沖縄戦時、座間味島、渡嘉敷島で住民の「集団自決」があったのは、軍の命令による
ものだと、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が岩波書店発行の「沖縄ノート」(1970年)
に記述したのは誤りだと、島の守備隊長らが名誉毀損、本の発行差し止めを求めてい
た裁判で、大阪地裁の深見敏正裁判長は訴えを全面棄却した。
結論から言って、焦点をぼかしたおかしな判決である。(1)軍は住民に手榴弾を住民
に与えている(2)軍が駐屯していない島では「集団自決」が行われていないーという
のが訴えを棄却した主な理由だが、これは軍の”関与”の理由に当るかもしれないが
原告が訴えている軍命令があったかどうかの理由には当らない。肝心の軍命令につ
いては、はっきりしないとしている。
大江健三郎氏は「沖縄ノート」の中で現地取材もせず、守備隊長とも会っていないのに
”罪の巨魁”と悪者扱いし”集団自決”を最も忌むべき””呼ばわりしている。これは
国のため戦っていた梅沢裕・座間味島守備隊長(91)らに対して大変失礼である。しか
も梅沢氏は、自身「集団自決」命令を否定し逆に生き延びるよう説得している
沖縄戦時、大江氏は愛媛県旧大瀬村の国民学校5年生、深江裁判長は戦争を知らない
世代である。二人と戦争の空気が読めていない。僕は当時、敵の本土上陸に備えて江戸
川運河の拡幅工事に従事していたが、もし敵が攻めてきて、軍から手榴弾を渡されれば、
沖縄住民と同じように自決する覚悟は出来ていた。
戦後の平和時に、過去の狂気の時代についての空気もわからずに、物書きが変な理屈
で、当時のことを推察で書き、これを読んだ裁判官が推論するのは歴史への冒涜だ。
ものだと、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が岩波書店発行の「沖縄ノート」(1970年)
に記述したのは誤りだと、島の守備隊長らが名誉毀損、本の発行差し止めを求めてい
た裁判で、大阪地裁の深見敏正裁判長は訴えを全面棄却した。
結論から言って、焦点をぼかしたおかしな判決である。(1)軍は住民に手榴弾を住民
に与えている(2)軍が駐屯していない島では「集団自決」が行われていないーという
のが訴えを棄却した主な理由だが、これは軍の”関与”の理由に当るかもしれないが
原告が訴えている軍命令があったかどうかの理由には当らない。肝心の軍命令につ
いては、はっきりしないとしている。
大江健三郎氏は「沖縄ノート」の中で現地取材もせず、守備隊長とも会っていないのに
”罪の巨魁”と悪者扱いし”集団自決”を最も忌むべき””呼ばわりしている。これは
国のため戦っていた梅沢裕・座間味島守備隊長(91)らに対して大変失礼である。しか
も梅沢氏は、自身「集団自決」命令を否定し逆に生き延びるよう説得している
沖縄戦時、大江氏は愛媛県旧大瀬村の国民学校5年生、深江裁判長は戦争を知らない
世代である。二人と戦争の空気が読めていない。僕は当時、敵の本土上陸に備えて江戸
川運河の拡幅工事に従事していたが、もし敵が攻めてきて、軍から手榴弾を渡されれば、
沖縄住民と同じように自決する覚悟は出来ていた。
戦後の平和時に、過去の狂気の時代についての空気もわからずに、物書きが変な理屈
で、当時のことを推察で書き、これを読んだ裁判官が推論するのは歴史への冒涜だ。
大江健三郎 が自らの足で調べた事実ならまだしも、机上の空論的な理屈を文字にするのは言語道断です。物書きとして恥かしくないのでしょうか? あくまでノンフィクションというならば、きちんと取材をするべきであり、戦争当時の世の中の背景や空気を知るべきです。それが出来ないならフィクションだときちんと表わすべきです。
そして今回の司法には呆れました。疑わしき者は罰せずの論法でしょうか?棄却なんてせず、きちんと法廷で争うべきです。早い話が裁判官にも事実がわからないのです。判らないから棄却したに過ぎません。最近の司法は首をかしげる程、質が悪いです。
ましてや戦後生まれが批判や糾弾するべき話しではありません。戦争も体験せずに平和な時代から批判や糾弾するのは簡単です。しかし、それはまことに物書きとしてレベルが低すぎます。彼は自分の正義に酔っているだけです。大事なのは正しい歴史検証なのです。
少々時間が立ちすぎているような気がします。
ほんの60年前の出来事とはいえ
「戦争を知らない子どもたち」は、
過去の教訓を生かそうにも
真実が見えないので何も出来ない事実もあります。
今回の問題は夫々の立場や
思いをキチンと受け止めた上で、
発する必要があったのだと思います。
机上の空論は危険であることを、
ペンを取るものとして自覚するべきですね。
特に戦争という大きな波は一つではないのですから・・・
今はネット社会でいろんな情報があふれています。こどもが都市伝説と称して「となりのトトロは死神でメイも五月も黄泉の国に行ったはなしなんだって」とまことしやかに語るのを聞いてびっくりしました。制作したスタジオにもこの都市伝説は伝わり、ホームページには否定する声明も出ていました。
表現の発信と受け取りが必ず一致するものじゃないんですね。怖い気がしました。
梅沢さんたちらの原告は、軍命令があったかどうかについて、訴えているのに判決は軍の関与に対して答えており、肝心の命令については”判らない”としています。日本軍がいなかった所では”集団自決”がなかったという論理は馬鹿げています。日本軍のいない島は戦術的に意味がなく攻めてくるわかえがありません。戦争の”空気”は、平和時の判断では理解できないと思います。
沖縄だけでなく昭和20年の日本人全体が
どのような呪縛にあっていたか、その空気についても検証すべきです。
このような判決では、高齢の梅沢さん(91)がうかばれません。
大江健三郎の「沖縄ノート」は、作家の目で見た推論です。史実を書いたわけではないのだから、裁判官は推論に基づいて推察してはいけません。「集団自決}の場にいた守備隊長が91歳の老体をもってなぜ今なおこの問題にこだわっているのかー。上告審では、一審判決の誤りをなおして貰いたいです。
ご指摘のとおり、情報カタルの時代です。とくにネット社会では”トトロ”みたいなものもあるのでしょう。驚きです。怖いのは大学教授とか著名な作家が意識的に"ガセ”情報を流すことです。
ノーベル賞作家といえば、世間は信用します。まさか裁判官はこれに惑わされた訳ではないと思いますが。