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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

渡航禁止地域へ何故行くのか 中国軍艦に救助されたイエメンの日本人

2015-04-09 06:41:12 | Weblog
菅義偉官房長官の定例記者会見で日本人旅行者の一人がイエメンのソコトラ島から中国の軍艦に助け出され隣国のオマーンに脱出した旨明らかにした。菅官房長官によれば、この脱出行は、わが国が中国に依頼したものではないそうだが、日本の在イエメン大使館はすでに2月に閉鎖され、在留邦人に対しては退避勧告が出されている。なのに、まだ日本人旅行者が、のこのこ、この国にいたとは驚きである。

ソコトラ島とは聞いたことがないが、アラビア半島から300キロの洋上に浮かぶ小さな島で”インド洋のガラバコス”と呼ばれているそうだ。その生態系の珍らしと、古代ローマ時代の遺跡もあって世界遺産にも指定されているとのこと。おそらく、中国軍艦によって助け出された日本人は、観光客と思われるが、昨年来イエメンの政情がどうなっているのか、自国の大使館が閉鎖され、邦人に対して退避勧告が出ているのを知っていたはずである。怖いものしらずというのか、あまりにも身勝手な行動だ。

テレビの報道番組をみていたら、シリアへの渡航を望み、パスポートを返納させられたフリージャナリスとに新しく、渡航先限定のパスポートが交付されたという。フリージャナリスとがこれを受領するかどうかは明らかではないが、まさか許可された渡航先にイエメンは入っていないだろう。渡航先限定の旅券は今に始まったものではない。僕が初めて得た報道者用旅券(昭和37年10月)には”Countries for which this pasport is valid"(旅券有効な国々)として、訪問先の国を中心に23か国の名前が明記されている。これには冷戦時代を反映してか共産国やイスラエルの名前は載っていない。

今は好い時代で、おカネと時間さえあれば、どこの国へでも行ける。しかし、国が出かけないほうがよいと勧告している国には行かない方がよい。命あってのモノダネである。




戦後2年経ってから帰国したペリリュー島の生存者たち 軍隊は「運隊」

2015-04-08 05:55:30 | Weblog
天皇.皇后両陛下が8,9の2日間、パラオ共和国を公式訪問し、先の大戦の激戦地、ぺリリユー島での戦没者慰霊祭にも参加される。ぺリリユー島では昭和19年9月から11月までの70日余、上陸してきた米国軍と島を守備していた第14師団歩兵第2連隊ほかの部隊との間で激しい戦闘が展開され、約1万人の日本軍兵士が玉砕戦死した。僕は両陛下とほぼ同じ世代だが、恥ずかしながら最近まで、ぺリリュー島の名前を知らず、この玉砕も知らなかった。

両陛下の慰霊の旅を知り、改めて家にあった「ニューギニア戦線に消えた 悲運薄命の南洋第6支隊」(家永尚喜著 平成10年 星雲社)を読み直してみたら、この部隊は第14師団が玉砕する前の同じ年の4月までぺリリュー島に駐屯、兵要地誌の調査に当たっていた、その後、ニューギニアに転進したが、ぺリリユー島で全部隊が全滅する前に、家永氏が属していた南洋第6支隊は、飢餓と病気でほとんどの兵士が亡くなっている。

戦争に従軍した兵士の間では「軍隊」は「運隊」だと自嘲的に言われていたそうである。家永氏の本の中に、ぺリリユー島の第2歩兵連隊22人と海軍西カロリン航空隊12人が、戦後の昭和22年4月、米軍に投降したという記事があった。この人たちは戦後2年間も島内の洞窟やマングローブの樹上に櫓(やぐら)を建てて生活していたのだという。たんなる戦闘の生存者ではないのである。まさに「軍隊」は「運隊」である。家永氏は”ぺリリユー島に残っていても、ニューギニアに転進しても当時の南太平洋戦線では同じであった。ただ死に場所が違うだけだった、と述懐している。2年間、洞窟の中で苦労され無事帰国できたのも「運隊」なのであろうか。なお、ぺリリユー島の戦闘では202人の日本兵が捕虜になっている。

辺野古移転反対と同じ 地方の強すぎる自己主張

2015-04-07 06:12:32 | Weblog
普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古への移転をめぐって菅義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事との話し合いは結局意見が平行線のまま終わった。前から翁長知事の主張は判っていたが、あまりにも感情的で”知事就任4か月になるのに安倍総理は話し合に応じない”とか”政治が堕落している”とか、問題の本質から離れた身勝手ともいえる自己主張だ。

