まいにちまいにち

お母さんの毎日は いつも同じようで、
少しの素敵がチラリ。

おいちゃん

2010-05-11 | お母さんのひとりごと

仕事中に 姉からの電話。
メールだって めったによこさない姉からの電話は、緊急以外考えられない。

Nおいちゃん。 叔父さんのことを 私の出身地では「おいちゃん」と呼ぶこともある。
(南こうせつさんは ファンの方から「おいちゃん」って呼ばれてたでしょ?)

Nおいちゃんは 父の弟で もともと東京で会社を起こしていた人だけれど 30年ほど前に家族とともに
地元に戻ってきた。 2年くらいで おいちゃん以外の家族は 東京へ戻った。 離婚したから。
父とNおいちゃんは 珍しいほどに仲がよく 同じようにすんごい呑み助で。
私の母は 「Nさんは呑まなかったらいい人」、とよく言ってた。
酔っ払いが二人して 毎回同じ話題で言い合ったりして・・・ 面白かった。
「何を言うか、N!」「いや、兄貴、それはちがうで!」と。
公務員だった父と違って 年金も少なかったNおいちゃんを 「俺が面倒みる」と父は言っていたらしい。
そのNおいちゃんが 亡くなった。
現場監督をしていた68歳のNおいちゃんは 高所から転落したという。
病気だったらよかったのに・・・。 心の準備もできやしない。 ずっとずっと働いてきて、68にもなって
痛い思いをして亡くなるなんて せつな過ぎる。

花に囲まれたおいちゃんは 冷たくて 固かった。

30年ぶりくらいに おいちゃんの奥さんだったおばちゃんにも会って 従妹たちにも会って
「こんなときくらいしか会わないけれど・・・」 と滅多に会えない親戚たちにも会った。

人は 死んではいけないと思う。 死ぬのは 決していいことではない。
でも おいちゃんの逝ったところは そんなにいやなところじゃなくて きっといいところなんだと思う。
忌み嫌うところではない。

私は おいちゃんの遺影と 祭壇を 写真に撮ってきた。 不謹慎なことかしら?
そして 家に帰って 子供たちと おいちゃんの素晴らしい笑顔の遺影を見ながら おいちゃんの話をした。
祭壇にある 仏様になったおいちゃんに 手を合わせた。

Nおいちゃんは 68にもなってナンだけど 人懐っこい人で 誰彼と飲むのが大好きで そして電話魔で。
いちど 長崎の飲み屋さんから 電話が架かってきた。
たまたま居合わせた人と話をしてたら それが 私の中・高の同級生だったというわけで。
彼は きっとぜーーんぶおいちゃんにおごってもらったに違いない。 そんな人。
3年前の姉の選挙のときは おいちゃんが運転手をしてくれて それがとっても選挙慣れしたように上手で。
おいちゃんが運転する車の助手席に姉が乗って その後部座席で私がマイクを持っている・・・という
家内工場さながらの選挙風景だったのに・・・。
おいちゃん、頼りにしていたんだよ。
お父さんだって あんなに可愛がってた弟なのに。 お父さんが 一番淋しくなっちゃうな。
今 おいちゃんは 私の実家にいる。 父が毎朝 ご飯をあげる。

帰りに 地元の空港で 文庫本を1冊購入した。
映画は見てないけれど 一度読んでみたいと思ってた。  けど、選んだ理由はそれではなくって
裏表紙の説明文が “幸福な物語”という言葉で結ばれていたから。
おいちゃんは 幸福でしたか?
幸福でしたよね。
私 幸福に生きて 幸福に生きて 幸福に死にたいです、おいちゃん。 



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8 コメント

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お悔やみ申し上げます (tikotiko)
2010-05-11 13:02:15
懐かしく、暖かく、親しみの消えない方が亡くなるというのは本当に哀しく、心悼むことですね。
事故だったのでしょうか?

