バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

高校入試を終えて、バネ一休み

2024-03-07 11:18:53 | 学習教室バネ
最後まで諦めないで、なんて言い古されたありきたりな表現だけど、実を伴うと、とても重い。

今年も受験生と共にその実を求めて過ごした。
1.2月はずーっと授業だった。土日祭日、朝から夜まで。
5教科の予想問題を入試形式で何度もやった。
点数の記録を取ると、少しずつ上がっていくのがわかる。受験生達はその変遷を励みに最後まで乗り切った。
明日は受験という日の残り15分。何か気の利いたことを言うよりも少し神がかったことをしてみようと思い、
「明日の問題あてるから。ここが出る」
などと言い、プリント1枚出した。それは全くのヤマカンではなく、過去問や出題傾向から判断したものだが、「これやればいいんだね」と溺れる者は藁をもつかむ心境の受験生達はカツカツと問題を解き、答え合わせし、それが最後のエールとなり送り出した。
結果を言うと、その問題が大当たりだったのだが。

合格発表の日。
連絡を待つ。
「先生、受かりました-」
この瞬間のために、塾やっていると言っても過言ではない。
全員から合格の連絡もらい、ぽかぽか陽気の清水公園へブランを連れて出かけた。
公園内は犬連れが多く、フレンドリーなワンちゃんと飼い主としばし談笑し、時間を気にすることなくゆったりと散歩した。

自宅で塾を始めて28年。
「先生がみんなに暗算勝てなくなったら塾辞めるから」と生徒達に公言しているように、それなりにぼんやりしてくるまで続けるつもり。
4月からまたどんなドラマがあるのか。
新規入塾生の顔を思う浮かべて学習計画を立てながら、「受かりました」の弾む声を聞く日を楽しみにして1年を過ごそう。

「輝クロニクル第一期展」パンフレットより

2024-01-11 15:41:15 | ギャラリー輝
1/13から始まる、ギャラリー輝の企画展「輝クロニクル第一期展」パンフレットを作りました。
企画展の趣旨と展示作品のうち大作の解説をで構成されています。

パンフレットより企画展のご案内を転載いたします。




 池田輝は生前、「俺の絵はどうするだ。焚き付けにでもするだか」と私に問いました。じっとのぞき込んだ父の目は鋭く、その答えを見つめていました。「まさか」と応えるのが精一杯だった私はその時から大きな課題を背負いました。今も、あの時の射るような父の目と無念の情が私を突き動かし続けます。
 倉庫に詰め込まれた作品の数々の記録を取ることに3年かけ、2021年にギャラリー輝をリニューアルオープンし現在に至ります。
 ギャラリーや美術館の体は取っていますが、展示の専門知識はありません。毎度思考錯誤、四苦八苦で何とか展示を続けています。作家や作品への解釈途上につき、当初展示を躊躇していた際、「わかっているところから展示していけば良いよ。間違っていたら訂正すればいいんだから」と優しく背中を押してくれる人がいました。その言葉に甘え、今わかっていることを精一杯表現しております。

-上田クロニクル展-と合わせて展示
 
 上田市立美術館と梅野記念絵画館にて開催される上田クロニクル-上田・小県洋画史100年の系譜展と同時開催いたします。
 上田クロニクル展では、池田輝の鹿苑会時代の作品、初期から春陽会会員推挙(1973年)までの4点が展示されます。この展示を機会に当館においても、池田輝の初期の制作を更に深くご紹介いたします。
[上田市立美術館にて展示]
①裸婦 1957年25歳 P15
②馬に乗る 1973年41歳 F60
③一人 1974年42歳 F80 春陽会会員推挙
[梅野記念絵画館にて展示]
④遇話 1968年36歳 春陽会研究賞、鹿苑会岡賞
 この企画展に触発され、改めて作品を制作順に紐解き、さらにその時代背景等を重ね合わせることで、画業と生き様を深く掘り下げることができました。この企画展をきっかけに、今年91歳になった母から若き頃の父の様子を聞き出すことができたことも大きな収穫です。母の様子から、断片的に残る記憶がリアリティを持ってつながり、作品一つ一つに父の姿を重ねることができました。

デビュー期のキーワードは『自由』

「俺に自由に絵を描かせろ」

 随分乱暴な言葉ですが、養子に来る際、母に言い放ったそうです。母曰く、当時は戦後で男が少なく、ましてや養子にやって来る父が「威張っていて当然」な時代だったそうです。そ れまで貧しく画材が買えず自由に絵が描けなかったが、教員となり結婚し商店を営む家に婿養子にやって来た父は、給料は全て画材に突き込むほどの勢いだったそうです。要するに絵を描く自由を手に入れたのです。母曰く、「まるで好きなことをしに来たみたいだった」。借家の和室の一角、4畳ほどの空間を畳を上げてアトリエとし、十分なスペースとは言えないまでも夢中になって自由に描き始めました。
生涯の制作を紐解くと3つのステージに分けられます。
第1期 初期から春陽会準会員となるまで
第2期 春陽会準会員後から教員を退職するまで
第3期 教員退職後から画業を閉じるまで
 今回の展示は第一期展です。
 鹿苑会入会、そして春陽会入選、春陽会準会員推挙までおよび水彩画を含めた大作10点、小品24点を展示しております。(「馬上の人」は常設展示)
 絵を描く自由を得た作家は、ため込んでいたイメージを手当たり次第具現化していった様子が伺えます。作品のモチーフは、近隣風景、静物など身近なものが多く、ほとばしるデビュー感が溢れています。技巧を凝らすことはなく、また画面の整理を進めず、思いのまま自由に描いています。当時から絵の具をふんだんに使い、色を重ね目指す色を作り出しています。しかし池田輝独特の赤が生まれるのはこの後のことです。

