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バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 16 エステポナ2日目

2025-01-23 11:24:38 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
16 1985年9月26日(木)晴れ
午前中麻美が海で泳ぎ,貴重品の番をしながら海の風景を描く。午後は家並みの写生をした。夕食は外でした。


【追記】
この日は疲れたのか,これしか記録を残していない。その代わり油やスケッチをたくさん残している。気になる風景を写真に収めるでなく,その場でスケッチするのが輝流。











No.567 エステポナ(スペイン〕太陽海岸 F3




浜辺のそこここにトップレスの女性が日光浴していた。その中でも中年の白人3人組が目立っていた。二人の女性はトップレスで寝そべり、男性がオイルを塗ってあげていた。
父に荷物番を頼み海に入ると,遠浅の海の足下に鰯やタコが泳いでいるのが見えた。タコと一緒に泳ぐみたいで気持ち悪く,早々に浜辺に上がるとしつこい老人にまとわりつかれた。
「オイル塗ってやるから横になれ」といってしつこい。
父に助け船を求めようと思うが、肝心の父は防波堤で絵を描いている。仕方ないから少し日光浴して,すぐに引き上げた。
街には少し前に日本のサーカスが来たらしく、辻辻にポスターが張られていた。それでも日本人はかなり珍しいらしい。街を歩いていると大人も子供も振り返る。遠慮なく引き返してきて顔をのぞき込む男性もいた。遠慮がない。子供たちは「ハパン、ハパン」と声を合わせて後を付いて回って来た。なぜ日本人と分かるのか不思議だったが、昨日の洋品店のおじさん辺りから聞き出したのだろうか。
夕食にレストランに入ると、付いてきた子供たちがさらに友達を呼び、店の前でたむろして中をのぞき、一挙手一投足に一々歓声上げていた。
夜遅くなってもまだ外は明るく,通りでは子供たちが遊ぶ声がいつまでも響いていた。道路にチョークで線を描いて遊ぶ様子は,自分の子供の頃昭和の風景だった。
この日の父の日記はほとんど記載がないが、帰国後、海辺で寝そべりオイルを塗ってもらっている女性の様子を作品にしている。
「地中海の女」である。(S100)この作品の覚え書きが残っているので,併せて掲載しておく。

No.1「地中海〔アンダルシアの女)S100
2/3(1986.2.3) 【描きたい絵】
「スペインの南端エステポナで麻美が泳いだ。貴重品、衣類見がてらに防波堤の突端で湾越しの街並みを描くためイーゼルを構えた。描いてしばらくしてうしろむくと描いている背後1㍍そこそこの距離に年の瀬30歳は過ぎたか接客婦にもみえる女性二人が寝ころび、そこに側立つようにして男がいた。男は女よりも年若く、ひげを携えている。
女二人ブラジャーなし。下の方は細いT字形パンツ。
 女は代わる代わる男にマッサージさせている。30を超したスペインの女は、はぶたいもちのようにぶくぶくだ。おまけに日焼けした肌が怪物のようにマッサージで動く。乳首は梅干しで黒い。一方砂浜では40過ぎの女がノーブラで砂に寝て日光浴をしている。先の二人の女達よりまた異様な怪物様だ。焼け付く地中海の太陽の海と女達。このような様を絵にしたい。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 15 コスタデルソル、エステポナに到着

2025-01-19 11:48:54 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
15 1985年9月25日(水)晴れ

寝台車の中でワイン飲み過ぎて喉が渇き、3時頃目が覚めた。その後、6時頃までずっと眠った。こっちに来てからマドリードより朝明けるのが遅く7時半頃で、夕日の落ちるのは8時過ぎである。
夜が明け始めると、車窓からの風景が目に入ってくる。山間を進んでいた太陽が雲間に顔を出した様子はいかにもスペイン国らしい。荒々しさを感じ、これから着く最南端アルヘシラスの風情を感じ得ない。昨夜列車内の飲み過ぎた今までの疲れなのか,体の調子が狂ってくる。

アルヘシラスは漁と観光両者を兼ねた漁港でアフリカへ渡航1時間のところである。

駅から今日宿とするエステポナ村までバスに乗るのだが、バス停見つけで苦労する。ここではフランス語がほとんど通じない。
13キロのリュックを背負って暑い中30分は歩いた。

エステポナの町までバスで1時間で着いた。海水浴客で賑わう街で海岸は高級ホテルがひしめくように建っていた。

宿は一つ星のホテルが見つかった。
早速麻美は水着に着替え海に入った。午後一時近くだったが,泳ぐ人の姿はあまりなかった。







夕方は明日描く場所探しに本通りを北に入って、民家のある通りを歩きまくった。教会を除いては全て白い漆喰の建物である。
夕方だったので家の戸口の脇に老人が椅子を出して休んでいる光景があちこちに見られる。半分壊れた椅子に身を斜めにしてぽつねんと腰掛けている老人もいて,印象的であった。町並みや老人を何枚もカメラに収めた。カメラを向けるとポーズを取るものもあれば,嫌う人もいた。