辺野古移転は今に始まったものではなく、長年にわたって政府と沖縄県との間で話が行われ、やっと実現段階にこぎつけた問題だ。翁長氏が知事選挙に当たって”辺野古反対”を公約掲げ当選したからといっても、この問題とは別問題だ。”辺野古以外に移転先はない”という菅官房長官の意見は正しい。しかし、翁長知事がいう”政治の堕落”は、ある意味で僕は解らないでもない。それは”身勝手”ともいえる地方の主張を政府が許し、政治が前に進まないからだ。

例えば、原発事故による放射性物質の中間施設の福島県外での建設がが遅々として決まらないことだ。この問題はすでに全国の市町村会で具体的な候補地まで決まっているのに、現地の強い反対にあって、候補地の調査までできていない。事故のあった福島県だけに、一方的に施設を押し付けるのはあまりにも”身勝手”すぎる。これでは、沖縄県が基地を県外へ移せという主張と同じである。

戦前の内務省行政は”上からの視線”で事がスムーズに運んだといわれている。今は時代が違い、話し合いの政治である。辺野古移転もだからこそ時間をかけて合意した。決して”上からの視線”だけで決まったものではない。しかし、僕が見ても、菅長官の態度の節々には、翁長知事をして”上からの視線”と感じさせるものがないでもない。

”ロコモティブ.シンドローム」 ジョギングを過信するな

2015-04-06 06:25:01 | Weblog
調べ事があって10年前の日記を見直してみたら、4月5日の記述に”左足の痛み散歩できず”とあった。当時まだ僕は元気で毎朝、地域のラジオ体操に参加し、一日万歩計をもって1万歩は歩くように努めていた。早速、近くの整形病院へ行き、診断を受けたところ、レントゲン撮影の結果、左膝の半月板が多少摩耗しているということであった。日記を見ると、それから1か月ほど通院し、いわゆる”電気治療”をしたが、痛みが多少弱まったのか、それとも効果がなかったのか通院は止めてしまった。

一昨年11月、僕はついに痛みに耐えきれず、人工関節置換手術に踏み切った。この10年間は振り返ってみると膝の痛みとの闘いであった。最初の病院の”電気治療”に飽き足らず、別の整形病院で、マッサージ中心の治療に当たった。それも、あまり効果がなく、医師の勧めでジョギングを控えめに、もっぱら自転車を乗り回した。それでも痛みがとれないので、スポーツジムへ行き、水中歩行とマッサージを受けた。これは治療を受けた直後は確かに効果があったようだが、すぐに痛みは倍加した。”結局、セカンド.オピニオン”を求めて総合病院へ出かけ、医師の診断で入院、手術することになったわけだ。

高齢者にとって最大の”敵”は、腰膝の痛み”ロコモティブシンドローム”予防ではないかと思う。膝腰の痛みが激しくなり歩けなくなれば、家に閉じこもりになり老化は深まり認知症になる確率も多いという。しかし、”ロコモテイブ.シンドローム”予防の正しい指導は残念ながらない。今の主治医の話では、半月板の摩耗は老化が原因だが、若い時からの歩き方も影響しているという。そういえば、僕は若さに任せてただ歩いていただけで、踵から着地して手を大きく振る正しい歩き方をしていなかった。”ロコモティブ.シンドローム”には、ジョギングを過信しないほうがよい。

(本日、年に4回の事後診断の結果、順調に回復しているとの事であった。)


無投票率が高い「統一地方選」のシラケ

2015-04-05 05:02:47 | Weblog
41道府県と17政令市議選のいわゆる「統一地方選」が12日の投票日に向けて真っ盛りだが、不謹慎で申し訳ないが、東京はなく、静かに花見ができている。先日、隣接の川崎市のターミナル駅前を歩いていたら、いきなり候補者から握手を求められ、手を引いてしまった。有権者でないという気持ちからなのだが、帰宅してその話を老妻にしたら、素直に握手に応じるものだといわれた。