自由に絵を描き、制作への思いがほとばしる作品の数々をご覧下さい。

大晦日に蝶が舞う

2024-01-08 10:55:22 | ギャラリー輝



不思議で幻想的な光景に出くわした。
それは大晦日の晩、皆が揃って乾杯しようという時に、突然部屋の中をモンシロチョウが舞ったのだ。
皆が歓声を上げる中、並べる料理の上を、そして部屋にいる7人の頭上をひらひらと舞い続けた。

「チョウは亡くなった人の使いだ」と何人かが言った。
スピリチュアル得意な私なのに、それは初耳だった。何よりスピに無頓着の夫までが言うから驚いた。

上田市立美術館と梅野記念絵画館にて、上田クロニクル展が開催される。その展覧会に父の若き頃の絵が4点展示される。
学芸員の方と連絡取り合ううちに、企画展の作り方、作品解釈の仕方など展示の神髄に触れることができた。それを参考に池田輝作品の再考査をした。
その結果、画業50年を3期に分け、今回上田市立美術館と梅野絵画記念館の展示と期間を合わせ、ギャラリー輝で「輝クロニクル第一期展」を開くことにした。

大晦日に一族が集合した。
年末年始を過ごしにやって来た遠方に嫁いだ娘の夫や私の夫ら、男手3人で夕刻から大作掛け替えが始まった。
小品は既に展示し終えていたが、大作は男手が最低3人必要だ。
大晦日で一族集合するこの機会に展示替えすることにしていた。
私はと言えば、前日から準備していた大晦日の料理が一段落したので、男達が力仕事をしているそのすきに企画展のパンフレット文面を打ち込んだ。

パンフレットには父の制作秘話、それも若いときの話を中心にまとめたものを載せたい。
一月ほど前から91歳になる母から少しずつ話を引き出し、そこに兄の記憶を加えることで、私の思い出話だけで作るものとは比べものにならないくらいリアリティあるストーりが作れたのだった。
この文章を添えて作品を観ると、絵を描いている父の姿が浮かんでくるようだ。
母から聞き出した話は父の暴露話が多く、これは今回の作品解釈に必要な内容だか本当に文章にして良いのか、また間違いはないのかと印刷する前に母に確認しておくことにした。

居間でこたつにあたる母に私が読んだ文章を聞いてもらう。
じっと目をつぶり、一字一句耳で校正している。
全て聞き終えると、「おまえ、文うまいね。よくこれだけまとめたね」
この話が公開されることに多少異議を唱えるかと思いきや、全く問題は無いという。それどころか、「いかに私は当時たいへんだったか」と思い出話の追加が始まった。これらが載せられて恥ずかしい思いをするのは父だけなのかも知れない。
こんなやりとりを終え、母からひとしきり褒められ、パンフレットがあらかたできたことに充実感を味わい、こたつに料理を並べ始め、展示大仕事が終わった夫達が居間に集合したその時だった。

白いチョウが舞った。

「テルさんが喜んでいるよ」と夫。

やりたい放題だった若き頃の話を公開することを父が認めたのか。
倉庫にしまいっぱなしの力作を展示したことを喜んでいるのか。
それとも、力仕事を終えた夫達をねぎらったのか。
なんだか幸せな気分に包まれた大晦日だった。

先を照らす明かりが欲しい

2023-10-11 15:24:37 | ギャラリー輝
先日、上田で長く営業していた画材店「遊美」さんの店主が亡くなった。
困ったときの遊美さんで,頼りきっていた方だけに陳腐な言い方だが,本当に心にポッカリ穴が空いている。

あれは中学生の頃だっただろうか。
上田の海野町に大きな文具屋さんがあり、そこは画材も豊富で度々父に連れられて行った。
ある時店の奥の部屋から出てきた青年を「この人にいつもお世話になっているんだよ」と紹介された。それが先の店主、遊美さんだった。
その後独立し,画材専門店を開業されたのだった。

父は上田に用事があると,いや別に用事がなくても絵を描く合間に午後になると上田に出かけていたが,その都度遊美さんに立ち寄っていた。
店内をぐいぐい奥まで進みまるで我が家のようにくつろぎ、コーヒーをご馳走になっていた。
そこは芸術家のたまり場で,そのテーブルにはいつも誰かしら知り合いが居て,居心地の良い空間だったのだろう。
父が佐久で個展を開く際、プロフィールを作るために遊美さんでワープロ借りることになった。ワープロの機種により操作が異なる。書式設定だの修正だのと戸惑いながらカチャカチャ打っていると、父は「おい、まだか?」なんて言いながら奥で仲間と談笑していた。遊美さんはその間に立ち,時折様子を見にやって来た。その空気感は遊美さん独特。

