「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

曾祖母 祖父の”七十回忌”

2014-08-23 05:29:22 | Weblog
母方の本家の当主から父親の十三回忌に当たり曾祖母と祖父の”七十回忌”も執り行いたいから、生前の故人を知っている僕に献杯の音頭をとってくれと依頼があった。仏教では五十回忌までが正式な回忌だが、ご先祖を偲んで法要をすることは別に悪い事ではない。喜んでお引き受けすることにした。

”七十回忌”に当たる年は昭和20年である。敗戦の年で日本全体が大変な年であった。本家でもこの年、江戸時代から続いた家が3月の東京下町空襲の後、強制疎開に会い、取り壊された。一家は栃木県の葛生に疎開したが、馴れぬ生活と高齢で曾祖母は82歳で、戦後すぐの8月27日、疎開先で他界した。僕の叔父にあたる当主の祖父も肺ガンになり、戦後、東京の病院に車で搬送されたが21年1月2日、64歳で亡くなっている。二人とも当時としては高齢であったが、戦争が寿命を早めたのも間違いない。

東京では最近、葬式でさえ簡素化の傾向にあり、いわんや回忌法要となると49日まで繰り上げて行われ、年回忌もせいぜい三年忌までである。このように十三回忌まで遠縁を呼んで行われることは珍しくなってきた。僕は献杯の挨拶の中で、当主の父親が18年6月、海外の戦地から除隊になってきた日の、僕の亡父の日記を披露した。親族から隣近所まで6人も朝早くから市川の国府台の兵舎まで、迎えに行き、帰宅してからは夜遅くまで祝宴を開いていた事が書いてあった。当時の日本は一家の絆が今よりずーつと濃く、隣近所の付き合いも深かった。それを言いたかったのだ。

いつまでも子供だと思っていた当主も、従兄が戦地から帰国してから誕生しており今年70歳、古希の歳のお祝いであった。明治生まれの古兵で、戦況もまだそれほど、厳しくなかったのが幸いした。除隊がなければ、当主もこの世に存在しなかった。

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7 コメント

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檀家 (chobimame)
2014-08-25 09:28:45
地方は、まだまだ永代供養もあるそうですが、都会は簡素化するばかりですね。近隣との付き合いもなく、親類もいず、まして檀家寺もありませんから仕方ないのかもしれません。
昔、お坊さんに聞いたことがあるのですが、早い人は50年で生まれ変わってくるそうです。わりと親族として生まれ変わることが多いとか。本当かわかりませんが、自分の孫が祖父や曾祖父の生まれ変わりだったら驚きますね。
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輪廻 (kakek)
2014-08-25 11:00:45
chobimame さん
関西ではまだきちんと昔の法要が続いているそうですが、東京首都圏では少なくなりましたね。先日の法要でも「般若信教」が寺から渡されましたが、最年長に近い僕でも読経できません。若い人の中にはお焼香の作法さえ解からなくなってきました。”千の風”の時代で仕方がないのかも。
仏教思想の根幹の一つの輪廻など次第に忘れられてきました。
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日本人の信仰(宗教心)について (lordyupa)
2014-08-25 11:34:49
大東亜戦争敗戦後、日本人は「無宗教」となってきたのだろうか?ほんとのところ、仏教の教義などには詳しい訳ではないし、クリスマスや結婚式はキリスト教式、初詣や七五三には神社に行き、葬式や墓参りは仏式でやってなんの違和感も持たない人が多い。

ネルケ無方:日本人に「宗教」はいらない[㏍ベストセラーズ]なる本を読みました。著者は、禅の修行の為に日本を訪れ、今は禅寺の住職をしているというドイツ人のようです。著者のいうには、例えば仏教と神道という二つの宗教が争うことがないどころか融合しあい、また日本人の心の中にもその二つが何の矛盾もなく共存している。こんなことは、いがみ合っているイスラム教徒とキリスト教徒、ユダヤ教徒だとか、ヒンドゥー教徒などの国々では考えられないが、そういう日本人の宗教観こそが、日本社会の融和を生み、日本人の自然観、人間観の基になっているのではないかといっている。

