バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

座ったかかしはいない。

2012-09-17 07:44:46 | Badminton
 9月に入って最初のサタデークラブ。まだまだ暑いからどれだけ集まるかと思いきや、ほぼいつものメンバーが出席した。
 二階も下窓も、扉も全開にする。風が入ってはいけないからってバドミントンは閉め切ること多いけど、こんな日は開けた方が良い。風で流れるなら、それにあわせて打てば良い。といわけで扉も大きく開け集合すると、正面にかかしが立っていた。プールと体育館の間のスペースにある小さな田んぼに大きなかかしが一本ぬっと立っている。これでいこう、と思う。サタデークラブ生には飽きず、楽しく、さりとてバドミントンに有意義となるようなトレーニングを最初に入れる。今日は何やろうかなと考えていた時に、かかしが目に入った。
 体操終わったので、全員「かかし」になるようにと指示する。すると何の説明しなくとも、全員が片足立ちで両手を広げた。その姿勢のまま鬼ゴッゴ、名付けて「かかし鬼ごっこ」開始!これは、予想以上にきつかった。モモにくるし、ただ走るのと比べると数倍息上がる。
 
 この日のサタクラには、初期の川間ジュニア生がコーチとして参加した。「久しぶりに打つしラケット持っていない」、とはにかみながら体育館に入って来た。そして、初参加なのにすぐさま子ども達に取り囲まれていた。残念なことに、子どもって少しでも若い人がいいんだよね。それはそれとして、その子曰く、「教えるって難しいです。」
 初日で「教えるの楽しい」って言われるより、「教えるの難しい」と言われる方が良い。それが次に教え方の工夫につながるのならば。

 体の動きを説明する時にわかりやすくするために「○○みたい」と言うことが多い。例えばオーバーヘッドストロークでキーになる左手は、二階のカーテン開ける様に動かす。そして左手でつかんだ綿アメを口に入れる。こう説明するとだいたいイメージ通りの動きをしてくれる。ヘアピン打つ時は、左手は出前持つ様にすることと言うと、これは伝わらない。子ども達は「出前?」となる。ど根性がえるのウメさんスタイルのこと指すんだけど、この出前は子ども達と共通語ではない。「かかし」と言ったら全員が同じスタイルがとれるように、ユーモアがあって一言で体やラケットの動きなどを伝えることができる、説明語。さしずめワンピースあたりから探れば良いのだけど、一度も見たことがないから何も浮かばない。そもそもワンピースでは古い?
 子ども達に年齢が近い20代コーチから、思いつかないような「説明語」が出てくることを期待。


学習単元引退させないために

2012-09-14 08:35:20 | バネ
 小学生から高校生までが一つの教室で一緒に勉強するのがバネの特徴。一応各自の通塾曜日や時間を決めてはあるけど、それぞれの都合で随時やってくるので、このような混成学級になってしまう。そしてこのクラスがラスト問に突入するとなると、全員が同じ問題に一斉に取り組むために一番下の学年にあわせた出題となる。例えば6年生がいるときは時計算や扇形の面積計算などで、中1が一番下なら、時差計算など。
 終了15分前くらいになると「今日のラスト問なに?」と誰かが言い出す。あと10分なのか、5分なのか。残り時間に応じて難易度を変え出題する。難易度が高ければ高いほど、たいていは小学生向けの出題なら正解者トップは小学生になる。それは直近まで同様の問題に取り組んでいた現役生の強みっていうもの。例えば円を使った問題。中学生にはπを使わないようにというだけで、小数計算でアタフタしている。πで計算しておいて,最後に3.14かければいいじゃないかと言うと「なーるほど」、「先生、頭いいー」って、文字式計算しているだけでしょうが。小学生だっていちいち3.14をかけているわけじゃなく、共通を外に出して最後に一度だけ3.14かけているから、文字式計算と同じことしているんだけどね。中学生が解決の糸口見つからず、いつまでも教室内が空にならないときはヒントを出す。チョロっとだして一人正解、さらに出して二人正解。最後は計算式書き出して、もってけ泥棒状態にしてようやく全員正解となる。やれやれ、この子達、数年前この問題ここで勉強したじゃん!って思いながら、式を書く。
 多くの学習単元を引退させず常に現役でいさせるためには、このように振り返り学習を随時取り入れなければならない。

