脳のミステリー

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色々な障害者に会って思った事は・・・

2009-12-01 16:03:46 | Weblog
第28回障害者週間が12月3日から9日まで始まる。
この「障害者週間」は障害や障害のある人への理解を深め、障害者の社会参加への意欲を高める事を目的としている。
偶々、著書『障害者の経済』という書物を通して知り合った慶大商学部の教授の講演があるというので、一年ぶりに会いに行った。
彼の基調講演は相変わらず理解し易い話だった。

世界には色々な人種が生きている。
世界には様々な障害(不便)を持つ人間が生きている。

私は8年前、左脳被殻出血に襲われて右半身不随になった。
救急病院で右半身が全く動かない自分を見つめて呆然とした。
私は自分の命と引き換えに右半身不随という宣告を受容した。
脳外科医達は異口同音「死んだ右半身は決して元通りには生き返らない」と明言した。
実はこれが私に「生きる道」を誘導してくれた。
私は時間をかけて「障害社会」に入り込んでじっくり観察し始めた。

これまで身近で私の知っている障害者は・・・目の不自由な人、耳の不自由な人、言葉に障害のある人、歩行が困難な人・・・そして自分が障害と言う壁にぶつかった8年前は未だ簡易電動車椅子は珍しかった。

アメリカが1975年に発表した脳卒中の診断基準で、病期による分類をしているのに注目すると一過性脳虚血発作のほかに、神経症状変動期として症状が悪化または軽快しつつある時期をあげ、悪化進行しているものを進行型発作progressing strokeとしている。神経症状固定期として、局所症状が24時間以上持続するが3週以内に消失するものを可逆性脳虚血症状reversible ischemic neurological deficitといい、局所症状が3週以上固定して存在するものを狭義の完成型発作completed strokeとしたという事である。
私なりに主治医等の話をよく噛みしめると、多分3度目のは一過性脳虚血発作等という簡単なものではなく被殻出血に即繋がって、結果的には2番目のRINDという脳卒中の診断だったのかなあ、と思っている。

私は勿論自分を病人だとは思っていない。障害手帳は戴いたが、障害者だとも思わない事さえある。私らしく厳密に言えば、自分は「ハーフ人間」だと思っている。誰が「五体満足」でなければ健常者と言えないと断言できるのだろうか。色々な難問を抱える障害者に会うと、自分は単なる「不便人間」だなと思ってしまう。自分の不便はなるべく他人を道連れにしないように努力しているつもりだ。

様々な障害を持つ人達の話を聞いていると、蘇り人生を歩んでいる自分は色々手を広げるより「盲導犬募金」一本で行こうと思った。

港区で外国人相談室長をやっている時もそうだった。目の前にする問題を全部引き受ける訳にはいかない。YESとNOをはっきり言うべきだと痛感した事がある。
障害にはあまりに考えられない程たくさんの問題がある。私に出来る事は「連日連夜痺疼痛を四六時中感じてはいるものの自分だけが耐えて我慢すれば生きていける」という事で「ただ生きていくのではなく、自分が出来る事を探して、それを世の中に還元して生きていく事だ」と思った。

老大木が自然に倒れると、その下に新しい命が数え切れないほど生まれ、生き生きと動き出してくる。そんな画像を見た事がある。
私はそんな「老計」を今から考えておこうとしみじみ思う。

こんな話を聞いた事がある。
「りんじゅうき」と耳で聞いただけでは、臨終期だと思うが、「人生の最期をどう生きる?か」ではなく、古代インドのバラキン教の思想にある「林住期」は人生の終りではなく、その時期を人生の最も重要な時期と捉えて、社会人としての努めを終えた後すべての人が迎える第三の人生であるというのである。
一昔前までは平均寿命も短く後の残り少ない人生を、どのように生きるか?という事になるのだが、最近では医学も発達し平均寿命もかなり延びている。
50歳~75歳という時期は今まで、子育てや仕事等で忙しくって出来なかった事ややりたかった趣味等をじっくりやるには最高に素晴らしい時なのだ。そんな素晴らしい時に半身不随にはなってしまったものの、私は自分の人生を誰にも邪魔されずに自分らしく生きる事が出来る時期だと考えるとまさに「人生の黄金時代」と言える。そう言い切った人がいるようだが、同感である。「林住期」と呼ばれ始めて約四半世紀を大切に大切に自分らしく生きていきたいといけたら最高に幸せな人間であると思わずにはいられない。80歳かあ、亡き父もごく自然に「生涯障害現役人生」を送ってたなあ! 傘寿かあ~ 
「林住期」を「人生の黄金時代」と言ったのは作家の五木寛之氏だったっけ?
こんな大事な事を忘れてしまうなんて、私もそれなりに年取ったのかなあ?!
還暦を無事迎えて、これからは66歳の緑寿、70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿が待っている。ゴールドがお祝いの色として初めて出るのが80歳だという。万が一、それ以上の長寿の道を車椅子で歩んでいれば、これぞ私の「余生」と言えるだろう。

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