宿は壁塗り職人の人たちが多く泊まっていた。ホテルのレストランで食事すると、皆の関心がこちらに集まった。


ポーズを撮る老人 

いつまでも明るい

【追記】
アルヘシラスからエステポナまで地中海に沿ってバスは走った。私の記憶では2時間くらいだと思うが,父の日記には1時間とある。座席は海岸側で最初は景色を楽しんだが,ずーっと単調であり、直射日光が厳しかった。後ろの席の人と無言でカーテンを取り合いながら日差しをよけた。

エステポナに着いてまず洋品店に駆け込み父は真夏の衣類を購入した。店の主人が、「そんな格好じゃ暑いべ」と言いながら,半袖短パンを見繕ってくれた。
ホテルは海岸沿いの安そうなところに決めた。入り口にシェパードが寝そべっていて,それをまたいでカウンターで手続きした。
坂道の路地突き当たりに老人が壊れかかけた椅子で夕涼みしていた。もう何年もそうしてそこにいるかのようなただずまいだった。写真を撮らせてほしいというと拒絶されたが,他の老人二人組は「俺たち撮っていいよ」と手招きしてポーズまでしてくれた。最初に断られた老人のたたずまいは非常に絵になっていたので,後で遠くから1枚撮った。


父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 14 マドリードから寝台車でスペイン最南端へ行く

2025-01-14 13:56:38 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
14 1985年9月24日(火)夕立あり

4日間使ったホテルを11時に出ることにして、朝の間にホテル窓越し風景をサム号に油で描く。
トレド橋の時はホワイトを使わないでやってみたが、今日は白を沢山くれて描いた。おもしろいのができた。西洋の建物では白が必要とされると思った。ただ、ホワイトの乱用にならねばよいが。





No.513 SM マドリードホテル窓より

正午には王宮の見学をする。時間待ちして入ってはみたが、各ツアーごとに英語ガイドがいて、一般の旅行者なるもには勝手が利かず、少し見るだけで出る。

ゴヤパンテオン横のレストランで昼食


マドリード王宮前

近くに華麗な壁面のゴヤ美術館なるものを見つけて入った。教会が美術館になっていて、部屋の上段にゴヤの墓らしきものが置かれ、天井壁画が素晴らしい。プラド美術館で見たものより色彩が生々しく新鮮だった。美術館を出る時夕立に遭った。暑い日続きたっだから、気持ちよかった。

スペイン最南端のアルヘシラスへ行く寝台車に乗るために、夜食を買い込み、マドリード駅へ戻る。
向かいのホームから出る同じアルヘシラス行きの普通車に、黒人の若者たちがひしめいていた。荒くれ者の囚人列車を思わせる様相に麻美は恐ろしがって行くのを取りやめようかと言いだした。予定の寝台車に乗り込む。勝手のわからずまごつく。
アルヘシラス行き寝台列車で夕食
寝台車ではフランス人の親子三人が同室となる。やたらとしゃべりまくる親子だった。列車は定刻の午後8時20分に発車する。フランス親子は一行に夕食の様子がないので、麻美とワインで済ませ、3階に登って寝てしまう。




【追記】寝台車は初体験だった。マドリード駅でアルヘシラス行きのホームにたどり着くと、途端に辺りは黒人だらけになった。ホーム全体が薄暗かった。向かいのホームから出る列車車両には人々が張り付くように群がっていた。ホームでは大声で話したり歌ったり、奇声を上げたり。なかには手招きして「こっち来て、この車両に乗れ」と話しかけてきたりする人もいた。アルヘシラスへ行くのをやめ、明るいマドリードのホームに戻りたくなった。私たちが乗るのは向かいから出る寝台車だと分かると,彼らは「あーあ」という様なことを言って誘うのを諦めた風でほっとした。
寝台車同室はフランス人のおばさんと中高生くらいの娘二人。フランス語を話す人でしかも女性でホッとした。3段ベッドが2列の6人乗りコンパートメント。最初は全員が1階座席部分でおしゃべりしめいめいに過ごしていたが、フランス人の母親に私たち二人に3階ベッドを譲ると言われ,父と私は嬉々として上に登った。まもなくそれはまちがいだとわかった。上はとても揺れる。あの人たちはだからいつまでも動かないで下にいたのだと後でわかったが仕方ない。一晩中、3階から振り落とされないように気をつけて寝ることになるのだった。