子ども達の読解力が落ちている、なんて言われて久しい。これは最近にして始まったことではなく、17年前にバネ始めた当初からそう感じていた。
子ども達の中に、3行にわたる文章は読もうとしない子が数人いた。算数の文章問題が、それ。2行までなら受け入れるけど、3行越えると「あー、読むのやだ」と言った。それでも設問読まなきゃ始まらなんないことくらいよくわかっているから、「めんどくせー」とか言いながら読んでいた。今はどうでしょう。今も3行は大きな関門となっている。「めんどくせー」と文句ぶつぶつ言いながら読むうちはまだよい。なんだかんだ言いながらも、最後まで読むのだから。今増えているのは、何のリアクションも示さず2行しか読まない子ら。3行目やそれ以上は、その存在を流している。どうして答えが合わないのか。その原因をひもとくと、設問を最後まで読んでいないパターンが続出。この問題はこう聞いているんだよ、と説明すると、「なーんだ、最初っからそう言ってくれればわかるのに」とくる。自分が最後まで読んでいないことを棚に上げてしまう。やれやれ、である。
国語でも算数でも、実は設問文は情報の宝庫。出題者が何を求めているのか、じっくり読めばそこにヒントがたくさん入っている。
先日数検準2級を受けた中三生が、この問題解けなかったと質問してきた。発想力を問うものだった。じっと見る。いくつか数字を工夫してみる。何も閃かない。他の生徒から質問がこないそのスキに、その難問にチャレンジしてみる。頭をひねるが何も浮かばず、もうお手上げかと思ったその時、そうだ設問にヒントがあるはずだ!と改めてよーく読みかえすと。はたして、あった。気づいてしまえば、なーんだという問題。
数学だって、読解力。
子ども達の中に、3行にわたる文章は読もうとしない子が数人いた。算数の文章問題が、それ。2行までなら受け入れるけど、3行越えると「あー、読むのやだ」と言った。それでも設問読まなきゃ始まらなんないことくらいよくわかっているから、「めんどくせー」とか言いながら読んでいた。今はどうでしょう。今も3行は大きな関門となっている。「めんどくせー」と文句ぶつぶつ言いながら読むうちはまだよい。なんだかんだ言いながらも、最後まで読むのだから。今増えているのは、何のリアクションも示さず2行しか読まない子ら。3行目やそれ以上は、その存在を流している。どうして答えが合わないのか。その原因をひもとくと、設問を最後まで読んでいないパターンが続出。この問題はこう聞いているんだよ、と説明すると、「なーんだ、最初っからそう言ってくれればわかるのに」とくる。自分が最後まで読んでいないことを棚に上げてしまう。やれやれ、である。
国語でも算数でも、実は設問文は情報の宝庫。出題者が何を求めているのか、じっくり読めばそこにヒントがたくさん入っている。
先日数検準2級を受けた中三生が、この問題解けなかったと質問してきた。発想力を問うものだった。じっと見る。いくつか数字を工夫してみる。何も閃かない。他の生徒から質問がこないそのスキに、その難問にチャレンジしてみる。頭をひねるが何も浮かばず、もうお手上げかと思ったその時、そうだ設問にヒントがあるはずだ!と改めてよーく読みかえすと。はたして、あった。気づいてしまえば、なーんだという問題。
数学だって、読解力。