「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       (号外)わが大君に召されなば(3)-(3)今沢栄三郎

2013-04-21 15:10:53 | Weblog
闇をついてシンガポール島上陸の行動が開始された。一列縦隊になり渡河点に集結のため前進する。前夜来の雨も上がったようだ。道を間違えないように曲り角には、足元を照らすだけの小田原提灯の光がゆらいでいた。歩兵部隊の中で私たち4人は不気味なほど沈黙し粛々と動く隊列の中で、前を行く戦友を見失わないよう神経を集中していた。
上陸作戦の成否を決する舟艇に無言で手招きされ、員数の中になんとなく入りこんでいた。深い闇を縫って水の上を走っているようだが、それも長い航路の終りの旅のようにも感じられた。 再び無言で舟艇から降り、シンガポール島の土に軍靴の跡を印したのだが、なんだか嘘のような気持ちだ。もう後戻りはできない。静かに静かに前に進む。敵軍からの反撃はまだ全くなかった。砂浜がつきると崖である。独りでは登れなかった。先に登っていた高木中尉が軍刀を差し出して、私たちを次々にあげてくれた。目当てもなく、前の兵隊の歩いている方向に従って行く。突如、至近弾が炸裂してあたりが明るくなった。
日本軍の上陸に気づいた敵が海岸線めがけて撃ちこんできたのだ。迫撃砲だと誰かが囁いでいた。ヤシの大木が目のまえにあった。そこに自然と兵隊の影が集まってゆく。私もつられて、その場所へ吸い込まれていった、”かたまってはいけない”と先任らしい下士官がどなる。前へ前と進む。それは本能的なもので、後方から日本軍の砲撃に足が前へ押し出されるように黒い集団の列に加わっていた。僚友とは既に別れ別れになっていて、私は顔も知らない他の分隊の中に紛れ込んでいた。
シンガポール島のガソリンタンクが炎上して黒い雨を降らしていた。それがシャツを通し臍の穴にまで浸みこんでいるのに気が搗いた。一服していたら思い出したように迫撃砲のお見舞を受けた。散発的なのだが、せっかくここまで生命があったのだから、生きるだけ生きたい気持ちだった。(中略)
ブキテマ三叉路を目標にして、シンガポールを死守する英豪軍の反撃が開始された。紀元節にシンガポール突入の夢ヲ打ち砕かれ私たち日本兵は遮蔽物を求めて散開下。どの防空壕もいっぱいで、闇の中にただうろうろするだけであった。辛うじて英濠軍が構築した防空壕を借用してホット一息ついた。壕内に入った瞬間、粗末なタル木の天井から泥が崩れ、蝋燭の光が消えかけた。もうこれまでと瞑目し恥ずかしい次第だが神仏に念じるほかはなかった。(中略)
2月15日昼ごろ、ブキテマ三叉路の近くで白旗を掲げた英軍の軍使を見た。その夜はテニスコートらしい庭に全身を横たえ星空を眺めながら、戦いの終わった喜びをしみじみと満喫した。それは2週間あまりの戦いだったのに、深い旅路を終えた安堵感にも似たような心境であった。














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