父から色々聞いていたらしく,遊美さんは私のことをよく知っていた。
そして私のことを「おねえちゃん」と呼んでいた。
いつ頃までそう呼ばれていたのか。
いつの間にか「おねえちゃん」とは呼ばれず、かといってどう呼ばれていたのか思い出せない。ねぇとか、あのでもなく、それで会話が成り立つフワッとした空気でつながることができていた。いつだったか呼び名が必要になったときに、おねえまで言いかけてやめたことがあった。
ゆるりと会話しながら、そしてぴしゃりと色々アドバイスしていただいていた。

聞きたいことがあったので、電話した。店の固定が出ない。携帯も出ない。なんだか無性に心配になり店舗に駆けつけると「調度今絵を運んで帰ってきたところだよ。電話鳴ってるの知ってたけど,出られなかった」
トラックで運送するほどお元気なことにほっとしたが,なんだかとても疲れている様子だった。
その後額選びしてもらい,受取に行き、それが最期だった。

絵に合わせて額を選んでもらうことはもうできない。
輝さんならいつもこうしたよ、とさりげなく道を照らしてもらうこともできない。
おねえちゃん、と呼んでもらうことなんかもうできない。

おもしろいから残る

2023-10-07 13:51:11 | Badminton
小学生対象の放課後バドミントン、「アルファクラブ」で子供達に人気のメニューの一つに「正座バドミントン」がある。
その時のメンツに応じて最後の30分のメニューに組み込む。
「じゃ次は、せいざー!」って指示すると、
少し前は「わーい、やったー,土下座だー!」と返ってきたが,最近は「わーい、やったー、王様だ!」
と返る。
いつの間にかネーミングが変遷している。
この正座バドミントンとは、野田ジュニアをやっていた頃始めた遊び型の練習だ。
子供達が多い。レベル差が大きい。面数が少ない。さらに子供のノックのお付き合いに飽き飽きし打ちたくてうずうずしているお父さんコーチがたくさんいる。体育館の中がモヤッとしていたとき、残りの10分で皆が一緒に盛り上がれて,最後ハッピーになる仕上げメニューとして思いついた。
やってみたら非常に盛り上がるし、上級者に交じって初心者も活躍することもでき、大人もそれなりに汗かける。
これを「正座バドミントン」と命名した。
その後他のジュニアチームやクラブで採用されたのだろうか、いつの間にか名前が変わっていた。



先日バネにきた小学生達が声をそろえて歌を歌い始めた。
歌いながらチラチラこちらを見ている。リアクションを期待しているっぽい。
その歌はメロディは違うが歌詞はまぎれもなく「キンタの大冒険」だった。
「それってキンタの大冒険でしょ?」って言うと、
「なーんだ、先生知ってたんだー」

どちらもネーミングやメロディは変われど,変わらないものがあるってことですね。

ということは、正座バドミントンはキンタの大冒険の歌詞に並ぶのかー!

光栄です。

ブランの大冒険

2023-09-06 13:30:34 | 風 白(バンブラン)
9月最初の授業。
夏休み明けで久しぶりに会うと、小学生達背が伸びている。
今日は一斉に、10月にある漢字検定のモギテストやる日。

低学年クラス終了まで残り5分。
そろそろ次のクラスの高学年生が入ってきて、迎えのお母さんが来る頃。

「先生、ブランいる?」
と迎えに来たお母さんが慌てた感じで入ってきた。
えっ?いますよ、ほら、ここに。
と指さした足下にいない。じゃ、庭プラプラしているかなと思うと、そのお母さんが、
「そこ!門があいてる! さっき白い犬がそこで足上げて、更に先の角、多分右曲がったと思う」
ブラン、脱走だ!
調度入れ替わりでやって来た小6の子達が「探してくる!」と走り出す。
目撃したお母さんが逃走方向に車で向かう。その後ろを全力で追いかける。
いると思われる神社にその姿はなく、近所で犬が吠える声もしない。
仕方ない。もうこれ以上追いかけるわけにはいかない。戻って授業始めないと。
そのうち戻るだろう。戻るかも知れない。戻って欲しい。
後ろ髪引かれながら追跡はここまでとして、子ども達と教室に戻る。
途中、近所の中学生のお母さんが、「あと探しておきますよ」って言って下さる。

いつも散歩に行きたがらず、駐車場から出られないくせに、ナンデ勝手に遠くまで行くカナ! 
いつでも戻ってこられるように、門全開にしたまま教室に入る。
夜授業終わったら、再度捜索しよう。

白くてふわふわして、人見知りしなくて、こんなかわいい犬うちで飼っちゃおうって、誰かに家の中に入れられちゃったら見つからない。いやいや、一番気がかりなのは交通事故だよ。保健所連絡しなくちゃ。等ツラツラ考えながら高学年生に漢字検定モギテスト配る準備し、
「もしさ、みんなの家の庭にブランが迷い込んだらさ、自分のうちの犬にしちゃう、でしょ?」
一斉に「ない、ない」「ありえなーい」「うちのお母さん犬嫌いだし」
「…」

