「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            朝鮮人との交渉事はしっかりと

2013-05-21 06:04:17 | Weblog
安倍晋三総理が昨日の参院決算委員会で、飯島勲内閣官房参与の北朝鮮派遣に関連して国際社会が「北」の核.ミサイル問題解決を先行させて拉致問題が置き去りにされることへ強い懸念した(産経新聞)その通りである。他国に頼っていても拉致問題は解決しない。その意味で、この時期に飯島氏を派遣させたは、グッドタイミングだと僕は思う。しかし、国交のない国との交渉事だ。慎重に後に禍根を残さないようお願いします。

昨年来、韓国との関係がギスギスしている。振り返ると、これは李明博前大統領の竹島上陸に端を発しこれを受けた朴槿恵大統領の”歴史認識””従軍慰安婦”発言から来ている。韓国とは1965年、朴槿恵大統領の父親朴正煕元大統領時代に日韓基本条約が締結され、国交が樹立されている。わが国はこの条約に基づき韓国へ有償2億ドル。無償3億ドルという巨額な賠償を支払っている。この協定第二条には”(両国の関係は完全かつ最終的に解決されたことを確認する”とある。つまり”歴史認識”も”従軍慰安婦”も当時はなかった問題であり、解決済みとみなすべき問題なのだ。

日韓基本条約が有効な限り、朝鮮半島の唯一の国家は韓国である。外交上、日本は単独で「北」と国交を樹立できない。それだけに「北」との交渉は難しい。しかし、正式な国交樹立を待っていては、拉致問題は”百年河清を待つ”ようなものだ。その意味で安倍総理の決断は正しいと思うが、問題は朝鮮人との交渉だ。同じ半島に住む、韓国人との日韓基本条約の先例もある。拉致問題の解決を急ぐあまり、将来へ禍根を残すような交渉は避けるべきだ。くれぐれも慎重にお願いします。

       「日本の穴」スマトラ虐殺虚報の独り歩きの恐ろしさ

2013-05-20 05:39:17 | Weblog
戦争中に西スマトラの高原都市、ブキティンギにあった第25軍司令部で防空壕築造のさい、労務者3千人が虐殺されたという虚報が10数年前、現地で流布され、日本でもW大学のK.G教授、K大学のI.K教授らが新聞や自分の本に書いた。これは全く虚報で、インドネシア政府もこれを認め、防空壕入口にあった虐殺を示す大きなレリーフも撤去した。

2004年12月、僕はこの経緯を産経新聞読者を中心に協力を得て、3千部をインドネシア語、日本語、英語3か国語のパンフレットにして現地を中心に配布した。(写真)これで一件落着とほっとしていたところ、先日小ブログに書いた”橋下代表慰安婦発言 帝国軍人も怒ります」に対して頂いた「Ryu太郎」さんのコメントの中で、いまだにこの虚報に半信半疑信の日本人がいて、この教授らを弁護しているのに、びっくり仰天。改めて虚報の独り歩きの恐ろしさを実感した。

「Ryu太郎」さんのコメントは、ブキティンギ市の観光局のパンフレットには”強制労働で多くの犠牲者が出た”と書いてあり、レリーフが撤去された後でも住民はまだ虐殺を信じているという。また両教授は”悪魔的、非人道的な日本占領時”を知っている当時の住民と多く会っており、それなりの理由があって書いたのだと二人を弁護し、これだけの事で二人の学問業績を批判するのはおかしいと書いている。

僕はこの件につき、現地を5回も訪れており、防空壕の築造を直接指揮した本庄弘直主計大尉(当時)とも直接会って取材している。そのほか第5軍司令部戦友会にも出席、当時司令部勤務だった台湾人の元軍属にもあっている。3か国語のパンフを現地で配布する際にはジャカルタの残留元日本軍組織「福祉友の会」の協力を得て現地に同行してもらっている。もちろん、パンフは現地の市役所をはじめ観光局にも配り、さらにブキティンギの近くにあるパダンのブンハッタ大学にも立寄り、学生たちにも話をしてきた。

推察でものを言ってはいけないが「Ryu太郎」さんは、この問題は右翼の煽動のように思っているフシがあるが、この問題が日本で明るみに出た時、W大K大の両教授が属していた「インドネシア占領期フォーラム」の会長中村光男千葉大学教授(当時)は僕らの問い合わせに対して”労務者の記述は正さるべきであり、、ご当人たちも適当な機会にそうされるだろう”との回答を頂いた。中村教授はいわゆる右翼学者ではない。それより、10年の月日が流れたが、両教授から虚報だったという訂正はない。訂正がないから、こういった「Ryu太郎」さんみたいなコメントがいまだに横行するのだ。