東京の都議会、区議選がいつなのか知らないが、選挙まじかなのだろう。家に立候補者のパンフや応援の電話が増えてきたが、加齢のせいなのだろうか、一番身近な選挙なのに関心が薄くなってきた。ところが、地方選擧への無関心は都会の老人だけではないらしい。今回の「統一地方選」の無投票当選率が総数の21.9パーセントと、過去最高だという。中でも香川県は、対立候補のない無投票当選が41県議のうち66パーセントに当たる27議員に上るという。次いで、山形県(45パーセント)宮崎県(43.6パーセント)も高い。

どうも地方選挙への無関心さの原因の一つは、例の兵庫県県議の”泣きっら”画面からの”シラケ”も原因しているのではないだろうか。あの県議先生の顔をみれば、かって、わが町、わが村の代表としてあった尊崇の念などない。何より問題なのは、正規な報酬のほかに、実体が無かったり、薄い政務活動費を貰いムダつかいしていたことだ。でも、それだけではないようだ。国民全体が政治に対して、シラケ感情が増えてきたことだ。これが投票率の低下になって現れている。「地方創生」といってもこれでは始らない。

知られざるインドネシア独立の英雄「黒岩通」隊長

2015-04-04 06:08:57 | Weblog
東京の芝山内の古刹、青松寺の境内にインドネシア初代大統領スカルノの揮毫による”独立は一民族のものならず全人類のものなり”と記した二人の日本人、市來竜夫、吉住留五郎に対する顕彰碑がある。二人は敗戦後もインドネシアに留まり、ジャワ島でのインドネシア独立戦争に参加”インドネシア永遠の礎石”となられた方だ。お二人と同じように、戦後インドネシアに残留、独立戦争に参加した日本人は各地で千人近くいるといわれている。

先日戦時中スマトラ.アチェの義勇軍教官だった後安克己さん(94)から頂戴した戦友会「阿智恵会」の会報にも、その一人「黒岩通」氏の事が紹介されている。「黒岩通」とカッコで囲んだのは本名が判らないからだが、実在の人物で、戦後インドネシアに残留した軍人、軍属の集まり「福祉友の会」の編纂した会報にも「黒岩通」氏らしき名前は出てくる。しかし、日本にある資料は、「黒岩通」氏が、アチェ軍政監部の警部だった人物で、戦後アチェの山中に立て篭もり、アチェ人に対して徹底抗戦を呼びかけ軍事訓練を指揮した程度のことぐらいしか判らない。

ところが、後安氏に頂いた資料に触発されて、改めてわが家の”積んどくだけだった”インドネシア語の本二冊を読んでみると、「黒岩通」の写真まで載っており、彼が昭和22年の和蘭による”第一次警察行動”の際には、インドネシア軍の蔭の参謀としてメダン攻防戦で活躍したと記述されており、著者が戦後の昭和39年、東京で「黒岩通」と再会までしている。しかし、「福祉友の会」の名簿には「黒岩正吾」クチュアリと「黒岩通」氏らしき名前が載っていうだけで、いつ日本へ帰国したのかも判らない。「阿智恵会」の名簿にも載っていない。

高齢者が使用禁止すべき薬と医療費高騰

2015-04-03 05:35:29 | Weblog
高齢者が使うと副作用が多く使用中止を考慮したほうがよいという約50種類の薬のリストが日本老年学会のHPに載っている。幸い、僕の場合は現在日常的な常用薬はないから心配ないが、かって糖尿病の薬「アクトス」を服用して年に二回も膀胱ガンになったことがあり、薬には敏感である。早速、その
HPを開いてみた。

加齢とともに身体のどこかにガタがくるものだ。久しぶりに旧友と会うと、まず病気の話であり、服用している薬が話題になる。中にはのんでいる薬の量や種類を自嘲的に自慢するものもいる。素人の僕が見ても、そんなにのんで大丈夫かと思うことあるが、案の定である。HPには僕と同年配の85歳になると、服用している薬の2割は有害だというグラフが載っていた。

昨年、乳がんで入院手術した老妻も一緒にHPを見たら、女性ホルモン剤「エストロゲン」がリストに入っていた。老妻は数年前背中の圧迫骨折で、近くの整形医科に通院した際、連続して、この薬を10回注射するといわれたが、体調が悪くなり、途中7回で中止した。素人の判断で、それがよかったかどうかは判らないが、危険リストには掲載されていた。