 現役は強い。
 何事においても、いかに現役でい続けるか。
 

芸術は調和

2012-09-12 07:23:58 | 
 小学6年生達.修学旅行シーズンでポツポツと欠席が見られる。関東地方の小学生の修学旅行先は,日光。そう言えば先ほど日光に行った際、柴又のトラヤ風の店が,黄色い帽子で埋まっていたのを見た。
 まだ残暑厳しきおりなのに,日光は観光客で賑わっていた。しかし我々の今回の日光行きの目的は観光でも東照宮参拝でもなく、小杉放庵美術館で「中村直人(なかむら なおんど)展」を見ること。
 団体客や外国人がひしめくメインストリートを抜けたところに、目指す美術館があった。
 父の伯父にあたる直人さんは洋画家として知られているが,最初は彫刻家を目指していた。その彫刻時代の作品を中心に集めた展覧会だった。日本全国に散らばる、また個人所有の物も集めたとのことで、初めて見る作品が多数あった。
 入口の1室は小杉放庵の作品。その先2室目から直人さんの彫刻が並ぶ。生きているかのような立像。生活する人間像。ダイナミックさに圧倒されるというよりも、意外にも、作品はコンパクトにまとめられているなという印象をもった。デフォルメで奇をてらう作品はない。しかし1室見終える頃にわかったことがあった。
 生活者であることを思わせる立像。木々や空を感じさせる鳥。こういった被写体の心とその背景、そこに作者の心を含め,これらのバランスを保ち表現することこそが芸術の極意であり、それができるのが芸術家なのだと。見るものの心をざわつかせる事なく,腑に落ちるものにしてくれる。こうやって直人ワールドに引き込まれた頃、気づくと館内は込み合ってきた。直人ファンなのか、作品批評しながら熱心に見ている人がいた。
 直人さんの彫刻作品は子どもの頃うちにあった。床の間に置かれていたので,毎日見ることはなく目にしていた。このバランスはいつも目にしていたことになる。だからなのか、バランスよい作品というのはあまりにも当たり前なものになっていた。むしろ物足りなさを感じていたかもしれない。
 自分で絵を描く様になって,バランスがとれてちんまりまとまりそうになるのがいやで、故意に壊す。すると全体の調和が崩れるので,直す。そして壊す。そんなことを繰り返し,最終的には仕方なく落ち着きまとまった作品になる。それに対し、「よくまとまっている」と評されるが、このおとなしさが厭だった。しかし今わかったのは「まとまる」ことの大切さ。作品は見る人の心との調和も大切であり、そう言う意味で全てのバランスを保つことのできる作品は優れているものである、ということ。子どもの頃に目にしていたあの像が浮かんだ。
 美術館を出たその足で,日光彫り体験館にむかった。我々一行は直人さんを気取って作品を作ることになった。係の人が彫り方説明してくれているのに,皆もうすっかり芸術家気取りで自分の図案づくりに没頭。購入した板に鉛筆で線を入れ彫っていく。ただそれだけのこと。しかしこれが難しい。まず道具の使い方。力の入れ具合や角度で線の勢いが変わる。彫った線のやり直しがきかない。彫り過ぎたり,太すぎたり。細すぎた線をなぞり,迷い線になってしまったり。何より、何となく変。要するにバランスが悪い。うまいものを作ろうと思うプチ芸術家達は,皆気をてらおうとしていた感あり。せっかくバランスの大切さを実感したところなのに。



