バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

作文教室再開します。

2020-02-25 11:38:14 | パンセ
バネの作文教室 パンセ 再開のお知らせ

【 月末配布のバネ通信3月号コラムより】
 先月以上に、日々新型肺炎リスクが大きくなってきている今日この頃です。主宰するNPO団体の2/22のイベントを決行するのか中止するのか主催者としての決断が迫られました。中止を決断したのは2/19。イベントの3日前でした。「やらないのですか?」という時流に乗ったかのような判断を冷ややかに見る目もありましたが、少しでも不安があるのならばリスク回避すべしと決断し中止としました。

 この出来事は二つの示唆を含みます。

 まず一つ目。少しでも不安がある限り、徹底的に対処し、万全の策を練るべし!です。これは受験勉強にも言えます。
「いつもここで点取れないんだよね」とか、「適当に書いたら当たってた。オレってすげー!」なんて箇所があってはだめです。確実にできるまで徹底しないと、本番では得点に結びつきません。だから受験生最後の詰めは不安箇所の徹底学習になります。
 今年もそうでした。全教科でそれをやるので,それ相応の時間が必要になりますが,最後の1ヶ月の徹底学習は、これまでの経験上かなりの割合で得点に結びついています。そして神がかり的なのですが,どういうわけが直前学習の箇所からの出題が多いのです。いわゆる『予想が当たった」ってやつです。万全対策だからこそなのでしょう。

 二つ目は,目に見えないもの(この場合ウイルス)を注視すべし、です。どこに存在するのかわからない肉眼で捉えられないウイルスへの対処として,マスク・手洗い・うがいをこぞって実施していますよね。しかし、目に見えないモノへの対策は流行が去るとたちまち忘れ去られ、先日までのあのウイルス対策は何だったんだろう、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』という緩んだ気持ちになることでしょう。(実際のところ早くそんな日がやって来て欲しいのですが。)
 これは学力についても同じことが言えます。
『見える学力・見えない学力』を提唱した岸本裕史先生の教えを継承し、100マス暗算に代表される影山メソッドが巷を賑わしたのは20年ほど前です。しかし今では、「100マス暗算って、何?」と言う小学生がいるのだから、せっかくのメソッドが一流行で終わったのは残念でなりません。
 私が岸本先生の本に出会ったのは調度バネを始める25年前。それ以来子ども達の『見えない学力』を養うべく、暗算力、読み書き能力、そして何より学力を下支えする整理整頓や時間管理能力等の生活力養成にバネを通じてアプローチしてきました。ややもすると保護者受けが良い、学校のテストの点数に直結される指導(見える学力)に傾倒しがちになりますが、そこは一教育者であること、バネで出会った子ども達への大人としてすべきことすべし!の信念を持ち、子ども達に「エー、また100マス!」と言われても、「先生、英語教えないのですか?」とお母さんから詰め寄られても、本当に大事な『見えない学力』の養成に努めています。

 この信念から始めたのが「パンセ」です。パンセで文章を書くトレーニングを通して、思考力を養い学力向上に貢献していたと自負しております。しかしパンセは数年で閉じました。バネはワンオペ運営ですので、時間的な余裕がなくなった際に、事業として効率の良い「見える学力」指導を選択してしまいました。
 パンセを閉じて数年。内情を言うと、実は2019年度からの継続生が減り、新年度生が減少し時間割に余裕ができました。これをチャンスと捉え今こそパンセ再開すべし!なのです。

 2020年度開講のパンセは、月2回、月曜に開きます。対象は小学生高学年です。宣伝、広報一切しておりませんので、今のところ生徒0人です。何らかの方法でパンセ開講を周知し最終的には8人程度のクラスを見込んでいます。

 ご縁がありましたら。

自分が直接感じたものが尊い、のです。

2020-02-16 16:25:32 | バネ
「自分が直接感じたものが尊い
 そこから種々の仕事が
 生まれてくるものでなければならない」
   芸術家、山本鼎の言葉より

