いろんなことを想った 七日間。
ひとのありかた、ひとの命、それぞれの考え方・行動のしかた。
娘の大好きだった 2年間同じクラスだった男の子が ひとり旅立ってしまいました。
面白い子で、娘のおしゃべりに まいにち登場していた男の子。
「Tちゃんがねぇ~・・・」 って、本当にまいにち聞いてました。
楽しくて 仲良しで 大好きだった子が、普通の朝に 登校して来なかったんです。
13.14歳の子どもたちにとって 大きすぎる出来事でした。
普通に 「腹 減った~っ!!」 って帰ってきて 普通に寝て
そして 普通に起きてきてくれなかったのだそうです。
急性の病気だと思うと、どうしようもないのかもしれませんが、
ご家族のお気持ちは 察するに余りあります。
2日間は Tちゃんおうちにいるから 会いに行ってもいいよって 学校から話があったそうです。
娘は迷い 「やっぱ いいや」 と言ったのですが
出会いは大切だけれど お別れはもっと大事にしてほしいこと、「次は行く・・・」の、次はないのだ
ということ、それから、お母さんの立場だったら、きっとお友達がたくさん会いにきてくれたら嬉しいと
思うよ と私の気持ちを伝え・・・、考えた娘は 「会いに 行くよ」 と決めてくれました。
部活をサボって行ってはいけないと言われてるのに、部活を抜けて行ってる子がいたのもイヤだったそ
うですが。
Tちゃんの家の周りには たくさんの自転車が停まっていて、制服姿の子どもたちが集まっていました。
男の子も 女の子も。 向かう車の中で 「Tちゃんがいて どんなに楽しかったのか」 お母さんに伝え
てあげることがいいんじゃないかと、 私の考えを話しました。
Tちゃんのお顔を見せてもらって お母さんとお話をして 娘と友達は 泣いていたのだけれど
「信じられないよね~」というお母さんから、「学校ではどんなだったの? おしえてよ」 と声を掛けてい
ただき、Tちゃんのお陰でどんなに楽しかったか、クラスの雰囲気がよかったのかを やっとお話できた
のでした。
悲しい話はたくさんあって その出来事は記すまでもありませんが
私は その悲しさ以外に なんだかやるせない淋しさを感じたのです。
私がはっきりしすぎているのか 常識的なことを軽んじているのか ・・・ 教えてください。
子育ては ご飯を食べさせて学校にやることだけではないと思うのです。
こんなときにこそ、親の考えを子どもに伝えたり そのことに自信を持てなくても 親として責任を持つ、
そんな機会だと思うし、それから 『足並みを揃えて・・・』の必要性が よくわかりません。
私は 子どもとともに ご自宅まで会いに行くことに決めました。
1年生のときにも伝えたけれど、娘が毎日話してたんだってことを お母さんにも伝えたかったし。
土日に行われた葬儀等にも (初日は、学年全員ができるだけ出席と連絡ありました) 両日の出席を
子どもに促しました。私も参加しました。
行っても行かなくても いいのだと思います。まして、直接知らない保護者もいらっしゃるし、ちゃんと説
明の出来る理由があるのなら、子どもに伝えればいいのだと思うのです。
自分自身が 行くのか行かないのか、行きたいのか行きたくないのか、そういうことなんじゃないの?
と思うわけです。 それなのに 車が多くなって停められないかもしれないから行かない・・・って、
子どもは納得するのでしょうか? ねぇ、行く?どうする?○○さんが行かないらしいから、うちは子ども
だけで・・・ って言われ、「私は行くので、お子さん一緒に連れて行きましょうか?」 とは言っても、
「ぜひ母も一緒に行こうよ」 とお誘いはしません。
大人になるって そういうことなのでしょうか?
足並みそろえるって そんなに大事なことなのでしょうか?
