パリのテロリストの自爆犯についてフランスの新聞は、日本の神風特攻隊に模して「カミカゼ」を「カミカズ}と誤って使用しているようだ。フランス文化については門外漢だが、一般的にフランス人は一回限りの人生だから現世を楽しもうという人たちが多いと聞く。だから自分の生命を絶ってまで聖戦(ジハード)を叫ぶアラブ人の気持ちは理解できないに違いない。
これに対してアラブ人は逆な死生観の持ち主が多いみたいだ。何回かこのブログでも引用させて貰っている「アラブ人気質と性格」(サニア.ハマディ著 笠原佳雄訳 サイマル出版 1977年)には”禁欲主義”とう一章の中で次のように記述している。
「アラブ人は厳しく、満たされない環境の中で生活している。自分の可能性を伸ばしたり社会的地位を明確にするチャンスはほとんどない。来世にのみ救いを見出している。だから現世に価値を認めず、将来によりよい状態を期待するわけだ。彼らは死を考えた時にだけ喜びを感じる。アラブ人は常に人間はこの地球に短い間しかいられないことを口にし、しばしば死を考える」
カーター米国務長官が今回のテロについて”文明対文明の戦いではない。文明対野蛮の戦いである”と述べていた。確かにその通りである。かりにアラブ人が現世を否定し来世に期待する死生観の持ち主であっても、他人の生命まで奪う行為は野蛮であり許せない。犯人はフランス国籍のようだが、アラブ人であり、アラブの血が流れている。彼らの死生観はどこから来ているか。やはり砂漠がもたらす貧困ではないだろうか。
これに対してアラブ人は逆な死生観の持ち主が多いみたいだ。何回かこのブログでも引用させて貰っている「アラブ人気質と性格」(サニア.ハマディ著 笠原佳雄訳 サイマル出版 1977年)には”禁欲主義”とう一章の中で次のように記述している。
「アラブ人は厳しく、満たされない環境の中で生活している。自分の可能性を伸ばしたり社会的地位を明確にするチャンスはほとんどない。来世にのみ救いを見出している。だから現世に価値を認めず、将来によりよい状態を期待するわけだ。彼らは死を考えた時にだけ喜びを感じる。アラブ人は常に人間はこの地球に短い間しかいられないことを口にし、しばしば死を考える」
カーター米国務長官が今回のテロについて”文明対文明の戦いではない。文明対野蛮の戦いである”と述べていた。確かにその通りである。かりにアラブ人が現世を否定し来世に期待する死生観の持ち主であっても、他人の生命まで奪う行為は野蛮であり許せない。犯人はフランス国籍のようだが、アラブ人であり、アラブの血が流れている。彼らの死生観はどこから来ているか。やはり砂漠がもたらす貧困ではないだろうか。
来世が本当にあるかどうかもわかりません。
貧困と悪政が全ての原因だと思います。
ジハードをするより、平和的に国を立て直そうという発想はないのでしょうか?
