかもしれない。そしてそのイメージに乗って、我が包容力を誇示したい男性が、無意識になのか意識的なのかはわからないけど、選択したように思えてならない。

 などと思っていたらテレビのゴシップニュースに登場した柔道の何とかという人が使った。「うちの嫁が。」
 ほら、やっぱり。

 

聞く力はいらない

2012-11-23 22:30:44 | バネ
 生徒が悩みをうちあける時。
 混雑している時は、彼らは言わない。もし言ったとしても、慌ただしさの中で私がキャッチできないのだ、と思う。
 たいていはポツリと言う。そしてまたポツリ。彼らは小出しする。ふん、ふんと聞いているうち、これはきちんと聞かないといけないなと思う時は授業中断して聞く。
 そして話しを聞きながら考える。何か言わなければ。先生なんだから、何か気のきいたこと言わなければ。

 女同士の悩み事相談は結論出さなくていい。喋ることが目的だから、解決策の指南などいらない。一緒になって、ふんふんと聞いてもらえればいい。話すことでスッキリする。なのにこれを男に相談すると、たいてい男というものは結論を出そうとす。その場合はこうしろと断定してくる。ただ話しを聞いてくれるだけでいいのに、と女は疲れてしまう。などと男と女の会話にはすれ違いがあるのだと何かの本で読んだ。

 授業を終え、チャーに相談する。こういう場合、私は何を言えば良かったのかな、と。すると「大変だな。と言ってただ聞いてあげればいいんだよ。」
 先生なんだから何か言って導かねばと力むなんて、まるで男と女の会話パターンではないですか。そう言えば最近、いつも同じ対応していたかもしれない。子どもたちの相談に対しいつも結論まで導き、手短に話しを終えていた。ただ聞くだけでいい、一緒に悩むだけでいいとは思えなくなっていた。経験を積んでいくうち、こういう場合はこう言えば良いと解決がパターン化されていて、ただそれにあてはめていた様に思う。これじゃ相談する方は、話しがいがなかっただろうな、と思う。

 バネ初期は生徒はほとんど女子だった。毎日ワイワイガヤガヤと女の園だった。授業が終わるとそこから悩み相談タイムが始まった。彼女たちはいつでも悩みをたくさん抱えていた。部活のこと、クラスのこと、友達のこと、そして授業のこと。相談は尽きず、「こんな時どうしたらいいの?」と持ちかけてきた。そのくせどんなアドバイスてにも納得しないし、悩み相談は終わりにならなかった。結局ダラダラとおしゃべりしていくのだった。夕食を待っている家族のことを気にかけながら、迎えのお母さんが「先生忙しいんだから、そろそろ帰りましょう」と助け舟を出してくれるまでおしゃべりは延々と続いた。もしあの時、夕食の心配がなければ一緒になって何時間もおしゃべりしていたことでしょう。

 ここで「聞く力」なんてフレーズが出てきそうだけど、そういう発想そのものがだめなんだよね。聞くことにテクニックや経験はいらない。



知らぬが仏

2012-11-23 17:49:32 | 
 2ヶ月間4回で人物画を仕上げるコースに入会した。
 モデルをデッサンし、下塗りし描き込む。
 これまで自己流でやってきたことが、ここで急速にいろいろな情報が入り、それによりチャレンジの連続。とにかくやってみる。失敗したら塗りつぶして描き直せばいいのだから、とにかくやってみる。こんな気持ちで走った2ヶ月間。

 好きに描けばよいと思い数年やってきたけど、知らないことが多かったということを知り、まず本を読む。数冊拾い読みしながら、何が何でもすぐやらねばと思ったのは、画材の手入れ。
 全てのチューブや筆を2日間かけて整え、本で紹介されているもののうち必要と思われる画材をチェックし購入。