            ”世界に勝つため”の英語教育

2013-05-19 06:19:32 | Weblog
安倍晋三総理が”世界に勝つ”をモットーに成長戦略の第二弾を発表した。その戦略の一つとして、外国人教員の倍増と並んで小学校での英語教育の必修化を打ち出した。小学校での英語の必修化は第一次安倍内閣の頃から言われており、、僕はとっくに実施されていると思っていたがそうではなかったのだ。ネット情報だが、現在小学校での英語教育は、全国で7割以上が実施されているが、時間数は年間(月間ではない)10時間だという。それも英語の学習か国際理解が目的なのかはっきりしない授業が多いという。また、民主党政権下で例の”仕分け”にあい、何故か一度決まった副読本まで変更されている。

今回”世界に勝つため”の理念のもとに実施されるのだから、従来のような”あいまい”のものではないだろう。しかし実際の効果はどうだろうか。外国人が学校に来て簡単な会話をかわす程度のものでも国際理解には役立つ。ぼくもこれを否定しない。しかし、本格的なTOEFL何点といった教育にはつながらないのではないだろうかー。

外国語教育についての僕の持論は、外国語は短期間に集中的に学習することである。現在日本の中学校では英語はせいぜい週に3時間程度だと思うが、成果はご存知の通りだ。自分の体験で恐縮だが、50歳の時、僕はサラリ―マン生活を止めて一念発起、1年間インドネシア語漬けの生活をしてみた。専門の語学学習のテープを購入、毎日これを聴き声に出して学習した。春秋二回の在日大使館主催の講習会にも参加した。この結果、日常のインドネシア会話には困らない程度になった。歳をとってからの学習で、入れ歯のため発音は悪いが、現在でもインドネシア語で現地とEーメールを交換できるまでになった。

            都会の中の元禄時代の馬頭観音

2013-05-18 05:39:38 | Weblog
知人との待ち合わせで昨日、生まれてから14年間育った故郷の地を久しぶりで訪れた。昭和20年3月、強制疎開になるまで僕はここに住んでいたが、5月24日の空襲で町は完全に破壊され、まったく昔の面影は残っていない。しかし、町の角々には色々と子供の頃の楽しかった想い出は残っている。今、この地には母方の本家に当たる従弟の長男がビルを建てて住んでいる。

このビルの入口に元禄10年(1690年)創建の馬頭観音が置かれてある。きれいに清掃されて花まで添えられてある。この馬頭観音は僕が子供だった頃は、母方の実家の広い庭の築山の隅に置かれてあった。戦前昭和の時代には、このあたりでも旧家は庭が広く、僕らにとって築山は格好の遊び場であったので、僕の記憶の中にも、この馬頭観音は残っている。

馬頭観音には元禄10年創建と刻まれてあるが、考えてみればかなり古い。忠臣蔵の討ち入りも古く、松尾芭蕉が奥の細道の旅に深川を出発した頃に作られたものだ。亡母の話では、この観音は明治の初期、近くの桐ケ谷火葬場の改修工事のさい路傍に放置されていたものを供養のため先祖が持ち帰ったものだという。

馬頭観音は元禄大地震(1703年)安政大地震(1855年)関東大地震(1923年)にも耐え、大空襲(1945年)でも破壊されなかった。今や、実家の周囲は高層ビルが林立し、馬頭観音は一見似つかわしくないが、若い世代に何か訴えるののがあるらしい。実家の当主の話では、見知らぬ人からの花やお賽銭が絶えないという。

           平均寿命世界一 名誉な記録だが・・・

2013-05-17 05:51:17 | Weblog
”長寿トップ維持”という見出しでWHO(世界保健機関)2013年版「世界保健統計」が新聞に小さく載っていた。男女併せて日本人の平均寿命は83歳で、20年連続トップだとのことだ。わが家は僕が82歳、老妻が80歳だから、この平均寿命に達するには、もうあと”ひとふんばり”しなければならない。

昨日は亡父の生誕129年(明治27年生まれ)だった。これといって何もしなかったが、老妻はささやかに赤飯を炊いて祝った。仏壇の過去帳を見ると、わが家のご先祖には比較的長寿のDNAが流れているらしい。それなのに僕は父方母方の祖父母のうち、知っているのは母方の祖母しかない。幕末の元治元年(1864年)生まれで終戦の年(1945年)に亡くなっている。今まで没年を数えてみなかったが、81歳であった。一方、父方の祖父は文久3年(1863年)横浜で撮ったサムライ姿の写真があり、明治32年まで生きていたと聞いていたので、長寿だとは思っていたが71歳であった。