「センセー、帰ってきましたよー!」
飛び込んできた先の捜索協力隊志願のお母さんを追い越す勢いで、ブランが教室に飛び込んできた。子ども達の歓声があがる。
黒板の前でハッハッと大口開け、眼をキラキラさせて意気揚々としているブラン。
息弾ませている。
結局、20分間逃走劇。というより、ブランにとっては大冒険。

アルパカ風の首回りキープするために首輪付けていない。これからは首輪と迷子札つけよう。近いうちにマイクロチップ装着しよう。
どこまで行ったの? 何してきたの? 楽しかった? と聞いてみたい。



おまえはそれでいいだか

2023-09-01 21:22:44 | ギャラリー輝
9/1 防災の日。そして今日から学校始まるという日。
私は今日の最高気温37.4度を記録した上田市にいる。
そんなに暑かったか?と思うのは,新しい家は窓閉めてエアコンつければ家中涼しい。
デイサービスから帰ってきた母から、「今日は上田が一番暑かったんだって」って教えられて知った次第。
陽が落ち,窓を開けると秋を感じさせる風が吹き抜ける。
温泉入ってさっぱりして、ジージーって虫の声や,別所線が到着する音を聞きながら、なんともゆったりと今日一日を反芻するのである。

今日は父の100号サイズの作品が念願のお嫁入りした日。
小説は何度か読むたびに深みが増すように,絵画も毎回が新しい出会いである。お嫁入りするのはなぜか毎回初見と思わせるインパクトのある作品。

寄贈した作品は人物画。男女がまっすぐこちらを見つめる。その眼光鋭く,ストイックに制作していた作者の気魂がこちらを覗きこんでくる。いつも「おまえはそれでいいだか」と問われている感じがする。
寄贈先の会長は「わたしは柔らかい表情だと思いましたよ」と。
私もまだまだだ。

この作品を寄贈する思いなどプレスインタビュー受け,地元のキノコ料理を堪能し,父の仏壇に寄贈を報告し、水不足で元気なくなっていたエントランスの樹木に水をやり、さて今日はつつがなく一日が終わろうとしている時。

微妙にずっと心に引っかかっていてそっと蓋をしていたことを、「これはどういうことですか?」と突きつけられた。
父の作品を整理し紐解き、画集作り、そして美術館もどきを作り,展示し,ファイリングしとガシガシやってきたが、ここまで判らないことの連続だった。絵のサイズの表記も知らない。額の付け方も知らない芸術ド素人が。その場で考え読み解き,覚えて,自己流で整理して押っつけ作業でここまでやってきた。
そうして世に出した作家に関する情報が、後になって間違っていたことに気づくのである。その気づきの連続なのである。
一度出した情報は一人歩きしてしまう。

作品情報が両手からあふれ全てひっくり返しそうになっている時に、作品整理も解釈も途上だからまだ展示できないのです、と父の知人に弱音を吐いたことがある。そのとき相談した方は、「判っているところから出せばいいよ。間違っていたら訂正すればいいよ」と言って下さった。その言葉に背中を押され,2021年秋に堂々と、ジャーンと池田輝の美術館をオープンしたのだった。

少し時間に余裕ができて,資料整理を進めると作品の制作年の間違いを発見した。
ということはそれまでの自分がつけていた作品の解釈が嘘になってしまう。
そこが今回の指摘だった。
痛い。
大発見!のノリで性急にアウトプットし後に検証不足に気づき、反省。
なんか自分の人生、いつもこんなことの連続だ。
考えるよりまず行動。思いついたらまず行動。
アイデアが浮かぶと形にしたくなる。とにかくすぐやってみたくなる。

この癖は気をつけようと、今後へのチャンスだったと言うことにして今日はもうこの辺にしよう。
思い返せば、そこまで真剣に作家、作品と向かいあい、今一緒に首をひねっている人がいるという事実が暖かい。

外ではジッジッと虫の声。
別所線の発車ベルが聞こえる。

あさっては稲刈りだ。


共感しユトリストとなれ

2023-08-16 18:46:58 | 感動
鳥取に住む娘夫婦がその娘を伴って野田に里帰りし、その翌日は長野の私の実家に行った。
遠路はるばる赤ちゃん連れで移動するその第一目的は、ひいばあちゃんに会うため。
コロナで会えないを体験した我々は、「今できることを今やろう」と思うし、ゆとり世代と言われる娘の世代は、より人のつながりを大切にする感がある。
そんなわけで今年のお盆は家族、親族が集い日本の正しい「お盆」を過ごし、さておいとまする時間となった。

折しも近畿地方に台風7号が上陸しコースが逸れて山陰に向かっているが、東京方面までは台風の影響なく戻ることができそうなので、予定を変更せず帰路、まず上田駅を目指す。

玄関先まで母が見送りに出る。「またね」と皆で手を振り合う我々一行を、道ゆく主婦が微笑ましそうに見ていた。
こういうシーンはお盆の風物詩で夕方のニュースで出会いや別れのシーンが映し出されるが、その当事者になった。