 人物画の取り組みは画材の手入れと同時進行で始まったことに加え、目の前にモデルがいるせいかいつになく丁寧に描き進めることになった。
 そのせい?
 絵に勢いがつかない。描いても描いても、絵が薄い。今までほとんどやらないできたが、本で得た情報のパレットで色を数色混ぜ描く方法にチャレンジしたせいかもしれない。絵の写真をとってもピントが合わない。全体にぼんやりしている。そうやって一月半格闘した挙げ句、抜き差しならない状態になった。絵を前にすると、胃の下の方がうずうずする。このままキャンパスを切り裂きたい気持ちになる。そんなある晩、どうせだめならと塗りつぶしてしまった。まず顔面に茶色の絵の具をドバッと塗る。衣服を白と黒で塗りつぶす。2週間後が4回目の教室で、仕上げの日だけど、もう間に合わなくてもどうでもいいという気持ちで太い筆で塗りたくった。
 すると不思議なことに、さっきまであった目や鼻を塗りつぶしたのに、逆に表情が生まれ、その人は元気になった。

 ここからの2週間が本当の格闘。絵の具が乾くのをじっと待つ。特に黒は乾くのに時間がかかる。早く描き込みたい。待てない。でも、色を濁らせないために、じっと待つ。生き返った人物は、しきりに語りかけてくる。絵の具が乾くまでもう少し待って下さいと返す。こうやること1週間。
 
 そして最終回の昨日。モデルを見ながら全体バランスを調整し、カウントダウン最中に瞳にほんの少し白を加え完成。

 完成しても何かすっきりしない。
 まだ知らないことがたくさんある気がする。そんな気持ちのせいか披露する気になれない。かといって物置にしまい込むこともできない。とりあえずしばらくは部屋に置いておこう。

ちょっと○○な気分

2012-11-18 17:25:36 | Badminton
 サタデークラブ希望者に、市民大会まで1時間の延長練習を組んでいる。
 それは、右も左もわからない状態でサタクラ生が大会に出場することが多々あるから。せめてルールを把握し、サービスを打つ位置くらいは間違えないでほしい。できればシャトルを相手に渡すときにネットの下で手渡ししないでほしい。もっと言うと、コートに入るときや、審判に礼をし、そして相手に礼をする。こんな最低限のマナーを身につけてほしい。そんな理由から、大会参加希望者には、試合のためのいろいろを覚えてもらうために延長練習を組んだ。
 そうしたら、試合に出るわけでもないけど練習希望してきた子もいた。まあ、それも良し。ということで、昨日は1時間マンツーマンでのみっちり打ち合い。
 最初はとにかく長く打ち続けることが目標となる。回数を数えると上達が目に見えるから、その後のやる気にもつながる。だから指導者側としては、子どもが打ちやすい場所に、返しやすいシャトルを打ち続けることに神経を注ぐことになる。この子は山なりで真上から落ちるシャトルより、直線のシャトルに対してミスが多い。初心者だと、ドライブやドリブン系の直線のシャトルを打ち返す方が得意な場合が多い。それは、たいてい初心者は腕を縮めて低い位置で、布団たたき握りでひっぱたくようにしてシャトルを打つから。まっすぐ向かってくるシャトルの方がコルクにヒットしやすい。
 でもこの子は違った。しっかり頭上でシャトルを捉えている。ではもしかしたらこれもできるかもしれないと思い、前に落としてみた。
 頭の上で、できるだけ高い位置でシャトルをキャッチする練習。そして左足で床を蹴ってから右足を大きく出してネット前のシャトルを捉える練習。この2点をサタクラで全員にノック練習しておいた。ということは、ちょっとコツをつかめば前に落ちるシャトルにも反応できるかもしれない。こうやって打ち続けること1時間。20回以上続けて打てるようになった。
 
 隣のコートでは、手伝いに来た中学生になった元サタクラ生が1年生と打っている。
 そういえば、この子と数年前ここで同じことをした。
 初心者の彼女に続けて打とうと促し、20回打ち続けることができた。それがきっかけだったかどうかはしれないけど、その後その子はジュニアに入部し、本格的に練習することになった。
 