本当に、これからはなお、お父様がどれほどお寂しいことか。
今どきは兄弟仲良くというのが少ない世の中ですから
きっと羨ましい位の仲好しご兄弟だったのでしょうね。
jasuminさんのご家族、ご姉妹もとても仲良さそうですし…。

どうぞ心安らかに、よい世界をお迎えになりますように!
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*tikotikoさんへ (jasumin)
2010-05-11 16:20:20
tikotikoさん、どうもありがとうございます。
叔父は仕事中の事故だったのだそうです。
もう、残念でなりません。
会社の方もとても良い方たちで、叔父を雇った当時の社長がご夫婦で
事故の日も通夜の日も叔父のそばに泊まって下さったそうです。
お花も人もいっぱいの、とても良いお別れだったのだと思います。

叔父の子供たちがお骨を持ち帰れないと言ったことが
父には悲しかったらしく・・・ま、仕方ないですね。
母も一緒に列席しましたよ。母はよく酔っ払いの叔父を叱ってましたから(笑)
叔父はきっと今も、美味しい焼酎を飲んでいると思います。
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お悔やみ申し上げます。 (toko)
2010-05-11 16:24:45
小学生の時、大好きだった曾お婆ちゃんが亡くなって、悲しくて悲しくて、人が亡くなったということが、どんな事なのか、あの時に初めて感じました。
父が亡くなった時、もうこれ以上、私の大事な人が居なくなる事には耐えられないと思いました。
胸が痛い思い。
jasuminさん、しばらく胸が痛いでしょうね。
お父様も、たまらないでしょうね。
こういう時に、いい言葉が全然思い浮かばなくて、ごめんなさい。
どうか、新しい世界が素晴らしい所であります様に。
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*tokoさんへ (jasumin)
2010-05-12 10:03:40
tokoさん、おはようございます。
私はもう40を過ぎているのに、あまり近い人を亡くしたことがありません。
あー、それでも人は死んでしまうんだなーって
親の兄弟までもが死んでしまうんだなって、
悲しいことにあらためて気付かされました。
父は両親を早く亡くしたので、妹弟のために高校を中退して働き始め
次男なのに長男のようにやってきたようなのです。
亡くなった叔父と、ほんとうに仲がよくて、毎日仏様をみながら
どんな気持ちかなぁって・・・ちょっと心配でもあります。
叔父の孫がまだ小さくて、母親(叔父の娘)に叱られるときに
「大分のじーじのところに行きたいの?」って言葉を言われてて・・・
個人的にそれはちがうよって思って、ちょっと辛くなりました。
叔父の逝ったところを嫌なところみたいに言わないでって、、、言えなかったけど。
新しい世界はきっと綺麗なお姉さんがいて、お酒の美味しいところだと思います(笑)
tokoさん、どうもありがとう。
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謹んでお悔やみ申し上げます。 (バイアリー・ターク)
2010-05-12 11:24:25
叔父上様の突然の悲報に接っしられたお父上様ならびにjasumin様の心中如何ばかりかと思うと言葉もございません。
ひたすらにご冥福をお祈りするばかりでございます。
そして、何より、どうかお父上様がお力落としのないようにと願うばかりでございます。

叔父上様が旅立たれた世界で永遠に楽しい時間を過ごされます様に。

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*バイアリーさんへ (jasumin)
2010-05-12 12:55:41
バイアリーさん、ありがとうございます。
私は、本当に身近な人とのお別れを体験したことがなく
まだまだ実感のないままです。
父がなー・・・どうかなぁと心配でもあります。
バイアリーさんのように、お墓にきちんとお参りできるわけではないのですが
昨夜は寝る前に、葉っぱと携帯の中の写真の祭壇に手を合わせました。

叔父はたくさんの人に愛された人なので、今も楽しい毎日を送っているのだと思います。
ありがとうございます。
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Unknown (ROKO)
2010-05-12 14:41:52
お悔やみもうしあげます

事故でなくなられたのこと、突然の悲報で
さぞお力落としのことと存じます。
故郷に戻られた後、お一人で暮らしていられたのでしょうか。
叔父様、今は仲の良かったお父様のところで
毎日ご一緒でよかったですね。
残念ですけれど、それだけは良かったと思います。

言葉がみつかりませんけれど、心よりご冥福を
お祈りいたします。
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*ROKOさんへ (jasumin)
2010-05-12 23:48:08
ROKOさん、ありがとうございます。
叔父はひとりで暮らしていましたが、父の趣味の碁会所に隣接する家に居たので
毎日会うか、会わなくても気配を互いに感じながら過ごしていたはずなのです。
なのでね、父の気持ちは、推し量れないほどです。
事故は、いやです。病気だっていやだけど。
これからも、父は叔父に話しかけながら呑むのでしょう、二人とも呑み助でしたから(笑)

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