ファッションの街、東京の自由が丘の駅前に小さな石敢当の
碑がる。ここは、その昔「南風座」という映画館があった跡地。
多分、昭和40年代の始めごろ、今のビルを建築するさい
だれか沖縄関係者が建てたものだろう。土地の高い東京らしく
石敢当までかわいらしい。
石敢当は主に沖縄本島、八重島諸島に見られるが九州はじめ
近畿地方でも散見できる。直進する魔物の習性をを除ける目的で
道の三叉路やT字路に建っている。宋時代、福建省の県知事が
庁舎を改築するさい土中から発掘したのが石敢当の始まりという。
石敢当は戦国時代の将軍の名前というがよくわからない。
10数年前、旅先のシンガポールでも石敢当を見つけた。若い
シンガポーリアンにいわれを聞いたが、判らなかった。かれの
先祖が広東人だったのかもしれない。いずれにせよ、わが国
以上に土地のせまいシンガポールのこと。今は街中で石敢当を
見つけるのは困難。自由が丘のミニ石敢当を輸出したら意外に
うけるのかもしれない。
碑がる。ここは、その昔「南風座」という映画館があった跡地。
多分、昭和40年代の始めごろ、今のビルを建築するさい
だれか沖縄関係者が建てたものだろう。土地の高い東京らしく
石敢当までかわいらしい。
石敢当は主に沖縄本島、八重島諸島に見られるが九州はじめ
近畿地方でも散見できる。直進する魔物の習性をを除ける目的で
道の三叉路やT字路に建っている。宋時代、福建省の県知事が
庁舎を改築するさい土中から発掘したのが石敢当の始まりという。
石敢当は戦国時代の将軍の名前というがよくわからない。
10数年前、旅先のシンガポールでも石敢当を見つけた。若い
シンガポーリアンにいわれを聞いたが、判らなかった。かれの
先祖が広東人だったのかもしれない。いずれにせよ、わが国
以上に土地のせまいシンガポールのこと。今は街中で石敢当を
見つけるのは困難。自由が丘のミニ石敢当を輸出したら意外に
うけるのかもしれない。
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