 さらにその隣では、小学生のときにやんちゃし放題だった元川間ジュニア生が、1年生を褒めながら打っている。

 笑っちゃうね、この光景。




家電はそれほど壊れない

2012-11-16 10:19:43 | ライフスタイル
 黒豆をから煎りする。焦がさない様に,丁寧に。その黒豆と胚芽玄米、ゴマ、塩,調味料を米に混ぜて炊く。こうするとすごく美味しい。
 普通にご飯炊くより手間かかるから、気がむいたらやる。
 先日久しぶりに黒豆ごはんを炊く。やっぱりいつ食べても、とんでもなく美味しい。ご飯だけで食がすすむ。これじゃ太っちゃうな、と思いながらもどんどん食べちゃう。
 だから翌日も同じ様に黒豆ご飯を炊く。しかし、どうしたことか。美味くない。全体にパサパサしている。豆も固い。豆の煎り方が足りなかったのだろうか。それとも調味料の具合なのか。翌日普通にご飯を炊く。これまたパサパサしているし、部分的にグチャッとしたところがある。おかしい。次の日水を増やす。新米だから本来なら少し水を減らすところなのに。できあがりは、やっぱりまずい。せっかく長野から大根の漬け物送ってもらったのに、これで美味しいご飯食べようと思っていたのに。
 電化製品は故障する。それはわかっている。でもまだこの炊飯器は新しいように思う。でも何度炊いてもまずいご飯しかできない。思い切って買い替えるか。どうせ買うなら超最新のもので、今までのような一升炊きではなく、小ぶりのものにしよう。もう、すぐにでも買っちゃうもんねと思って電気店に行こうと思うけど、何となく腑に落ちず、即買いする気にならず、そうやって数日過ごしていたある晩。
 ふとひらめいた。
 もしかしたら、炊飯モード設定がずれているのでは?
 確認すると、やっぱり!
 炊き加減「かため」になっている。炊き込みご飯、玄米活性など複雑なコースなど一度も使用せず、いつだって「ふつう」にセットしていたのに、どこかでスイッチを触ってしまったのだろう。炊き具合設定ランプは「ふつう」の下にある「かため」で点滅しているではないですか!

 家電は壊れる。という思い込み。そう言えば何年か前にも、掃除機で同じことがあった。突然動かなくなったから、新しいものを買おうと思っていたら、なんてことはない。ホースがはずれかかっていたのだった。
 パソコンは突然動かなくなる。通じなくなる。こんなことを頻繁に体験していると、家電が突然おかしくなると、それは「壊れた」に結びつくよう回路ができてしまったみたい。壊れたと思った掃除機も冷蔵庫も、その後何年経ってもなんでもなく動いている。

 「普通」モードで炊いた新米は、美味い!
 

指差し点検

2012-11-07 07:47:27 | バネ
 設問をよく読まないで解き、ミスを繰り返す子。こういう子には指なぞりを指導した。
 本読む時に指で文字をなぞる人がいるが、自分はそうやって読んだ経験はほとんどない。指でなぞりながら本読む、さらにはページをめくる時に指をペロってする。この行動がセットになっている高齢者をよく見かけるので、指をなぞるのは一世代前の人の行動パターンと思っていた。
 先日読んだ本で、指でなぞることにより文の内容が理解しやすくなると説明していたことに加え、最近行の折り返しでもたつくことがあったので、指なぞりをやってみた。こうすると行を飛ばしたり、同じ行を読むというもたつきは防げるので確かに読みやすい。高齢者が指なぞりする理由は、眼の問題がからんでいたということが判明。