医学の専門の学会で、このような”有害薬”を公表しても残念ながら素人のしかも老人では防ぎようもない。薬を決めるのは医療機関であり、患者はそれに従って薬局から購入する。お薬手帳が普及してきたが、薬剤師が、この薬はお年寄りには”有害だ”と服用を禁止させる権限はあるのだろうか。患者側が出来る唯一つの判断は、あまり薬を出さない医療機関を選ぶことである。高齢者医療が問題になっているが、僕ら老人がお国に協力出来るのは、あまり無用な薬をのまないことである。

”汚穢(おわい)舟”が”花見舟”に変った目黒川

2015-04-02 05:20:21 | Weblog
目黒川の桜がすっかり東京の名所として定着してきた。目黒川は世田谷区の三宿あたりの武蔵野台地を水源に東京湾に注ぐ延長8キロほどの川だが、この流域の大橋から中目黒あたりに植えられた桜並木が、ここ10数年、花見客で賑わい始めてきた。昨日、老妻が東横線の中目黒駅近くの病院へ定期診断に出かけたところ、平日の昼間だというのに駅周辺は人でごった返し、交通整理まで出ていたという。

戦前、昭和10年代、僕はこの花見名所から下流のJR五反田駅周辺に住んでいたが、当時は流域に桜並木などなかった。川に沿って所どころに”船着き場”があり、桜にはふさわしくない話題で恐縮だが、家庭の糞尿を集めた”汚穢舟”が、竿を差しながら東京湾へ汚物を捨てに行っていた。川も戦後の化学的な汚染はなかったが、猫の死体や壊れた湯タンポなどが流れていた。

僕ら子供たちにとって、川の上流は「聖域」で探検に出かけたかったが、当時川に沿った道はなく、せいぜい目黒駅近くまでであった。時々、いろんなゴミに混じってテニスのボールが流れてきた。上流のテニス場から誤って川に落ちたものだが、物のない時代、子供たちにとっては宝物で、石を川に投げて岸に引き寄せ拾ったものだ。

時が少し下がって戦争中の昭和18年、学校の教練の査閲(軍によるテスト)で中目黒駅近くの練兵場に行った記憶があるが、駅舎は小さく今のような賑わいはなかった。目黒川の桜が有名になったのは、流域の中目黒や代官山のグルメ,レストランやカッフェとの相乗効果だという人もいる。いつの時代でも”花よりだんご”なのかもしれない。それにしても、かって”汚穢舟”が往来した目黒川に今は”花見舟”まで出ているという。70年前には想像もできなっかたことだ。

”侮日媚韓”フジテレビの番組改編の大博打(ばくち)

2015-04-01 06:26:21 | Weblog
今日4月Ⅰ日から民放テレビ(地上波)各局が番組改編を実施した。各局とも改変の狙いは情報番組の充実だとのこと。中でも最大の改変をしたのは、フジテレビで、月ー金の平日の時間帯になんと5時間にわたる生放送中心の情報番組やニュースを組んだ。これによって全日帯(午前6時から深夜0時)の改編率は36.6パーセントと、同局では21世紀になって最大の改編率である。

フジテレビといえば、かっては全視聴率トップの座に君臨し民放の王者と言われたが、最近は凋落気味で”サザエさん”テレビと悪口といわれるほどになった。その原因の一つは、時代の波に乗れず,乗り遅れたことが指摘されている。利益追及に走って、いつまでも「韓流ブーム」にしがみつき、安い韓国ドラマを流していたため”侮日媚韓”の局の烙印を押され、局舎前で抗議デモが連日のように展開された。これによって”母と子のフジテレビ””面白くなければテレビではない”というステーション.イメージは吹き飛んでしまった。

フジテレビは産経新聞と同じグループだが、これまでどちらかといえば、報道姿勢は意識的に産経色を避けてきたきらいがあった。むしろ「朝日新聞」に近いとさえ言われてきた。確かに”侮日媚韓”の番組編成は、産経新聞の「正論」路線とは異なっている。

改編番組の目玉である「直撃LIVEグツディ!」は、同局のエース.アナである安藤優子と俳優の高橋克己を司会に起用、万全を期しているが、果たして結果はどうだろうか。問題は一度押された”侮日媚韓”のステーション.イメージ”を消せるかどうかだ。思い切った「産経支局長釈放」キャンペーン特番でも組んだらどうだろうか。さもなければ、アニメ.ブームに便乗して全番組アニメで編成したらどうだろうか。