別所温泉駅には上田行きの電車が既に停車していた。先に乗車していた親子連れを見送るおじいさんがホームに立っていた。母、娘、そして孫。それを真似するかのように我々を見送ろうとおじいさんの隣に立つ兄。
おじいさんは満面の笑みで、美しい均等の笑顔で臆することなく電車の戸口でずっと手を振る。それにつられたように兄も真横で手を振る。そして車内の我々二組が姿が見えなくなるまで手を振り返す。あー、こういうシーンってこれまであっただろうか。ここまで純粋に手を振り合うって周りの目や、あまりにもスタンダードな振る舞いに照れてこれまでやってこなかった。私の父に言わせると芸術家は子煩悩ではいけないそうで、またそう思われたくないらしく、人前でこんな風に別れを惜しむことはしていないと思う。30年前に娘を連れて帰省した時、父とこんな風に手を振り合っていない気がする。

電車はガタンゴトンと坂を下り田園風景を走る。別所温泉駅から上田まで車で行けば20分とかからないが、実家の車にはチャイルドシートがないので電車で帰ることにした。電車は車道とは違い中塩田から東塩田地区を迂回するから時間がかかる。下之郷駅から大学前駅にに向かう時電車は、田んぼの中を大きくカーブする。車窓には山々と田園のパノラマが繰り広げられる。進行方向に背を向けて景色を眺める。別所温泉の象徴岳の山を起点に田園を貼り付けた山並みがグルリと回る。もし私が車掌なら、もし私にマイクを渡してくれたなら、このパノラマを紹介するのにといつも残念に思う。スマホを見るのを少しやめて顔上げて見て! とこの景色を教えたい。しかし皆が同様にふるさとへの郷愁を共有するわけではないと思い直し、ギリギリ余計なお世話をしないで済んでいる。今のところ。
岳の山に別れを告げ電車が街に近づく頃、郷愁は霧散ししばらく留守にしている自宅が気になるのが常であるから。
それからしばらくすると少しずつ上田の街が近づき、終点上田駅まであと2駅というところ三好町駅で向かいの親子が声を上げた。

「えー、うっそー」
それは三好町駅から見下ろす脇道に先ほどのおじいさんが立ち、電車に向かって手を振っていた。あの満面の笑みで。
その姿に思わず我々一行も加わり皆で手を振り返した。車窓からはおじいさんの姿が小さくなっていった。
もしかしたらあのおじいさんは途中の神畑駅あたりでも先回りして同様に電車に向かって手を振り続けていたかも知れない。そこならホーム近くまで来られる絶好の手振りポイントだ。おしゃべりしていた娘さん達はおじいさんに気づかず、それで4駅先の三好町駅、次の手振りポイントを目指したのだ!と読んだ。このシーンは人目をはばからず笑っていい。事情を知る我々も一緒に大笑いした。
娘さんが「上田駅にもいたりして」と言っていたが、次は上田駅というとところで千曲川を渡る。その先に上田橋が見える。
橋で信号待ちしているおじいさんの車があったらしい。

三人連れは我々より1本先の新幹線だった。
上田駅改札でおじいさんが手を振っていた。
待合室のポスターのすき間からさっきと同じ満面の笑みが見えた。見送った後のおじいさんの顔を確認することができなかったが。

お盆の帰省列車に乗ったのはこれが人生初だったと思う。いつもはタイミングずらすか車だった。こうしてTHE OBONの帰省列車をスタンダードに体験した。
上田駅では長野駅からの混み具合をアナウンスしていた。自由席前寄り1.2号車が比較的空いていると長野駅からの情報だと伝えていた。こういうアナウンスは人の情にタッチしていいね。「見送りの方はドアの外側でお待ちください!」って。そうか、入場券買ってギリギリまで見送るおじいさん、おばあさんっていう景色もあったんだ。そうか!!さっきのおじいさん、改札駅で手を振っていた後姿見えなかったから結局ホームまで行ったのかな?
「鳥取空港でもこうやってギリギリ見えるところに移動して手を振る人がいるよ」って娘が言う。

うーん、共感オンパレード。

大宮で娘一家と別れ一人降り、正確にはケージに入れた犬と降り、ずっしり重いケージを転がして帰路につく。最寄り駅からタクシーに乗っても良かったが、調度バスが来たから乗り込んだ。
バスのタラップが思いのほか高く、犬ケージをやっと持ち上げて乗った。前方の席は埋まっていて、後方席は更にもう一段上がらないといけないし、すぐ降りるから前方に立つことにした。「おつかまりください。出発します」って、立っているの私だけだから私に言ったのでしょう。オレンジの太いバーに捕まると、脇のおじさんが席を譲ろうとしてくれた。さっきの犬ケージ持ち上げで苦戦したからか、なんだか皆私に気をつかっている感じがする。
席を立ちかけたおじさんに「大丈夫です」というと、斜め後ろの青年が後方の席に移った。犬ケージをズリズリ引きずってその開けてもらった席に着くと「ありがとうございます」と運転手さんがマイクを通して言った。
やはりそのバスでは最初に降りる客となり、大きなケージは出口を通らず乗り口を開けてもらいヨタヨタして降りた。「大丈夫かな、あの人」という、車内灯が目立ち始める薄暗くなった車道に降り立つ私に、車内の視線が寄せられている感じがした。