私は、日本人には、仏教、神道などの更に深い基礎に、「やまと教」のような何か明文化されていない「原始宗教(大和魂?)」が、数千年の歴史を通じて、受け継がれているのではないだろうか?と感じます。
ブロガーが書かれたように、法要のような仏教の「儀式」のような社会習慣は変化しつあるかもしれませんが、大きな流れで「やまと心」が伝承されつづければ、良いのではないかと思います。
仏教が日本へ伝来する以前から、日本人の共同体(村落)は、ずっとずっと、この「やまと教」を大事にしてきたのだと思います。三陸の津波災害でも、今年の広島の土砂災害でも、多くのボランテイアが活躍しているのは、この「やまと魂」が受け継がれているのだと思います。




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神仏習合 (kakek)
2014-08-25 17:25:54
lordyupa さん
敗戦時、14歳だった僕らの世代が一番”宗教心”が薄いのではないでしょうか。神風が吹いて最終的には戦争に勝利すると真剣に思っていた世代です。敗戦で神も仏もあるものかと思うようになりました。昭和30年―40年頃は、あまり神社仏閣参りするする人が少なかったのでは、ないでしょうか。

もともと神仏習合が「やまと教」だったのでしょうね。それならそれで好い気がしますね。葬儀の方法、墳墓のあり方など確実に変化してきていますね。問題は”やまと教”である程度規制されていた心まで失われてきたことです。
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檀家の崩壊と僧侶の生活困窮 (lordyupa)
2014-08-25 20:45:34
chobimameさん
都市化による檀家制度の崩壊と関係する悲惨な事件が、今年の1月10日、倉敷市の金剛寺でありました。54歳の住職が、妻を鉄棒で殴り、石油ストーブに油をふりかけて、放火したようです。2008年に金剛寺の住職になったときは、岡山市内で檀家数が300もあるお寺の住所代行も兼務していたので、台所事情はよかったようですが、2011年夏に、家族4人で暮らすようになってからは、金剛寺は檀家がゼロの状況で、近所でお経をあげて、日々の生業としていたようですが、経済的な困窮により、夫婦喧嘩も増えたと推理している報道がりました。僧侶が親族殺人など信じられない話ですが、僧侶とてカスミを食べて生きることはできませんから、仏教を社会に組み込む何か別の習俗(枠組み)を構築しないといけない時代が全国各地で進行しているのではまいかと思います。すべての人の心には、夜叉と菩薩とが両方ともに棲んでいて、たえず拮抗しているでしょうから、魔性を抑えて、仏性が顕現するような、経済的な仕組みが日本の仏教社会にも求められているのでは、ないでしょうか?戒名や法要、墓の販売だけで、お布施を調達するやり方に、新たな創造がいるのではないかと思います。何のためにお寺があるのか、何を信徒に訴えればよいのか?
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lordyupaさん (chobimame)
2014-08-26 09:21:06
大きな観光名所になるお寺などは、坊主の給料も良いそうですが、檀家頼みのお寺は場所によっては辛いですよね。振興住宅地などに檀家意識はありませんから、葬儀会社と提携したりするしかないようです。
昔は、坊主丸儲けなんて言葉がありましたが。
都内では、坊主バーなるものが流行っているとか。お酒を飲みながら坊さん相手に悩み相談だそうです。
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坊主の世界も格差拡大? (lordyupa)
2014-08-26 13:00:45
chobimameさん
お賽銭ではなく、坊主バーとは面白いアイデアですネ。

寺の境内駐車場に、アルファロメオやベンツが止まっていて、住職のドラ息子などが運転している場合もあるように思います。宗教法人として、様々な非課税の恩恵(所得税、固定資産税、相続税)や補助金などの特典もある寺院もあるようですから、まずは、庶民(顧客)に具体的に見えるように、お寺の経理状況の透明性をあげて、信者や法要をお願いする庶民に納得できるような「お寺の経済の仕組み」がいるのだと思います。

キリスト教やイスラム教には、社会的な富裕層が巨額の喜捨(寄付)をするのが、神への信仰のあかしのような教義と習俗があります。日本の仏教でも、信者が死んだら、葬式、お墓、法要とで稼ぐだけという所得構成から、脱皮する必要があるように感じます。
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