私は 子どもに 「自分で考えて行動し そのことに責任を持つ」 ようになって欲しいし、私の姿を見られ
ても恥ずかしくないように 常に行動していたいです。 もし その考えが間違っていたとしても、そのこと
に責任を持ちたいです。
子どもたちと話したのは こんなことを学ぶために誰かの死が必要なら こんなこと学べなくてもいいん
だけど、こうやって遭遇してしまった不幸な出来事からは、たくさんのことを学ばせてもらえる ということ。
あー、悲しすぎる。 いろんなことが。
でも、子どもたちは 頑張っています。 2週間後に迫った体育祭。応援用に作ったうちわに、全員が
Tちゃんの名前を入れました。 Tちゃんの代わりに係りになる子、代わりに走る子、みんな笑顔です。
だって、そうしないとTちゃんが笑わないから、だそうです。
先生も 最初の日、Tちゃんの分も給食を準備しました。 そして、スプーンで皆に分けました。
来月は Tちゃんの14回目の誕生日です。 みんなで何かやろうねって話になっているようです。
秋の音楽会で歌う「大切なもの」は、今は歌うたびに涙が出ちゃうけど、Tちゃんのお母さんにも
招待状を出す予定なのだそうです。
忘れないこと、一番喜んでもらえるから、 時々お参りに行かせてもらいなねって 話してます。
たのしかったかなぁ・・・? とお母さんが仰るのです。 たったこれくらいで たのしかったかなぁと。
あんなにたくさんの友達が 入れ替わり訪ねてくる子って そういないと思います。
みんなに思い出話たくさんされるTちゃんは、 きっときっとすごく楽しい時間を過ごしたに違いないです。
Tちゃん、たくさんの楽しさを どうもありがとう。
お母さん、妹さんが中学入学のとき、同じ学年でまたお会いできるのを 楽しみにしています。
ひとのありかた、ひとの命、それぞれの考え方・行動のしかた。
娘の大好きだった 2年間同じクラスだった男の子が ひとり旅立ってしまいました。
面白い子で、娘のおしゃべりに まいにち登場していた男の子。
「Tちゃんがねぇ~・・・」 って、本当にまいにち聞いてました。
楽しくて 仲良しで 大好きだった子が、普通の朝に 登校して来なかったんです。
13.14歳の子どもたちにとって 大きすぎる出来事でした。
普通に 「腹 減った~っ!!」 って帰ってきて 普通に寝て
そして 普通に起きてきてくれなかったのだそうです。
急性の病気だと思うと、どうしようもないのかもしれませんが、
ご家族のお気持ちは 察するに余りあります。
2日間は Tちゃんおうちにいるから 会いに行ってもいいよって 学校から話があったそうです。
娘は迷い 「やっぱ いいや」 と言ったのですが
出会いは大切だけれど お別れはもっと大事にしてほしいこと、「次は行く・・・」の、次はないのだ
ということ、それから、お母さんの立場だったら、きっとお友達がたくさん会いにきてくれたら嬉しいと
思うよ と私の気持ちを伝え・・・、考えた娘は 「会いに 行くよ」 と決めてくれました。
部活をサボって行ってはいけないと言われてるのに、部活を抜けて行ってる子がいたのもイヤだったそ
うですが。
Tちゃんの家の周りには たくさんの自転車が停まっていて、制服姿の子どもたちが集まっていました。
男の子も 女の子も。 向かう車の中で 「Tちゃんがいて どんなに楽しかったのか」 お母さんに伝え
てあげることがいいんじゃないかと、 私の考えを話しました。
Tちゃんのお顔を見せてもらって お母さんとお話をして 娘と友達は 泣いていたのだけれど
「信じられないよね~」というお母さんから、「学校ではどんなだったの? おしえてよ」 と声を掛けてい
ただき、Tちゃんのお陰でどんなに楽しかったか、クラスの雰囲気がよかったのかを やっとお話できた
のでした。
悲しい話はたくさんあって その出来事は記すまでもありませんが
私は その悲しさ以外に なんだかやるせない淋しさを感じたのです。
私がはっきりしすぎているのか 常識的なことを軽んじているのか ・・・ 教えてください。
子育ては ご飯を食べさせて学校にやることだけではないと思うのです。
こんなときにこそ、親の考えを子どもに伝えたり そのことに自信を持てなくても 親として責任を持つ、
そんな機会だと思うし、それから 『足並みを揃えて・・・』の必要性が よくわかりません。
私は 子どもとともに ご自宅まで会いに行くことに決めました。
1年生のときにも伝えたけれど、娘が毎日話してたんだってことを お母さんにも伝えたかったし。
土日に行われた葬儀等にも (初日は、学年全員ができるだけ出席と連絡ありました) 両日の出席を
子どもに促しました。私も参加しました。
行っても行かなくても いいのだと思います。まして、直接知らない保護者もいらっしゃるし、ちゃんと説
明の出来る理由があるのなら、子どもに伝えればいいのだと思うのです。
自分自身が 行くのか行かないのか、行きたいのか行きたくないのか、そういうことなんじゃないの?
