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バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 23 フランスの犬に吠えられた

2025-05-10 13:19:43 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
1985年10月3日 (木)晴れ

今日もまだストが続いていた。九時半に1本アルルに行く電車があるので、駅まで送ってもらいアルルに帰ることができた。家族が言うには、アヴィニヨンはフランスで一番物騒なところで、毎日のように人が殺されている騒ぎが報じられているとのこと。
アルルに戻って午後から写生を始めた。ゼロ号2点描いた。やっと絵の方も地道に乗ってきた感がある。
明日は野生馬のいるカマルグに行き、5日はいよいよバリに乗り込む。パリでは見物が主で描く方ができないので、油はこれが最後であろう。


アルル裏通りスケッチ

N0.540 アルル裏通り街


アルル ローヌ川

アルル ヴァンゴッホホテル


【追記】
Bruel夫妻はその日ドイツ旅行を予定していた。ストが続いていたので何度も駅に確認の電話していた。旅行前日に泊めてもらったことを知り、大いにお詫びと感謝の言葉を重ねた。
ようやくアルル行きもドイツ行きも出発できそうだとわかり、厳重な戸締まりを終え駅に送ってもらった。
アルルのホテルに戻るとホテルの息子さんが厨房から慌てて出てきた。
「夜になっても戻らない。深夜に戻るかもしれないから一晩中ホテル入り口の鍵をあけておいた」と早口に言われた。
「朝になっても帰ってきた様子がない。確かアヴィニヨンに行くと言っていた。ストで困っているはずだ」と女将さんと心配していたそうだ。そうか今晩は戻らないとホテルに電話で伝えておくべきだったのだ。
知人の家に泊めてもらったと伝えると、奥から出てきた女将さんと二人で「良かった、良かった」と喜ばれた。なんだかあちらこちらで迷惑かけたみたいだ。

この日にアルルに戻り描き上げたと思われる作品2点を添付する。
そのうちの1点。
「扉」
これについては作品にメモ書きが残されていたので、それをご紹介。記載内容からすると、この日制作の作品ではないみたいだが・・・。


□輝の作品記録から

「扉」
フランスの犬に吠えられた!
1985年、教職を退き娘と1ヶ月間のヨーロッパ一人旅をした。予定のない気ままな旅であったが、幾多の苦労やハプニングにも見舞われた。
昨日はアルル闘牛場の入り口を一日描いたので、今日は宿に近い車も通れない細い路地に入った。犬の糞が乾燥して風邪に舞い上がり、汚臭が立ちこめる通りだった。
ふと、汚れた白壁に黒緑になった鉄の扉門が目にとまった。イーゼルを後ろの壁一杯に立てかけて描いた。人通りは全くなかったが、しばらくするとイラクのフセイン大統領を思わせる風貌の男が、賭け事でもしているかの様子で扉の中に消えていった。そこでしばらく描いているうち、尿意をもよおしてきた。壁に向かい放水を始め、ひょっと二階の窓を見上げると、先ほどのフセイン風の男が窓から顔を出しているではないか。フランスでは立ち小便厳禁と聞いている。あの男が降りてきて何かするかもしれないとの思いから、急いで道具をたたみ、イーゼルにキャンバスを取り付けたまま抱えてホテルに飛び込むように戻った。この宿は3日目だったので飼育されていた犬は私になじんでいたはずなのに、本気で吠えまくられてしまった。宿の女将さんがしきりにわびていた。フランスでは犬を吠えさせることは飼い主の恥とされている。

「扉」は帰国後手を加え仕上げている。「これ、いいだろー」とアトリでから持ってきて見せられた。欲しいと言うと意外にも「だめだ」と。後に我が家のリビングに飾られることになった。

父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行記 22 アヴィニョンへ行く

2025-05-06 17:34:49 | 父と娘のヨーロッパ貧乏スケッチ旅行
1985年10月2日(水) 晴れ

アルルも気候の変わり目、朝夕は肌寒くなる。
麻美の知り合いの先生をアヴィニョンに訪ねることにして駅に行く。
駅はストで列車は12時近くに1本出ることがわかった。一方それより早く出るバスがあったので、バスに乗り、1時間でアヴィニョンに着いた。

駅で電話して(知り合いに)迎えに来てもらった。

家はローヌ川を渡り、城壁を巡らした湖上の脇の高級住宅街で外見は良くないが、部屋は良い住まいであった。
主人は音楽大学の教授、奥さんは60歳近い。昼食を準備して待ちわびていた。遠慮のいらない家族で親近感を覚え、今日まで描いたスケッチを総ざらい見せた。
その後、麻美が前回この家に来て世話になった時撮ってもらったスライドを映してもらい、見た。3年前、赤い手袋にオーバーを着てジーンズをはいて、随分若い姿で写されていた。

夕方帰ろうと駅に電話をを入れてもらうと、スト続行で電車もバスも動かず、夜の12時までだめなので、泊めてもらうことになる。

午後、アヴィニョンの公園に車で連れて行ってもらう。高台からの風景が素晴らしかった。主人はピアノのレッスン中で、教え子の親が代わりに七時に迎えに来てくれた。

主人の妹さんは日本の大学で講師をされていたが、病死されて、残された部屋が日本趣味で飾られていた。日本を愛した様子がうかがえる。

夜は遅くまでスライドを見せられ、眠い。


アヴィニョンの公園でスケッチ、アヴィニヨンの街

川の途中で途切れている、歌にあるアヴィニョンの橋



ブリュエルさん宅で夕食

【追記】
前回フランス一人旅を計画中に、もしアヴィニョンに行くことがあったらこの人を訪ねるといいよと大学の先生から電話番号を教えられていた。
一人旅半ばの頃、人恋しさもあり、アルルから、なんとはなしに、その番号に電話してみた。しかし無情にも「この電話は現在使われていません」音声が流れた。
別に用事があるわけでもなし、それで終わりでよかったのに、電話ボックスから出ると老夫婦がやってきて、「どうしたの? 電話番号調べてあげる」と言う。
地方別電話帳には同じ名前の人が無数にあった。
次に職業別で調べようと言う。
どこに住んでいるかわかるかと聞かれ、「確かアヴィニョンの駅から大きな橋を渡った高台にあるって聞いた気がする」と紹介してくれた教授の話を思い返しながら伝えると
「それはvilleneuve les Avignon だ!」
該当の番号が数件に絞られ、電話番号のメモを渡され、端から電話してみろという。
老夫婦はじっと後ろで見ている。
そして上から電話すること3件目。Ca y est! ついに、つながった。
「明日遊びに来なさい」とトントン拍子に話が進み、そのままBruel夫妻を訪ね、方々観光に連れて行ってもらい、1泊させてもらった。

帰り際に奥さんにお弁当を渡され、駅で別れる時に次にフランス来たら必ず電話するようにと何度も念を押された。
電話を調べてくれた老夫婦といい、Bruel夫妻といい、南仏の人はきさくで明るい。

今回そのご夫妻を再び訪ねることになった。Bruelさん宅を訪ねるのが、私の旅の目的の一つでもあった。お土産に羊羹を渡すと「youkan!]と大変喜ばれた。
挨拶してお土産渡し父を紹介して失礼するつもりだったが、ストで電車もバスも動かず、そのまま1泊させてもらった。