脳のミステリー

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『心との相談から一日が始まる』

2011-05-29 09:45:29 | Weblog
今から10年半余り前、私の生活環境がガラリと変わりました。
先ず、有無を言わせず私という頑固者を変えたひとつに「時間」があります。
それまで 徒然なるままに過ごした優雅な時はありませんでした。
トルストイの「時は一瞬も休むことなき無限の動きである」とか「流れ進むのはわれわれであって、時ではない」とか
「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけ」・・・ある意味トルストイの著作は私にとっては正に「人生読本」だったのです。
だから私は常にかなり強固な「時は金なり」人間だったのです。
人生の半世紀間のスケジュールは白紙が見えず、ギッシリ詰め込んだ予定で真っ黒に近かったのです。

ところが、脳内出血の右半身不随という後遺症は「時間の余裕」という置き土産も残してくれたのです。
暇があればスケジュールに何か足し加える・・・それが、閑(のどかに時間が…)があれば休憩を取る・・・時にはシェスタを・・・
20分位の休息は最高だという事を思い知らされた、という訳です。

更に 最近になって痺れと痛みが同時に襲ってくる右半身をジッと見詰ていて遅ればせながら察知した事があります。
それは 強烈な低気圧に見舞われた時(体が高血圧の襲撃を受けた時と大差ない様な気がする)出来るだけ、痺疼痛から逃れる為に、
可能な限り右半身全体を地に近づける、という事です。
幸いなるかな、我が部屋は一階で私のベッドは結構低いのです。
そこに 身を横たえて右半身を出来るだけ真っ直ぐにして爪先の方を多少高くするのです。
そうすると、30分もしない内に元のいつもの痺疼痛にまで戻す事が出来るのです。
今年に入ってから、気象の変化に付いて行けず、大地震はそれを加速したのか、痺疼痛は10年間経験してきたものとは全く比較にならない程凄まじいものになって来たのです。
だから、私は装具靴を脱いだり履いたりの面倒臭さを諦めて、時間を作ってはベッドに横たわる事にしたのです。

こうして、過酷な障害生活を少しでも快適な生活に変える術を自ら発見したのです。
これこそ「自分の心と相談して得る人知をこえた不思議な技」と自画自賛しているのです。


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