本当が一杯詰まったフィクション

2012-09-11 07:33:21 | バネ
 4月から始めた,文章読解コース「パンセ」。
 夏休みに入るまでの3ヶ月を終えた成果確認として、そして夏休み中の課題として,童話をコンテストに応募することにした。
 挑戦する小学生に、夏休みに入る前ストーリーの構想を確認した。コンテストへの挑戦は1月前から話してあったけど,進む糸口が見えない。形になるのだろうかという不安を抱えたまま,夏休みの宿題として渡すことになった。夏休み中はパンセは休みなので,次ぎにこの子に会う9月は、応募の月になる。休み期間中進捗状況を確認する。「本人喜んで取り組んでいますよ。」とお母さん。
 そして迎えた9月の授業。早速書き上げた作品を読ませてもらった。
 さてその作品はいかに。
 事件が起きる。解決する。そして読み終えて,心がほっこりする。素晴らしい作品ができていた。「男の子ってすごいですね。書き出したら一気に書いちゃったんですよ」と再びお母さん。内容もさることながら,その書き上げた姿に感動したらしい。

 期待をはるかに越える出来。だけど一気に書いただけに随所にわかりにくい部分がある。説明を入れた方が良いと思われる箇所には、本人に確認しながらほんの少し直しを入れた。

 ALWAYS三丁目の夕日は当時の日本を上手に表現しているけど,その時代をリアルに生きた人から見ると不自然な箇所があるらしい。「おひさま」や「梅ちゃん先生」なんかでも実に細部までこだわっているようだけど、「なんかちがうんだよな」ってところがあるのでしょうね。60年代の映画には作り物でない当時がリアルにある。それと比べると確かに今作った映画には当時のザラッと感がない。時代考証し細部にこだわっても、表現しきれない当時があるというのは当たり前なことだけど、人々の体型の違いは大きいですね。
 それと同じ。子どもを主人公にしたお話しを大人が書く場合、どこかリアル感が出ないでしょう。当時を思い出して作っても,表現しきれない物がある。
 ということで、リアル小学生が表現するリアルな現実。これには、降参。
 

すれ違いは一瞬の出会い

2012-09-03 12:11:16 | ライフスタイル
 バンの散歩を朝同じ時間に同じコースを使うと,同じところで同じ人とすれ違う。広い世界で点と点がぶつかる瞬間が毎日繰り返されるって、すごい。ほぼ同時刻にバン連れて家を出たとてしても、道中臭いチェックが入念な日もあれば、ダーッと走り抜ける日もある。にもかかわらず同じ場所で同じ女子部員とすれちがう。先方にしてもいつも同じではないだろうに。自転車をこぐスピードだって変わるだろう。そしてすれ違う瞬間,彼女はきまって、風に煽られ乱れた前髪を整えようとする。いつの同じ仕草で会釈して通り過ぎる。そんなことが何回か続いたが、最近はすれ違わなくなった。その子は,ワンステージ上がり、朝練に参加する時間を早めたからとのこと。

 夏休みが終わり,今日から通常時間となる。
 さて朝のバン歩するか、といつもより少し遅い時間に出発。このタイミングだといつもの犬おじさんに会えない。30分遅いから、登校や出勤の人や車が多く,歩きにくい。細い道を猛スピードで車が通り抜ける。バンは道の左右臭いチェクに夢中でジグザグに走るから,後ろから通り抜けられると非常に危ない。やっぱり明日はもっと早い時間にしようと思いながら歩く。

 いつも通りのコースで,学校の正門前に通りかかると、おーっと前方からラケットバックを自転車に乗せた坊主頭の少年が。こちらに気づいたらしく遠方からニコニコしている。次の瞬間、さらに前方からチーバくんTシャツ来たランニング女子高生がやって来る。見た目より、走りが軽い。正門前を取り過ぎ,向かいの中学校裏手に回る。この道には側溝のフタの隙間が大きく空いている箇所がある。先日バンは下半身落としてしまった。いつもなら上手にまたぐのに,こういう感覚鈍るって、もうそれなりの年なんだなとしみじみ。ももが上がらなくて階段踏み外す高齢者の図。
 この道を抜ける角の大きな木の上にはカラスの巣があるらしく、頭上でギャーギャー叫ばれるときがあるから、この角を通り抜けるときは頭頂部に神経集中しないといけない。何かの拍子に急襲されないとも限らない。土手に行くと野良犬が追いかけてくるように、カラスが近づいて来るということは大いにある。などと思っていると,目の前を低空飛行するカラスが。ほら、やっぱり。上方に気を配りながら、さりとて目を合わせない様にしながらコーナーを曲がる。と、登校するテツとバッタリ出会った。カラスに伸ばしていたアンテナのスイッチが、スッと切れる。
 テツはすれちがいざまにニコニコ、いやニヤニヤ、いやニタニタした。

