連休中、なんにんかの人生の先輩たちから電話を頂いた。
その一人,大正9年早生まれの大和撫子は86歳。とても
お元気である。ただ、正直言って30分をこす長電話は
やはり”おとし”であるのはあらそえない。
電話の骨子はこうである。昭和20年6月、民間商社の
タイピストとしてジャカルタ(インドネシア)に勤務して
いた彼女は当時ガンビル駅前にあった忠霊塔へ派遣され、
塔内に安置されていたご遺骨の整理に従事した。大きな
ご遺骨の箱を小さな箱に入れ替え内地のご遺族にお送り
する作業だった。
彼女の僕に対する質問は(1)ご遺骨はどなたのお骨だった
のか(2)ご遺骨は無事ご遺族の元へ届いただろうかー
というものだった。大東亜戦争中、地上戦のなかったジャワは
兵隊の間で”天国”といわれていたそうだが、それでも
8,500人の方が亡くなっている(千鳥が淵墓苑)。
彼女が奉仕したお骨がこの方々のものであるのは間違いない。
しかし、ご遺骨がご遺族のもとに届いたかどうかは、時期
からみて確信はもてないーというのが僕の回答。
当時、彼女は20歳前半の大和撫子、改めて今の世の同じ
年頃の若い女性は幸せだな、と思った。
その一人,大正9年早生まれの大和撫子は86歳。とても
お元気である。ただ、正直言って30分をこす長電話は
やはり”おとし”であるのはあらそえない。
電話の骨子はこうである。昭和20年6月、民間商社の
タイピストとしてジャカルタ(インドネシア)に勤務して
いた彼女は当時ガンビル駅前にあった忠霊塔へ派遣され、
塔内に安置されていたご遺骨の整理に従事した。大きな
ご遺骨の箱を小さな箱に入れ替え内地のご遺族にお送り
する作業だった。
彼女の僕に対する質問は(1)ご遺骨はどなたのお骨だった
のか(2)ご遺骨は無事ご遺族の元へ届いただろうかー
というものだった。大東亜戦争中、地上戦のなかったジャワは
兵隊の間で”天国”といわれていたそうだが、それでも
8,500人の方が亡くなっている(千鳥が淵墓苑)。
彼女が奉仕したお骨がこの方々のものであるのは間違いない。
しかし、ご遺骨がご遺族のもとに届いたかどうかは、時期
からみて確信はもてないーというのが僕の回答。
当時、彼女は20歳前半の大和撫子、改めて今の世の同じ
年頃の若い女性は幸せだな、と思った。
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