新しく米国の駐日大使になったキャロライン.ケネディさんが”ハジメマシテ”と日本語で挨拶して着任された。50年前テキサス州で暗殺されて世界を驚愕させた、あのジョン.F.ケネデイ第35代米大統領の長女である。改めて時の流れの速さを感じる。ケネディ大統領が暗殺されたのは1963年11月22日(昭和38年)だが、僕はあの日、日本時間23日早朝、勤めていた新聞社から緊急電話を受け、タクシーで出社した。もう半世紀も前の事だが、昨日のようにまだ覚えている。
キャロライン.ケネディ新大使は1957年11月27日生まれだから、あの時まだ6歳の誕生日の数日前の出来事だった。父親の葬儀の際、喪服姿の母親、ジャックリーヌ夫人に手を引かれたキャロラインさんの姿が目に浮かぶ。あれから半世紀、世界は変わった。ベトナム戦争の終結、ソ連邦の解体、冷戦体制の終りなどなど。キャロラインさんも個人的に翌年の、叔父のロバート.ケネディ司法長官のまたもの暗殺事件、母親ジャックリーヌ夫人の、ギリシャの海運王、オナシス氏との再婚などを経験した。
顧みると、ケネディ大統領じだいの日米関係は”パートナーシップ”と呼ばれ”蜜月時代”であった。駐日大使は、日本生まれで日本女性を夫人に持つ学者のライシャワー博士であった。ライシャワー博士も、キャロライン.ケネディ新大使と同じく外交問題には素人であった。民主党3年3か月の外交の失敗で、日米関係は”ケネディ.ライシャワー”時代のような”蜜月さ”は感じない。あの時代には尖閣問題など存在しなかった。日米関係は外交政策の基軸である。キャロライン新大使に期待するものがある。
キャロライン.ケネディ新大使は1957年11月27日生まれだから、あの時まだ6歳の誕生日の数日前の出来事だった。父親の葬儀の際、喪服姿の母親、ジャックリーヌ夫人に手を引かれたキャロラインさんの姿が目に浮かぶ。あれから半世紀、世界は変わった。ベトナム戦争の終結、ソ連邦の解体、冷戦体制の終りなどなど。キャロラインさんも個人的に翌年の、叔父のロバート.ケネディ司法長官のまたもの暗殺事件、母親ジャックリーヌ夫人の、ギリシャの海運王、オナシス氏との再婚などを経験した。
顧みると、ケネディ大統領じだいの日米関係は”パートナーシップ”と呼ばれ”蜜月時代”であった。駐日大使は、日本生まれで日本女性を夫人に持つ学者のライシャワー博士であった。ライシャワー博士も、キャロライン.ケネディ新大使と同じく外交問題には素人であった。民主党3年3か月の外交の失敗で、日米関係は”ケネディ.ライシャワー”時代のような”蜜月さ”は感じない。あの時代には尖閣問題など存在しなかった。日米関係は外交政策の基軸である。キャロライン新大使に期待するものがある。
ケネディ時代は、僕もまだ若かったこともあり、鳩派の大統領として期待していましたが、キューバ危機の際の彼のとった決断に驚いたものでした。しかし、国家的な危機には当然なことなのですがー。多少、おっしゃる通り”ミイハ―”的期待もありますが、負け戦という高い賠償を払って得たものです。大切にしたいものですね。
ここ数年の民主党政権のおかげで、日本側から、この関係をガタガタにしてしまった。今後は是非とも、日米関係を修復して欲しいと思います。日本のエネルギー戦略の点でも、大量の石炭、シェールガス資源国である米国、カナダ、豪州との友好関係は、中東原油依存を減らすうえでも日本の安全保障上で最重要な同盟関係だと思います。
ただ、90年代後半には、東西冷戦構造が崩壊し、中国が共産主義国家から国家管理の全体主義的な資本主義体制へと移行し、世界中から外資を飲みこんで、低廉な労働力を武器に、経済成長が著しい。一方で、
米国は製造工場の大半を中国に外注委託するようになり、対中貿易赤字が累積し、米国国債も中国が大量に保有することになり、中国依存度がきわめて高くなってしまった。中国に米国国債を購入してもらわないと、巨額の米軍費用の維持も、オバマ大統領の進めようとしている医療保険も実行できなくなってきています。
近年は、米国にとって日本の比重が下がり、知日派や親日派は数えるほどしかいなくなってしまった。このような複雑な環境のなかで、ケネデイ大使に、かつてライシャワー大使が果たしたような役割を期待し過ぎるのも、難しいとは思いますが・・・
オバマ大統領の対日政策が今一つはっきりしませんね。ケネデイ時代には、知日、親日の政治家や学者が多かった気がします。また、日本側にも同じようにアメリカが好きな政治家が多かったのでは。今はどうなのでしょうか。極東海軍司令官が、日本生まれで、母親が日本人だそうですね。いずれれにせよ、日本の事を知っている人物の方がよいですね。