バス停から自宅までゴロゴロ犬ケージを引きずりようやく家の前につくと、時間指定したいつもの宅急便のお兄さんが荷物持って待ったいた。

パンセとは文字通り考えること。

2023-07-22 08:53:13 | パンセ
 今年度からリスタートした小学生作文教室「パンセ」
 第1クール、12回コース終了。
 7月の3回は学校の夏休みの課題である読書感想文に備え、感想文を書く練習を行った。
 感想文を書く視点が学習のテーマだったので、視点考察するためには授業内で読み終える課題でありたい。そこで選んだのは、絵本。
 3回の課題図書は、
 1.つみきのいえ
 2.きたかぜとたいよう
 3.つるのしかえし

 1回目の課題「つみきのいえ」は大人の絵本だけあって読みがしっくりこなかった。地球温暖化問題に触れるのは優等生的作文で、おじいさんが過去を振り返る感情に寄り添うのは年齢的に無理があり、薄い感想になってしまった。やはり大人向けだった。
そこで2回目と3回目はイソップ物語から選考。

 イソップ物語は動物などに例えて人の業を語っている。それをどう読み解き、さらには今後とりかかる創作分の参考になればと思い取り上げた。
 どちらもすぐ読める。その場で感想を言い合う。
 少し先生がヒントをだしてしまうと、目が上向いている。何か考えている。

【「きたかぜとたいよう」を読んで編】
 数人は、人は叱られるよりも褒められた方が結果が出やすいと勉強やスポーツ活動を引き合いに説明した。うーん、大人として頭が痛いご指摘。気をつけます。ぽかぽか太陽(褒められる)だけでもダメで、ときおり北風(しかる)も必要だと付け加える子もいた。いいね、将来学校の先生向きだね。
 一人は全く違う視点。
 きたかぜとたいようの対決に旅人を巻き込むなんてひどい。コートは旅人が大切にしているものかもしれない、飛ばされてしまったらどうするんだ!と鋭いご指摘。子供の頃からこのような視点で読んだことなかった。いえ、もしかしたら最初は同じ感想を抱いたのかもしれない。
 状況を自分に置き換え「こんなことやめて下さい」と言える感性。さすが子供。教訓が白々しくなってしまう。

【「つるのしかえし」を読んで】
 これは少し難しかった。キツネがツルを家に招待し平らな皿にもったごちそうを振る舞った。ツルは食べることができなかった。その後ツルがキツネを招待し、細長いグラスにごちそうを入れ振る舞い、キツネは食べることができなかったという話。
 きつねの意地悪にツルがしかえししたことで、「いじめ」問題に触れるまでいった。ツルにやり返されて、キツネが自分のいじめを反省するだろうという解釈までは出せた。しかしなぜ最初にキツネはツルに意地悪したのか? という問いにはうまい言葉が見つからず目をグルグルさせて考えていた。
 相手の弱点を突くことでキツネは優越感を持ちたかったのでは? と先生が解釈をくわえると、一同「なーるほど」と納得しつつも、さらに「それだけか?」と思考の海にはまった感じ。
 「平等」と「障害がある人」いうキーワードを使って感想を述べようとした人もいた。何を言いたいのかうまくまとまらないけれど、この話に重要なワードだという。
 ドキッとした。鋭い感性。やはり通り一遍の教訓で読むだけでない。この話に隠されたものは深い。

 12回コースで、エッセイ、意見文、読書感想文をテーマに書く練習した。
エッセイが難しかったようだ。しかしイソップ物語読み込んだ後の今なら、そこそこのエッセイかけるかもしれない。
「どうして?」と考えることが哲学だよと伝えると、「テツガク」が流行っている。
「先生、この作文テツガクしてる?」とか「ここからここまでがテツガクだからね」って。

9月以降がますます楽しみなパンセクラス。



私の財産

2023-06-16 18:13:54 | ギャラリー輝
画家である父の絵をもっと知りたいと思った。
若い頃はどんな絵を描いていたのか。
父の制作を紐解くために倉庫の手前から1点ずつ作品を出しては眺めた。
広げて写真を撮り,記録を残す。
大変根気のいる作業で、千葉から長野の実家に帰省した際、週末や春休みや夏休みにコツコツ作業し、3年かかった。
大作で80点ほど。小品キャンパスは800点ほど。紙の作品はまだ手を付けていない。
小品整理は難航した。
記録どう取るのか。画像は。取り終えた作品はどう並べるか。整理初期は試行錯誤の連続で,途中まで行ってはやり直しの繰り返し。
一つ一つこなせばいつか終わると自分に言い聞かせ,膨大な作業に何度もくじけ、投げ出したくなりながらも最後までやり遂げることができたのは、それは作品の持つ力のお陰だった。
もう無理、こんなことやめようと思う頃、気を発する作品に出会う。

この情景。
この色。
そして、この構図。
自分の好み通りの絵が出てくるのだった。
「いい、この絵、すごい」
整理作業に挫折しそうになるタイミングに登場する作品。
この絵はいつか必ず展示したいと思わせる作品。

小学生の頃、夏休みの自由研究に取りかかった工作を途中で投げ出そうとした時、父は言った。
「おまえはそういうやつだったか」
作品整理の最中、ずっとそんなことを後ろで言われ続けた気がする。
そして3年かけて全作品を記録しデータベースを作った。
父の全作品を把握し整理できた。この結果は私の大きな財産となった。
父の制作を全て掴んだこと。いつでも記録が引き出せること。自分の心に詰め込むことができたこと。
この事実が財産である。