と思うわけです。 それなのに 車が多くなって停められないかもしれないから行かない・・・って、
子どもは納得するのでしょうか? ねぇ、行く?どうする?○○さんが行かないらしいから、うちは子ども
だけで・・・ って言われ、「私は行くので、お子さん一緒に連れて行きましょうか?」 とは言っても、
「ぜひ母も一緒に行こうよ」 とお誘いはしません。
大人になるって そういうことなのでしょうか?
足並みそろえるって そんなに大事なことなのでしょうか?
私は 子どもに 「自分で考えて行動し そのことに責任を持つ」 ようになって欲しいし、私の姿を見られ
ても恥ずかしくないように 常に行動していたいです。 もし その考えが間違っていたとしても、そのこと
に責任を持ちたいです。
子どもたちと話したのは こんなことを学ぶために誰かの死が必要なら こんなこと学べなくてもいいん
だけど、こうやって遭遇してしまった不幸な出来事からは、たくさんのことを学ばせてもらえる ということ。
あー、悲しすぎる。 いろんなことが。
でも、子どもたちは 頑張っています。 2週間後に迫った体育祭。応援用に作ったうちわに、全員が
Tちゃんの名前を入れました。 Tちゃんの代わりに係りになる子、代わりに走る子、みんな笑顔です。
だって、そうしないとTちゃんが笑わないから、だそうです。
先生も 最初の日、Tちゃんの分も給食を準備しました。 そして、スプーンで皆に分けました。
来月は Tちゃんの14回目の誕生日です。 みんなで何かやろうねって話になっているようです。
秋の音楽会で歌う「大切なもの」は、今は歌うたびに涙が出ちゃうけど、Tちゃんのお母さんにも
招待状を出す予定なのだそうです。
忘れないこと、一番喜んでもらえるから、 時々お参りに行かせてもらいなねって 話してます。
たのしかったかなぁ・・・? とお母さんが仰るのです。 たったこれくらいで たのしかったかなぁと。
あんなにたくさんの友達が 入れ替わり訪ねてくる子って そういないと思います。
みんなに思い出話たくさんされるTちゃんは、 きっときっとすごく楽しい時間を過ごしたに違いないです。
Tちゃん、たくさんの楽しさを どうもありがとう。
お母さん、妹さんが中学入学のとき、同じ学年でまたお会いできるのを 楽しみにしています。
jasumin様のお感じなっておられる「やるせない淋しさ」というお気持ち、本当によく解る気がいたします。
「自分がどう感じ、いかに考え、それに基づいて行動し、その行いに責任を持つ」
大人として至極当たり前の事で、それが出来てはじめて「大人」であるといえるでしょう。
しかし、そこに「迷い」の心があることもまた事実です。
殊にそれが「計り知れないほどの人の深い悲しみ」と向き合ったときは、その悲しみきちんと受け止め、真摯に向き合えば向き合うほど大きな迷いのなかに心を置く事があるという事も理解できるバイアリーなのでございます。
どなた様の想いも等しく深い・深い「哀悼」の心に満たされていることを信じ、その上で決して「足並み」を揃えることを欲したのではなく「迷いの答え」を見出せなかった「表れ」だと思いたいバイアリーでございます。
そう思わねば、なくなったTちゃん、そして遺されたご家族様が報われません。。。。
そのほうがよほどやるせないバイアリーでございます。
そうですね、そうですね。たくさんの「迷い」は、本当にありました。
信じられない現実に対する迷い、確かに皆にありましたね。
そうですね。私はキツクて厳しくていけません、ほんとうに。
私、ひとつ考え変えたことがあるんですよ。
これまで「自分の子は絶対に死なないし死なせない」って自信をもって
言っていたけれど、・・・そうじゃないって訳ではないけれど
Tちゃんのお母さんだって当然そう思っていたのでしょうから
私なんかがそんなこと言ってはいけないって、そうあらためて思ったのです。
簡単なことなのに、自分の傍でこういうことが起こるまでわからなかった。
大切な人を失った方の悲しみを同じように感じることは出来ないけれど
私たちはその悲しみと隣り合わせに、貴重な「生」を頂いているのだと。
当たり前のことがこんなにありがたいことだなんて・・・。
体育祭の係り、娘はTちゃんと一緒にやる予定だったんですよー。
いつまでも心に残るTちゃんです。
何と哀しいことでしょう。まだまだこれからの人生だったのに…。(涙)
言葉が見つかりませんが、お花ちゃんのショックはいかばかりでしょう。
身近に存在する人が突然居なくなるという体験は何度会っても
苦しく切なく、持って行き場がなく、やるせないものです。
どうか、Tちゃんがお友達たちを楽しそうに見守り、安らかにありますように!