子どもの頃から触れていたこの言葉に、改めて『直接感じている』今日この頃。

バネでは小学生クラスは、2月、3月は作文授業を行っている。
以前作文に特化していたパンセクラスを開いていたが、近年は作文だけのクラスを設定する時間的余裕がなく、作文授業は休んでいる。
水曜のアルファクラブの後や土曜のサタデークラブの後などに作文教室を開きたいところだけど、水曜は中学生クラスを入れるし、土曜は何かと用事が入るから年間で授業組むのはちと苦しい展開になりそう。ということで「作文教室、いつ再開するのですか?」と言われ続けて数年。

作文は文章を書きながら自分を見つめる作業であり、「見えない学力」を伸ばす最良の授業であると自負している。
今ならできると思い立ったのが1月。学年授業を終え、特に中学受験組は中学の先取り学習に入る1月.2月。
例年だとこの時期先取り学習している。英語に数学。そして小学理科、社会の復習。
しかし英語数学に関しては先取り学習してもろくなことはない。中学入学後の授業に新鮮味も真剣さも薄くなりがち。そうして貯金抱えて入学して、たいてい夏休み辺りで貯金使い果たし、その先は借金生活になる子だっている。中学入学後苦労しないようにと先取り学習を望む保護者さんの気持ちはわかるが、ここはあえて作文特化学習をします!ということで、小学生対象に作文授業している。

指定したテーマに沿って自宅で作文を書いてくる。
初回は特に言及しなかったのでほぼ全員が創作文を書いてきた。
自由にお話を創り書くのは楽しい作業でしょう。自由とはいっても何らかの実体験がベースになっているから、その子らしさが文章に表れている。
しかししょせん創作。リアルさに欠ける。
まだ人生経験そこそこの小学生が、創造を膨らませてリアルに表現するのは限界がある。
そこで2回目からは「実話」に限定した。
いかに自分が体験したことをリアルに表現するか、映像が浮かぶように書くか、これが最初の課題となった。

家で書いてきた作文は授業で読み上げ、その場で講評する。
自分の作文が読まれる時は「ヒエー、読まないでー」だの「やだー」とか言いながら耳をふさいでいるけど、結構嬉しそう。(に見える)
その場で講評する。
講評の時はしゃんと座り直し、顔を赤らめながら聞いている。何を言われるか楽しみにしている風。
良い点はほめ、具体的にここはこうしたらもっと良くなるとアドバイスすると、無言で聞いているけど、次回アドバイスをそのまま取り入れてくるから、ちゃんと聞いているらしい。

タイトルに命をかけよう!
と言っている。
タイトルを聞いて、「これはどんなお話なんだろう?」と読者を引きつけ、最後のフレーズで「あーなるほど」と合点がいくような題名をつけよう、と初回から注文を出している。
講評の最後に「この内容なら、こんなタイトルがいいんじゃない」と付け加える。恐らく、子ども達にとってはこれが一番欲しいアドバイス、のように見える。(見えるの連続)

さてこうして2月に入り4回ほど作文提出してもらった。
日頃の生活の中からテーマに沿ったネタを見つけて書く作業。何でもない日常から話を見つけるコツがわかってきたようだ。
そして前回辺りから少し変化が出てきた。
心の動きがそことなく表現されるようになってきた。

自分を書くことは恥ずかしいことなので、意識的にあるいは無意識に素通りし、本来はそこにあった自分の気持ちにすら気付かないでエンディングとなるところ、素通りしそうでしない、そこで足踏みした形跡が垣間見えるようになってきた。「心」の道にほんの少し寄り道するようになってきた。
リアルが要求されるうちに自分を少しずつ出さざるを得なくなってきたのかもしれない。

些細な出来事で心が動いた瞬間。
そこを指し、
「ここだよ、次はここをしっかり書くんだよ。」
とアドバイスした子は寡黙に頷くだけだったが、伝わったような気がする。
次にどんな作文を持ってくるのか。

そこで、冒頭のフレーズ。
「自分が直接感じたものが尊い…」