「いい、この絵、すごい」と思わせ,最後まで整理する力となった作品のうち現在所蔵するものを集めて、館長お気に入り小品集を作ってみた。
(実は好きな作品ほど手放しているので究極のお気に入りは含まれないが)
感動に任せると多くなりすぎるからと絞り込んで、それでもその数120点あまり。
背中を押した感動の瞬間が蘇る作品集となった。
何度見てもドキドキし、口元がゆるむ。




この作品集ファイルをギャラリー輝に訪れた人に見せると、
「また何か作ってみますか?」
画集にしたらどうですか、ということらしい。
誰でも見ることができるようにしたいのでギャラリー輝に閲覧用に置いた。
この作品を順次展示していこうか。
でも館内この作品ばかりではお腹一杯になるから、少しずつ展示していこう。

作文教室パンセ授業風景と課題

2023-04-16 10:42:27 | パンセ
4/10 パンセ
初回授業風景
 ブラン君の散歩の様子をおもしろおかしく話した。話している最中もブランは教室内はしゃいで走り回り、子供たちの膝に手をかけ、スリッパくわえて逃げ回る。一通りブランの散歩の話を終え、「さて、ブラン君ってどんな子だと思いますか?」
すると、「びびり」、「こわがり」と一様にブランの性格を正確に言い当てる形容が返ってきた。
これが狙いです。
その人(犬)らしさを表現するために、ズバリ形容詞を使うのではなく、そのキャラが伝わるようなエピソードで伝える。
子供たちは、ふんふんとわかったような顔していたので、そこで家で書いてくる作文の課題を発表。

今回の作文課題は「家族の紹介」
お父さん、お母さん、兄弟姉妹、またはペットでもいいので、誰か1人をその人らしさが伝わるエピソードを交えて紹介する。

「うちのお母さんはのんびりやさんです」などとズバリ性格を表現せず、エピソードを通じてのんびりやさんであることがわかるようにすること、と注文をつけた。

さて次週どんな作品を提出することでしょう。

人の振り見て我が振り直せ

2023-04-09 08:07:34 | ライフスタイル
近所にスーパー銭湯ができた時のこと。
勢いの良いシャワーを気持ちよく当てていると、背後から「お湯が飛ぶでしょ!!」と言われた。
それ以来シャワーは周囲に飛び散らないように気をつけるべし!と知った。
そして、できるだけ背後にシャワーのない洗い場を選ぶようになった。

昨日地元の温泉に行くと。
右から勢いよくお湯がかかった。
隣の人が頭を洗っていた。シャワーヘッドを手に持ち横から当てているから、おもむろにこちらに飛んでくる、というかザーザーかかってくる。
それも、たびたび。
久々のクリーンヒット!って叫びたくなるくらいの勢いと水量でかかってきた。
隣の人は白髪で、体の感じからするとお婆さん。
そちらを見ても、ちょっと椅子をずらしても、相手は頭洗っているから全く気づく様子なし。
「お湯が飛ぶでしょ!」なんて言い方はできないけど、「お湯が飛んできますよ。」くらいも、言えない。
その後も執拗に頭を洗い、何度も飛んでくる。
そしてふと思った。
もしかしたらさっき自分が頭洗っていて、同じように飛ばしていたのかもしれない。
だから「あてつけ」られているのかもしれない。
体洗い終えてシャワーかけながら飛び散り具合を確認するが、先ほどの洗い方で周囲に飛ぶ可能性はないと思う。
ほら、またザーザーとかかってきた。

その瞬間気づいたのか、「あら、ごめんなさい」と予想外の優しい声で言われた。
声の張りからいって、お婆さんではなかったかも。
さっき注意しなくて良かったかも。




エモい考

2023-04-06 10:26:44 | パンセ
先日の春期講習最終日に、そうだいつも誰かに尋ねようと思っていたことを、中学生に聞いてみた。
「ところでさ、エモいってどういう意味?」
一瞬沈黙。
「せんせー、そんなことも知らないの!」
と言われるかと思ったら、全員が
「知らない」
ときた。
「でも、なんとなくわかる」
って続ける。
そうなんですよ。自分だってなんとなくわかる。
悪い意味ではないのはわかる。でも使いたくないなーって直感的に思うのは、語感が「エロい」とか「キモい」に似ているからだと思う。
「意味わかんないって、あなたたちは使ったことないの?」
「私は使わないけど、お姉ちゃんは使ってます」
「たぶん、英語のエモーなんとかからきてるみたいです」
あー、そういうことか。
emotionallyか。
納得。したけど、当面は使わないと思う。
エモい、emoい、は字面がemojiに通ずる感があり、ちょっと違うなと感じさせる。

絵文字をコミュニケーションツールとして多用するのは苦手で、かといって自分だけ絵文字無しは冷たい感じに受け取られると妥協して、たまーに使う。
「話しにくそうに見えるけど、話してみたら、話しやすいジャン!」と何度言われたことか。
絵文字使わないような、みんながやることをあえて避けるような、こういうひねくれた感がとっつきにくさを漂わせているのだろうなと自己分析する。
でも、いいさ。
4月からスタートする、バネの作文教室「パンセ」ではこのあたりをつっこんでいく。
安易に形容詞で気持ちや様子を表現せず、文字で伝え文章で響かせる。
説得や説明は言葉で行う。
そして感動は言葉で伝え合う。
食レポで「おいしーです」の連発ではなく、思わず食べたくなるような直感の表現ができるように、こんなトレーニングを積み上げる。
読み手や聞き手が日本語力を共有していなければ伝えようにも伝わらないから、まずはそこからですね。