とてもじゃないけれど、そんな事が我が子に(家族に)あったら、
耐えられませんし、尋常な心境では居られないですね。
それに、まだ13、4歳の子達の心境も、
また大人が想像出来る範囲と、想像出来ない範囲があると思いますし。
大人にも、色んな物差しがあるのも事実だし、子どもも一人一人、心がありますからね。
でも、それぞれの人達一人一人の心に、やるせなさがあって、それをどう表現するか・・・は、またそれぞれなのでしょう。
悲しい思い、やるせない思いは、みんな一緒だと思いますし。
どうか、Tちゃんが安らかであります様。
また、これからのTちゃんのご家族が、
どうか、家族や周りの人達と仲良く手を取り合って、助け合って健やかに生きて行けます様に。
当たり前のように、明日会えると思っていた友人・・・。どーんと突き落とされたようなショック。一週間思い出しては、涙が止まらなくなりました。それだけに、jasuminさんやお花ちゃんのショックが心配です。だいじょうぶでしょうか?
jasuminさんのような素敵な方に想われ、お花ちゃんのような素敵なお友達にめぐまれたTちゃんは、絶対幸せだったと想います。
明るいTちゃんのことだから、みんなに「悲しまないで」っていってることでしょうね。
一日一日のありがたさをあらためて考えさせられました。
お花ちゃんにとって、きっときっと、そこにいてくれるだけで
心強い友達だったでしょうに。
どんなに、素敵なお友達だったでしょうね。
どんなに、ご家族は無念だったでしょうね。
色々なことを想い、うまく言葉にすることが出来ません。
ただいつか、残されたご家族や友人たちの心が
癒される時が来ますように。
体育祭、一人ひとりの笑顔が、空からでも見ててとれるような、真っ青な空であることを祈って!
中学二年生、あまりに早すぎますよね。
お母さんとお話したんです、ついこの前産まれたのにねって。
これから楽しい恋もして、大人になって仕事して、結婚して…
たくさんの可能性を思うと残念でなりません。
つらいですよね。
この淋しさ悲しみが、思春期の子供たちにとって、よい教えと
なりますようにと願わずにいられません。
あまりにも悲しすぎる出来事で、自分に置き換えてみる
ことができないくらいです。
ほんとにほんとに、あってはならないことでした。
娘は初めて葬儀に出席しましたし、そういう子も多かったと思うのですよ。
10日経って、だんだん悲しさが楽しい思い出話に変わっている
ようにも感じています。気持ちを切り替えて、前を向かなきゃ
なりませんからね。そして、いつもそこに思い出が寄り添って
いてくれたら嬉しいなぁと思う母です。
彼のことは、誰一人嫌う人がいなくて、みんなが大好きでした。
素晴らしい子育てをなさったんだなぁって、つくづく思いました。
るんさんは、とてもお辛い思いをなさったところなのですね。
私は、まだ、大事な友人や家族を失ったことがないので
たぶんそのお気持ちを正確に知ることはできないのだと思います。
今回は、まさかの出来事でしたし、少し時間が経ってみても
現実として不思議な感覚で、信じられないのですよ、たぶん娘は。
遠くに引っ越したような、そんな感覚ではないかと思います。
少しずつ受容する、そんなことが必要なのでしょうか、ね。
今週末の体育祭や秋の音楽界で、きっとTちゃんのいなくなった
クラスを実感すると思うのですけれど、みんなで支え合って
前を向いてくれれば、Tちゃんのご家族も喜んでくれると思ってます。
当たり前の朝って、貴重なことなのですよね。
「こうすべき」とか「私だったら・・・」とか「Tちゃんのお母さんのために」とか
そんな考えが、娘の負担になっていないかと不安もあります。
それでも「次」はないのだから、と思ってみたり。
娘たちはおそらく実感のないまま、どこか遠くへ引っ越してしまった
ような感覚になっているのかもしれません。元気になっています。
それでも、ふと実感する瞬間があり、そうやって少しずつ整理したり
迷ったりして成長していくのでしょうね。
Tちゃんのおばあちゃんがクリーニング屋さんやってらっしゃるのです。
だから、衣替えになったら制服を出しにいくのだそうです。
時々そうやってお参りさせて頂くのも、子ども同士のつながりがあって
喜んでいただけるかなぁと思っているのですが。
体育祭、いいお天気だといいなー。
娘のうちわには、Tちゃんのフルネームが大きく書かれ、
まるでジャニーズのファンのようになっていますよ。