野球トバクや八百長問題などあって大相撲の人気は今一つだが、今場所から久しぶりにNHKのBSで幕下以下の取り組み放送を復活した。好角家にとっては大歓迎である。関取前の若い力士が一生懸命にとる姿はまさに相撲の醍醐味だ。この力士の中から、将来の大関、横綱のタマゴを見つけて、成長を見守る楽しみは好角家でなくてはわからない。
昨日は成人の日の休日だったが、両国の国技館のつり天井から”大入り満員”の垂れ幕は見られなかった。かっての双葉山、栃若、柏鵬、若貴の大相撲の隆盛時代には考えられかったことだ。テレビの画面をみても1階の後ろの桟敷席や二階の椅子席には空席がめだつ。僕は久しぶりにBSの若い力士の取り組みを楽しんでいたが、十両の土俵入りから、放送のゲストが漫画家のやくみつるから、デーモン(悪魔)殿下に交替したので、テレビを切った。公共放送のNHKが、なぜこんな視聴者に不快感を与える仮面の男を使うのだろうか。
大相撲は国技である。国が特殊法人として協会を認可しているのもそれなりの理由がある。長い伝統と歴史があり、勝った負けたの勝負だけではなく、力士の大銀杏の髷、行事の装束、呼出しの所作など一つの様式美がある。その鑑賞の仕方についても、人それぞれの楽しみ方があるが、他人から講釈ぶってそれを強制されるのは嫌いだ。解説者は、かって相撲をとっていた力士であり、説得力があり面白い。デーモン殿下は芸能界一の相撲通だそうだが、戦前の双葉山時代から相撲を見ている僕からみれば、たいしたことはない。昨日も戦後すぐの時代の横綱、東富士に触れていたが説得力がない。知識をしけらかしているにすぎない。
それよりも、あの他人に不快感を与える悪魔のような装束はなんとかならないのか。NHKは彼の博学な相撲知識をかってゲストに出演させるのなら素顔で出させるべきだ。大方の視聴者は相撲の取り組みを楽しんでいるのである。仮面は、間違えれば相撲が八百長だとの印象を視聴者に与えかねない。この日の解説者の北の富士さんが”体調の不良”で番組に参加しなかったのは賢明である。
昨日は成人の日の休日だったが、両国の国技館のつり天井から”大入り満員”の垂れ幕は見られなかった。かっての双葉山、栃若、柏鵬、若貴の大相撲の隆盛時代には考えられかったことだ。テレビの画面をみても1階の後ろの桟敷席や二階の椅子席には空席がめだつ。僕は久しぶりにBSの若い力士の取り組みを楽しんでいたが、十両の土俵入りから、放送のゲストが漫画家のやくみつるから、デーモン(悪魔)殿下に交替したので、テレビを切った。公共放送のNHKが、なぜこんな視聴者に不快感を与える仮面の男を使うのだろうか。
大相撲は国技である。国が特殊法人として協会を認可しているのもそれなりの理由がある。長い伝統と歴史があり、勝った負けたの勝負だけではなく、力士の大銀杏の髷、行事の装束、呼出しの所作など一つの様式美がある。その鑑賞の仕方についても、人それぞれの楽しみ方があるが、他人から講釈ぶってそれを強制されるのは嫌いだ。解説者は、かって相撲をとっていた力士であり、説得力があり面白い。デーモン殿下は芸能界一の相撲通だそうだが、戦前の双葉山時代から相撲を見ている僕からみれば、たいしたことはない。昨日も戦後すぐの時代の横綱、東富士に触れていたが説得力がない。知識をしけらかしているにすぎない。
それよりも、あの他人に不快感を与える悪魔のような装束はなんとかならないのか。NHKは彼の博学な相撲知識をかってゲストに出演させるのなら素顔で出させるべきだ。大方の視聴者は相撲の取り組みを楽しんでいるのである。仮面は、間違えれば相撲が八百長だとの印象を視聴者に与えかねない。この日の解説者の北の富士さんが”体調の不良”で番組に参加しなかったのは賢明である。
テレビの野球放送も解説者が多弁だと面白くないのと同じです。NHKの相撲放送の関係者は、自分たちが勉強不足で、デーモンを使っていますが、あの程度の相撲知識のファンならゴマンといます。それより、あの仮面はいただけません。多分、協会も困っていると思いますが、NHKの現場からの見えざる圧力があるのでは。大方のファンは黙って実況を楽しんでいます。変な演出は不要です。