昨日、70年来の友人と昼間会食した。いつもながら話はお互いの日常の健康が中心、なかでも「認知症」についてであった。周囲にもそろそろ「認知症」の人が出始めてきた。母方の祖母も77歳の喜寿を祝った頃から、近所を彷徨し始めてこたのを僕も子供心に覚えている。他の祖父母については、僕はそんな話を聞いたことがない。多分、人生50年と言われた時代には”恍惚の人”になる前に、あの世からお声がかかっていたのであろう。平均寿命世界一、名誉な記録だが、いろいろ考えさせられる。

   ”ヤマト(日本)からの独立” 照屋社民党副党首の発言        

2013-05-16 06:09:06 | Weblog
社民党の照屋寛徳議員(副党首)が自分のブログ(4月1日)の中で「沖縄ついにヤマト(日本)から独立」と書いていた、と産経新聞が伝えていた。昨日15日は沖縄が日本に復帰して41年だが、照屋議員が毎日更新しているブログには「ウチナ(沖縄)のことはウチナンチュー(沖縄人)が決める」と、見方によっては若干トーンダウンしているが、相変わらずヤマトを強く意識した発言をしている。

20年ほど前まで東京に「日本インドネシア友好団体協議会」という団体が活発に運動していた。戦時中インドネシアにいた軍人軍属のいってみれば戦友会組織だったが、いつも自民党の稲嶺一郎参院議員が顔を出していた。稲嶺一郎氏(故人)は、稲嶺恵一前沖縄県知事の実父で、戦時中はジャカルタの海軍武官府で警護課長をしていた。武官府の前田精長官邸ではインドネシア独立宣言が起草されている。また、稲嶺氏は戦後連合軍によって戦犯容疑で拘束されている。

僕も当時この協議会の会合で稲嶺氏にお会いしているが、照屋議員が今盛んに言っているような”ヤマト”とか”ウチナ”といった変な差別は全くなかった。日本とインドネシアの国旗の下で、同じに戦った戦友として和気藹々と話しあい乾杯した。ウイキぺディアによると、照屋議員は敗戦数週間前、サイパンの米軍捕虜収容所で生誕されている。沖縄戦の体験はないが、沖縄戦ではウチナンチューだけでなく、ヤマトンチューも一緒に戦い、沢山の犠牲者を出している。日本という国家がある以上、沖縄の未来はウチナだけでは解決できない。照屋氏は日本の国会議員なのである。

           これが最後の民主党議員の最後っ屁

2013-05-15 16:45:34 | Weblog
参議院予算委の”内政.外政”集中審議の模様を今朝からテレビで見たが、「予算」とはあまり関係のない質疑が多かった。特に民主党の小川敏夫(元法相)川上義博、大河原雅子3議員の質疑ははひどかった。侵略、靖国、慰安婦、植民地といった民主党好みのテーマを取り上げ、何とか安倍総理から失点をとろうという下心が目立ちいやらしかった。

安倍総理は終始、こういった問題を外交上、政治問題にしたくないと述べていたが、その通りである。中韓国両国は昨年來、領土問題にかこつけて挑発的な言動に出てきている。安倍総理は、冷静に対処しているが、何故民主党の議員は、中韓の尻馬にのって国会の場でくだらない質問を繰り返すのか。川上議員は。飯島内閣参与の北朝鮮訪問について、しつこく質問していたが、安倍総理が”ノーコメント”と答えるのは当たり前だ。拉致問題を含む微妙な外交折衝なのにそれが解からないのだろうか。

小川議員を除く川上、大河原二議員はこの夏の選挙の改選組だ。昨日来、質問に立つ民主党議員の大半は改選組である。議員としての最後の花道を飾る”親心”ではまさかあるまい。しかし、茶の間でテレビを見る国民にとっては、これだけくだらない質問が多いと、言葉は悪いが”最後っ屁”のように臭ってくる。残念ながら最低であった小川議員は改選ではなく、まだ3年の任期がある。国会内で競馬サイトを見ているような議員は前代未聞だ。我々の税金でこういった議員がいると思うと残念至極である。

       「みんなの党」小野次郎議員の書生っぽ談義

2013-05-15 06:33:53 | Weblog
”書生っぽ”という言葉がある。死語に近いが、戦前代議士先生宅などに寄宿しながら通学していた学生などを言った。まだ口ばしが黄色いのに言うことだけは一人前の若者への蔑視言葉であった。昨日の参院予算委のテレビ中継を見ながら、僕は大変失礼だが「みんなの党」の小野次郎氏の質問は、まさに”書生っぽ”談義、時間のムダのような気がした。