 この時間も悪くない。
 明日も同じところで同じ顔を見られるかな。


切羽詰まるとわかること、できること

2012-09-02 09:36:19 | ライフスタイル
 8月の更新1回しかしていない!そして気がつけば9月はもう二日目。なんたることか、っていう早さで夏休みが過ぎてしまった。

 40日間。これは1年の1/9。何かをやろうと思えば,かなりの何かをやりきることができる長さ。 
 ではこの40日間に何をやったか。ブログさぼった反省を込めて,夏休みの反省をすることにしましょう。

 夏の成果と言えば、何を置いてもまずは夏期講習。これは本業なんだから当然なんだけどね。最終日頃になって指導の手応えを感じ始め、それが生徒の表情に見て取れる様になり、さらに数字となって表れ、まずまずです。その他計画していた諸々のことも、ほぼ予定通りこなすことができた。例年より計画達成度高い、ように思う。計画の中には、長年完成できずにいたことがいくつかあり、これらが一気に片付いたので達成感はとても大きい。今夏のポイントの高さを自己分析すると、とにかく形にするためにサッと行動したことにある。あーでもない、こーでもないと思い悩まずむ思いのままを勢いで文にしてしまうように、一気にアウトプットすることを心がけた。もとも下調べは十分できていたのに、最後のつめで躊躇して勢いを落としていたわけだから、とにかく形にすべし!という気持ちで取り組んだ。それも期限をつけて。今日はこれを仕上げる,と決めたら何が何でもその日のうちに終える。終えたら気持ちリセットして翌日はこちらと切り替える。夏休みの宿題をためこんで、残り3日で仕上げる時の感覚と一緒。座敷にこもり、座卓の回りに課題(宿題)を放射状に並べる。端から取りかかり,順々に終了させていく。時間ないから、見直すなんてことできないし、追求もできない。とにかくやりこなすことに専念。「あー、こんなことならもっと早くやっておけば良かった」と後悔している時間ももったいないから、一切の邪念を捨て,今あるこの宿題を終えることにのみ徹する。

 こんな夏。よくやったと自画自賛できる夏。なのに8月31日を迎えても、ずっしりと心に重たい物がある。それは、一つ予定通りできなかったことがあるから。

 それは絵。

 仕上げる予定だった絵。まったく筆を入れられなかった。
 油絵を始めて試行錯誤しているうちに、いくつかの技法を身につけた。その一つとして、意図的に色を重ね,その色の効果を狙う。そんなことがわかる様になったら、絵は一定の時間をかければ描き上げることができるモノになっていた。夏休みの宿題をこなす様に。
 夏休みに入ってすぐ、実家の物置から出てきた父の絵。その色,タッチに愕然とした。
 すぐにそれを自宅に運び込み,毎日眺めている。
 描きかけであるだけに、そこからいろいろなモノが見えてくる。そして、そう簡単に絵は描けないということがわかってきて、自分の絵に筆がいれられなくなった。それでも昨日は無理矢理描くことにした。なぜなら、それなりの締切りがあるから。でも進まない。絵を前にして,頭をかきむしりたくなる。
 
 そしてこう考えた。
 最初に描いた絵を見てみようと。
 初めて油絵を描いた時、おそるおそる絵の具を置いた。素のキャンパスが色を吸い込んでいく。ナイフで色を伸ばしてみた。乾いた絵の具に色を重ねてみた。一つ一つが感動だった。そこに計算はなかった。ただひたすらに,被写体と格闘して描き上げた。
 そうか,これだ,と何かわかった気がする。
 これこそが今夏の成果なのかもしれない。