 さて次は、何度も同じところでミスする子。そのミスを「ほら、また」と途中で指摘してもピンとこない子。昨日やった問題なのに、できない、だけでなくやったことさえも覚えていない子。こんな子に悩まされたが挙げ句、指差し点検を導入してみた。
 やるべきことを指差しながら口に出させる。作業内容を全て声に出して説明するよう促す。例えば、方程式の文章問題の場合、何をxにするかから始まり、式をたてるところ、さらには計算の仕方、最後に解の書き方まで、全ての作業を口で説明させる。ここまでやった後に解くとミスはまったくなかった。このやり方で日頃は解けない二次関数の応用問題にチャレンジした。説明があやふやなところは突っ込みを入れながら最後まで説明しきった後に解くと。正解した。

 さぼっているわけではないのに、テストの点数が伸びない子。勉強の仕方を確認すると、非効率作業を繰り返していることが判明。暗記したい複数の単語をノートに横に並べて書く。こんな風に書き出して何の意味があるのか。どれを覚えたのかチェックできない。こういう場合は縦に書きだすのだと説明。テキストに答えを直接書き込む。更に自己採点した際、正解を自分の書いた鉛筆字の上に赤ペンで書き込む。この作業に何の意味があるのか。自分のミスが見えない。鉛筆と重なるから、正解もよく見えない。更には反復練習できない。こういう場合は、正解は脇に書く。そして不正解は解き直す。

 当たり前と思っていたことを当たり前にやっていない。
 誰でもやっていると思っていた勉強法。口に出して言うほどではないと思っていた勉強法。
 一人一人の状況を指なぞりし、指差し点検し、口に出して説明、これを省略してはいけない。



東へ西へ

2012-11-05 08:51:04 | ライフスタイル
 先日は早慶戦ならぬ慶早戦を応援しに日吉に行ってきました。
 創部70周年の年に60回目となる定期戦。歴史あるんです。折しも千葉市では世界ジュニア開催中だけど、当事者にとっては、こっちもそれなりの大会。
 60年間の積み重ねと流れがあるのでしょう。観戦者の多くはOB,OGの方々だったととみえ、皆がその流れの中にいました。
 久しぶりに間近で娘の試合を見たけど、今までとは違う気分で応援というより観戦。
 男子15試合、女子5試合を終え,関係者とおしゃべりして日吉記念館を後にしました。薄暗くなった銀杏並木を下りながら、1年前ここで受験に向かう娘を見送ったあの日を思い出しながら日吉商店街へ。
 
 日吉は遠い。これじゃ通うどころか、度々帰ってくるのがしんどいのはもっともだ、とちょっと弱気になる。

 上野駅から東側、東京駅から西側。同じ東京でもちょっと異なる。上野駅をターミナル駅とする信州出身者から見ると、東側は楽な場所で、だからというわけではないけれど大学時代そしてその後もずーっと東側で過ごしてきた。西側で生活する縁には巡り会わないできた。東京暮らしのスタートを西側にする機会はあった。寮や学生向けのアパートの紹介はあったけど、西側は家賃が割高だった。スタートを東側にしたのは家賃だけが理由ではない。知り合いが東側にいる、それが大きな理由だったと思う。
 西側で生活する娘は、親より文化圏を広げたという意味で、たいしたもんだなー、と思う。

 
 夕暮れの銀杏並木

 

真田幸村ロマンウォークの記 4

2012-11-02 09:51:55 | ライフスタイル
 朝から突然ネットがつながらない。
 昨日できたことができなくなる。ネットに関しては、こんな大災害の後みたいなことが度々起こる。
 だからバネの風更新できず、パソコン電源も入れずにいたら、夜はつながった。なんなの、これ。
 ということで、本来なら昨日のうちにゴール到着予定が,思わぬアクシデントで1日休みが入ってしまいました。