春期講習、暗算からのスタート

2023-03-28 17:42:51 | 学習教室バネ
3月長期バネは休講していたので、昨日は久しぶりの授業でした。
まず、受験終えた中3生、顔見せに登場。
その脇をすり抜けるように、春期講習に参加する中学生入室。
本当はせっかくきた卒業生とゆっくり話したかったけど、慌ただしく授業スタートするのでした。

1週間くらい休講した後は頭が冴えない。回転が遅くなり、言葉が上手く出なかったり、文字がスラスラ書けなかったりする。
なかでも長期オフの影響を顕著に受けるのは、計算力。

1週間オフでそうなんだから、今回みたいに26日間も休んでどうなるのか。
ということで、春期講習スタートは、全員で暗算。
あまりのあるわり算42問。
制限時間3分。

「先生が小中学生に暗算勝てなくなったら、バネやめるわ」
と常日頃言っている。今回は負けるかもしれない。

最初の一問。
まずい、数字がでない。
頭ギシギシする。
2問、3問とまごついているうちに、4問目あたりからリズムが出てきた。
ほい、ほい、ほいと直感で進め、90秒で終了。
この時点で皆はまだ半分程度。
良かった、まだ負けない。

こんなもんへのカッパと鼻息荒く授業スタート。
しかし、やはり全てが順調というわけにはいかなかった。
ホワイトボードに文字が上手く書けない。
板書見えやすいようにと体を横にしながら書くし、ボードマーカーだから文字が滑る。
それにしても、字が汚い。丁寧に書けない。画数多い字はぐるっと丸めて書いてしまう。
書くことにイラッとする。
板書の方がリハビリハードル高し。
そう言えば、普段もあまり文字書いていないかもしれない。
自分で直接書かないと覚えないよ! って子ども達に言っているのに、そうだ自分もあまり書いていない。

新年度から気分新たに、紙の手帳使おうかな。
メモ書きとして。


パンセ、いよいよ復活の日

2023-03-24 20:30:12 | パンセ
バネの作文教室「パンセ」を4月から始める。
以前小学生対象に作文教室開いていた。
書き方のコツをレクチャーした後、毎回テーマ決めて作文一つ書き上げる授業。

作文クラスの始まりは、算数や国語の一般クラスから派生した特別講座だった。
学期末などに授業進度に余裕があるときに「今日は作文書こうか」となった。何度か作文取り入れると、「先生、作文やろうよ」「作文授業がおもしろい」と言われるようになり、作文だけのクラスを作った。
文章を書くことは考えることだから、フランス語で考えるを意味する「パンセ」と名付けた。

本格的な作文クラスを作ったは良いが、算数や国語と違い成績を点数化できない。成果が見えにくい。そのため学習目標としてコンテストに挑戦にした。
4月からスタートするので12月頃に提出できる小学生対象の作文コンテストをターゲットに、子供たちはそれに向けてトレーニングした。
4年生から通い始めた子が2年目に朝日小学生新聞大賞を受賞した。
原稿用紙20枚の短編小説だった。
「先生も小説書いて、何かに応募しようかな」とつぶやいたのをその子はしっかり拾っていて、受賞後「先生の小説はいつ読ませてもらえるのですか?」と問い詰められたのは遠い思い出となってしまった。
大賞を受賞したお母さんは入塾時にこう言った。「うちの子には作文だけ教えてください。算数とかやらなくていいです」

その後そう言うお母さんに出会わず、作文だけでは生徒が集まらず、というよりも毎回イレギュラーで準備が大変な作文クラスを続けるエネルギーが薄くなったという方が正しくて、いつの間にか作文教室は消滅していった。

近年、「うちの子文章が読めないのです」と言われることが増え、「算数はいいから国語指導してください」と言われるようにもなってきた。
最近は保護者から「読解力がないと学力伸びないですよね」と先に言われることもある。

こんな情勢もあり、今自分が子供たちにやるべきことは作文教室ではないかとの思いが強くなり、4月から作文教室「パンセ」復活となった。復活させようと覚悟した。
文章を書き、考え、人に読んでもらう。作文トレーニングを積み読解力、思考力を養うクラスの復活。

とはいえ生徒集まらないかもしれない。でも、全く生徒が来なくても、あるいは一人しか来なくても、粛々と続け、コマを設定し続けておこう。このクラスこそが今自分のすべきことなのだから! と決意を持ってクラス案内を配布した。
もともとバネは広告は出さないので、通塾生への案内配布のみ。
良ければそのうち口コミで人が集まるだろうしと気長に構えることにした。

すると、意外にも作文教室申しでが複数からあった。
なかには「こういうクラスこそが、うちの子に必要なんです」というお母さんがいた。

また作文教室で盛り上がれるかもしれない。
「先生の小説読ませてください」なんて言われる日がくるかもしれない。