経歴によると、警察官僚で県警本部長まで務め、パリの日本大使館にも出向、小泉内閣でも秘書官までしている人物だ。政治家として申し分のない経歴だ。ところが、安倍総理への質問は重箱の隅をつついたような内容。それだけでも足りないのか、他議員の質問にもチャチをいれ質疑を妨害していた。ネットに小野次郎の「小」の字をとれば「野次郎」だと書いてあったが、うまいことを言ったものだ。安倍総理も彼のヤジにたまりかねて、委員長に退席を提案していた。

昨日の委員会の野党の質問者の中には、国政に携わるにふさわしくない質問者が多かった。この夏の選挙では落選間違い。本人たちにとっては最後の”花道”になるかも知れないが、国民にとっては好い迷惑である。しかも国民の電波を使って、NHKがこれを一部始終放送している。「小」野次郎のヤジで議事がストップしたサマも国民は見ている。「みんなの党」とは、おこがましい。名前を返上して「アジェンダ党」とでもしたらどうだろう。何を指向しているのか、この政党は理解できない。

         橋下代表慰安婦発言 帝国軍人も怒ります

2013-05-14 12:59:05 | Weblog
日本維新の会共同代表橋下徹大阪市長が”慰安婦は軍の規律維持に必要だった”という発言について賛否両論、カンカンガクガクだが、大日本帝国陸海軍兵士にとっても、これ以上侮辱はないと思うに違いない。先日、小ブログでマレー.シンガポール上陸作戦に従軍、そのあとニューギニアやアラフラ海の孤島に駐屯した今沢栄三郎氏(99)の「大君に召されなば」を紹介したが、慰安婦がなくても軍規はきちんと守られてきた。司令部から今沢さんお部隊に”慰安婦か饅頭か”と問い合わせがあったが、空腹に悩む部隊は全員饅頭を選んだ。

橋下氏は沖縄の米軍海兵隊司令官にあった際”銃砲飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団には(慰安婦)が必用だ”と司令官に風俗業者のの利用を勧めた。橋下氏は、最近沖縄をはじめ各地で米兵の酒の上での不祥事が多いのは、風俗の利用が少ないからだと考え、この提案になったものだろうが、司令官はこれを断った。当たり前の話である。僕らの世代をはじめ戦前には”秘め事”という言葉があった。昭和33年3月、売春禁止法が施行されるまで、わが国では、売春は公然と行われていた。しかし慰安所はじめセックスは”秘め事であった。、今は簡単に慰安婦の話をするが、昭和30年代初めまで、英国の作家、D.H.ローレンスの「チャタレー夫人の恋人」の日本語訳まで”わいせつぶつ”であった。

橋下代表の説は”正論”である。史実にもとる韓国の”従軍慰安婦”解釈で国際的な流言が流布されている。橋下代表の気持ちは好く解るが、微妙な時期である。言わずもがなの事は公党のの代表として慎むべきである。

         自民党は震災時、手をこまねいていたか?

2013-05-14 05:39:56 | Weblog
昨日の参院予算委で民主党の大久保潔重議員が福島原発事故と今後の原発政策について質問したが、気になったのは、原発事故は自民党の責任で、事故後の対応が遅れたのも自民党の協力がなかったかのような発言だ。先日、菅直人元総理も「公開大反省会」で、当時自民党は衆院解散だけが頭に一杯で震災救援、復興に力を貸さなかった、と発言していた。果たしてそうだったのだろうか。

2011年3月11日の東日本大震災直後の小ブログは連日当時の菅内閣を批判している。”後手後手の政府の大震災対策”(13日)”しっかりしてくれ無計画の地震対策”(14日)”首都圏を無政府状態にした政府の責任”(15日)”司令塔のない救済活動”(19日)”政府は救援活動に専念、復興計画は自民党で(23日)”臨時総理を置いたらどうか”(24日)などなど。

自民党の谷垣禎一総裁(当時)は地震発生直後の11日午後3時、菅総理にいち早く協力を申し入れている。これに対して菅総理が電話で谷垣総裁に対して副総理兼震災担当で入閣してくれないかと申しいれてきたのは、震災から1週間もたった19日である。この間、菅総理は何をしていたかというと、やたらに○○会議を立ち上げ、辻本清美議員を”ボランティア担当”にしたり、あの仕分人女史を節電担当に任命したりしている。

民主党内閣の外務大臣であった玄葉光一郎氏が国会質問で安倍総理に対して、野党時代何回福島に来たかと質問していた。それでは事故当時の総理だった菅直人氏は野に下ってから福島原発現場のその後を視察したかということである。自分の失政を棚に上げて、責任を他に転嫁するのが民主党の体質である。