 ウォークラリーの方は休むことなく、アクアプラザを出たあとも順調に歩き続けるのです。そしてカインズホームの脇の最終休憩ポイントンを左手に見ながら歩き抜けようとすると、「最後の休憩所ですよ。」「麦茶どうぞ。」「飴どうぞ。」テントで待つスタッフの様子が店じまいを足踏みして待つ売り子風だったから、我々は最後の方のウォーカーなのでしょう。「単調な道でたいへんだったでしょう?」とねぎらいの言葉をかけられる。いえいえ、そんなことありません。田んぼ道あり、千曲川あり,アクアプラザありで,それなりに楽しみましたから。
 カインズから上田城までの道の方が単調です。特に見るとこない。アイス買えるところもない。
 葬祭センター駐車場に,喪服の人たちが乗った車が入っていく。助手席の人と目が合う。これからお葬式かな。次に玉姫殿前を通る。駐車場が建物と道路を挟んでいるから,参列者はちと大変そう。履き慣れないピンヒールの靴、風に舞い上がりそうなスカート姿で道を横断しないといけないのだから。だからなのか玉姫殿スタッフは道路脇まで迎えに出ていた。さっきは葬式。次は結婚式。ここは冠婚葬祭ストリートですね。
 そのまま進めばスタート地点となっている上田城下駐車場だけど、コースはここから坂を登り上田城公園へと伸びる。
 「歴史の散歩道」こんな道あるなんて知らなかった。ここも映画スポットかな。白壁、黒塀の路地。でもいかにもって感じで,作りましたって意図が垣間見えてしまうのが残念。ゆっくり写真撮りながら歩こうと思うのに,同行者達はスタスタと歩いてしまうから,遠方に小さく後ろ姿入れた図にしかならない。
 そしてついに上田城公園へ。売店でソフトクリームゲットなるか。前を行く一人歩きの高齢女性ウォーカーは足を引きずってやっと歩いている。靴擦れかな。そう言えば,自分の靴擦れはいつの間にどうなったのやら。追い抜き様に,「あと少しですね。」とねぎらいの言葉をかけるが、市体育館前で記念撮影している最中にその女性に追い越された。公園内は,一般観光客で賑わっていた。最近真田幸村人気が高まっているというから、観光バスで乗り付けるお客さんが大勢いたとみえる。
 この公園は想い出がいっぱい詰まっている。上田球場、市体育館、動物園。城櫓門を見学しようかと石段に足をかけると、入場料300円也。お金払ってまで見ることないか、と登らず。アイスは結局この公園内でゲットできないので,コースを少しそれるけど、最終手段としておいた市観光会館で手に入れることにした。確かここで売っていたはず。ここの二階でウォークラリー申し込みした時、ソフトクリーム売り場を見たような記憶がある。くるみ味とかリンゴ味、長野ならではのものがあれば是非それを食そう。そしてついでに喫茶店でコーヒーでも飲もう。そこで我々一行はコースをそれて、公園前の横断歩道を渡り上田市観光会館へ。店内には確かにアイスコーナーはあった。でもそれはソフトクリームではなく、ジェラートアイスでした。そうだ,ソフトクリームを売っていたのはここではなかった、とその時急速に思い出した。あの日ラリーの申し込みしたその足で海野町の自慢焼き屋に向かいそこで食べたのだ。そしてその後、隠れ家のような喫茶店を発見し、そこで180円という破格の、そして極上のコーヒーを飲んだのだった。
 とはいうもののそこでジェラートアイスを食し、さてゴールへ。とその時、我々一行の一人が「山本鼎記念館に行きたい」と言う。ゴール制限時間まであと1時間あることだから、このまま少し戻るけど絵を見て行きましょう。入場料250円。櫓門の入場料は惜しい気がしたけど、ここはお金払ってでも入りたい。財布を出そうとすると、「ラリーの方は無料です。」そうなんだ。よく見ると、さっきの櫓門も含めコース上の有料施設は無料というのが参加者特典とマップ下に印字されていた。
