昨日、数世代前の先祖を共にする一族三家族が親睦をかねて集まり「昔」を語りあった。今年は僕にとっては義理の伯父だが、幕末から維新の時代を生きた重信の生誕180年である。重信は嘉永2年(1849年)に生れ明治29年(1896年)まで46年間の短い人生を送った人物で、僕の祖父の養子である。わが家には写真も記録もないが、昨日の集まりには重信が4代前の曽祖父にあたるKさん(54)とK家の家系史を研究している遠縁のSさん(55)が参加、色々重信について語ってくれた。
重信は祖父の甥にあたり、祖父が晩年まで子供に恵まれなかったため成人してから養子に入った。大学教授のSさんが調べられたK家の家系史によると、重信は埼玉県深谷市の戦国時代に祖を発する旧家の出で、明治維新の後の廃藩置県の際、「熊谷県」に出仕,さらに「群馬県」に移り、官営の富岡製糸場建設(明治5年)に当たっては工場建て物のレンガ土を郷里の深谷から取りよせるなどしている。晩年重信は日清戦争に従軍して勲章を貰っているが、残念ながら詳しいことは分からない。
わが家でも重信について、何か古い資料がないか父の遺品を調べていたら、父の下谷小学校1年修了時の免状があった。(写真)明治24年というから128年も前のものだ。幸い、わが家は大正12年(1923年)の関東大震災の東京大空襲の被害にもあわなかったから、こうして昔を語るものが残っている。問題はこの活用だ。年々、家とか家族といった考え方が薄くなり崩壊している感じだ。こうして、同じ家系の一族が集まってご先祖について語るのも意味がある。
また 128年の区切りで 親類の方と逢える事
これ全て ご先祖様からの 廻り合わせ
ご縁 だと思います
180年でした