 油絵は思いのままに色を置けば良いと思って描いてきたけど、最近ちと違うかもと思い始めてい。それは作成テクニックに関する情報が次々と入るようになってきたから。ミクストメディアなる本を紹介され,実際いろいろやってみようと思っていた矢先だけに、絵の鑑賞は以前より多少なりとも込み入って来たかもしれない。記念館の古い木の階段を上る。なつかしいぞ、ここ。小学生の時父の絵が美術展に飾られているのでやって来た。入口正面にあったと記憶する。途中で飽きてしまい、この階段を上り下りして遊んだところ。さぞあの時は皆にめいわくかけたことでしょう。山本鼎作品を見て,やっぱり絵はテクニックじゃない!と行きつ戻りつしそうな自分。早く帰って,顔を描き直そうと思う自分。チャーはその生涯に関心を抱いたらしく、「若いうちに海外行かなきゃダメだな」としきりに繰り返す。若いうちって,これから自分がいくのけ?娘のことけ?と心で反芻。
 いよいよゴールへ。ゴールスタンプ押してもらい,無料のみそ汁を頂く。ぬるい。「火入れ直さなきゃ」ってスタッフは言うけど、火入れる様子はないので、そのぬるくなった汁を人数分頂く。テントで汁頂きながらアンケートに記入していると,後ろのテントのグループが、「私たちが最後だったね」と大きい声で話していたから、我々はブービー賞か。最後の参加者を迎え,スタッフ本日終了モードなのか、ゴールでの様子はあっけない。もっとも皆は明日もあるから,「終わったー」という開放感がないのかもね。そこへ「来年もお会いしましょね」って最初に話しかけて来た女性が笑顔で覗き込んできた。そうか、来年か。その日までお互い健康であること、そして偶然にも再会できることを祈ります。
 来年の参考にと信州鎌倉コースの地図を頂き、実家のある別所温泉へと車で向かう。さすがに疲れた。股関節あたりに疲労がたまっている。これで温泉入れば最高!
 実家でひとしきり挨拶し,寝ることになる部屋の掃除を終え、さて温泉へ。
 信州鎌倉コースはあいそめの湯がゴールになっているから,今行ったら温泉混んでいるのではないか。でもあのコースでしかも20キロだからまだ皆さんゴールしてないんじゃない?などと推測。大師湯に行こうか、など迷った挙げ句めんどうなので結局近場のあいそめの湯へ。
 確かに休憩所は人でごった返していた。ウォーカーらしき人が結構な数含まれていそう。皆歩ききったんだ。この時間でゴールするってすごいね。と風呂上がりくつろいでいる人たちを横目に、脱衣所へ。浴槽の混雑はそれほどでもない。ということはもうすでに風呂はいり終えたってこと?それとも風呂入らないってこと?露天で入念にストレッチしている人、あの人は多分ウォークラリー参加者だろうけど、もし温泉入らないで解散なら、なんかもったいなくない?自分はそれからゆっくり1時間ほどかけて体を癒しあいそめの湯を出ると、ゴールテントのスタッフは撤収するところだった。「こうやっても別所温泉泊まらないんだよね。」の一言がちょっと悲しい。
 夕食は母の手料理かと思いきや、「松茸山に行こう!」と嬉々としている。すでに人数分予約したとのこと。車で向かうこと15分ほどの山の中にある、「二幸園」に到着。ここで松茸づくしを食すことになるのでした。松茸のすき焼き鍋といい、松茸の入った日本酒といい,何から何まで山盛りの松茸。贅沢な夕食でした。
 
 翌朝、大師湯に入り,朝食を済ませ、昨日までのウォーキング支度から街行きに着替え、娘の慶早戦応援に行くためいそいそと出発。
 車を見送る母がつぶやいたのを、私は聞き逃しませんでしたよ。
 「いつも遊んでばかりいる。」

 
 歴史の散歩道

 
 上田城公園

 
 松茸すき焼き鍋