アラブ人が、現世に失望していたとしても、ややこしい病んだ外国人まで加わる必要はありません。
そういう輩が絡んでいくので、ますます事態が複雑化していきます。
ISの戦闘員は、Twitterで募集しているそうです。
仏教では現世で善根を積めば来世でも浮かばれる思想です。アラブ人はイスラム以前から現世を否定する死生観のようです。われわれには理解できません。フランス人といっても旧植民地のアフリカ..マグレブ諸国からの移民はアラブ人であって中東のアラブ人と同じです。改めて国家と人種の問題を考えさせられます。十字軍に対する彼らのジハード意識は、われわれには一層理解できません
今次の、ISジハードは、このようなゲリラ戦闘集団が更に進化して、
①インターネットを縦横に駆使して心理戦、要員募集(敵国本土にいる無政府主義的な不満分子の利用)、敵国本土国民への無差別攻撃の恐怖戦
②イスラム宗教の聖戦思想を悪用(劣勢な人員・戦力で、英米仏のような強大な軍事国家と闘うための手段として利用)
③オスマン帝国時代のカリフ政治体制の再構築構想
④1次世界大戦以降の欧米列強による植民支配、戦後の英米仏による石油利権をめぐる内政軍事介入に対するアラヴ諸国の反感を利用
このようなゲリラ戦闘政治集団だと思います。
そもそも、米国がイラクに戦争をしかけて、大量破壊兵器もなく、9.11テロ行為と無関係なフセイン大統領を打倒した野蛮な行為(空爆と地上軍派兵)をしたこと。アラブの春とか称して、米国CIAなどがリビヤ、エジプト、シリアなどの反政府勢力支援の内政干渉を行い、リビヤのカダフィーへの空爆などをみてみると、ISと同様に、米英仏の空爆も「野蛮」だと思います。実相は、「野蛮」対「野蛮」との戦いだと思います。英米仏の空爆により、IS兵士と一緒に、数万人のシリア非戦闘員(一般市民)が殺害されていると思います。無差別攻撃ではなく、よりIS兵士だけを殺戮し地域を制圧するには、英米仏ともに、空爆ではなく大量の地上軍を派兵する必要がありますが、自国の若者がシリア死ぬのを忌避して、空からの攻撃しかしないので、シリア難民が増えるばかりです。
英米仏が撒いたタネの尻ぬぐいを日本がするのは反対です。日本は、中東での野蛮な戦争には、できる限り非介入が望ましいと思います。残念ながら、中東からの原油・天然ガスに9割ほどもエネルギーを依存していますから、残念ながら、全く中立というわけにはいきません。
中東以外の地域からの原油・天然ガス・シェールガスなどへの購入先の大転換をはかること。また、電力については、原子力発電、または、中東以外の政治的に安定した地域から原料購入できる石炭火力発電主体に切り替えることが重要ですが、なぜか、環境省は電気料金が半減できる高効率石炭火力発電を許可しないような国益に反し、中東戦争に巻き込まれる施策をとっています。二酸化炭素排出量の削減は、省エネをおこたり、地球規模で、その大半を出している米国と中国とにまかせればよいと思います。日本の人口は自然減ですから、それに比例して、二酸化炭素排出量が減るはずです。
日本では、
①政治難民や経済移民に対して、より一層厳格な入国管理政策や移民抑制法を強化する
②公共施設、JR新幹線など、自爆テロに脆弱な設備・警備要員に十全な対策投資を行う
③スパイ・テロ防止法などの強化
のような実務の強化がいると思います。
なお、
日本の神風特攻隊は、
米軍の広島・長崎への原爆投下や東京大空襲、ベトナク戦争での北爆のように、大量の非戦闘員を無差別に殺傷することはなく、あくまで、米軍兵器・施設への攻撃です。また、当然ながら、ゲリラ集団ではなく、軍服をきた日本国の正規軍としての作戦です。
神風特攻隊は、自死しますが、ISジハードとは、
全く、異質な戦闘行為だと思います。
、
シリア内乱は東西冷戦時のアダ花の残滓です。アサド親子二代政権は、バース党を中心にそれなりに安定していたと思いますが、冷戦時ソ連に傾斜したまま、国際情勢の動きから残されてしまったのでは。一方、米国は”中東音痴”で、イラクに介入して失敗、シリアでもアサド政権を敵視しています。アサド政権をめぐる米ソの対立がシリア内戦となり、それにISが介入、三つ巴です。
フランスは、アルジェリアで苦い体験をしており、シリア、レバノンまで手がまわらず、どちらかといえば不介入だったのですが、ISの登場で、苦しい立場に追い込まれてしまいました。
1950年から60年代にかけての「アラブ連合共和国」時代とは違って、同じアラブでも湾岸諸国は有志連合に参加しており、アラブは一つではなくなりました。種族、宗派間の対立が絡み、解決は困難ですが、テロだけはごめんです。
わが国は、この地域の問題には深く介入すべきではないというのはどう意見です。
私も、むごく恐ろしいゲリラ組織だと思います。ISと名乗る集団によるパリでの非戦闘員攻撃を、断じて許すべきでないと思います。
しかし、日本にも振り返ってみれば、1970年代には「日本赤軍」、1990年代では「オウム真理教」という、政治的もしくは宗教的テロ組織が発せしましたから、決して、アラブ語を読み書きする民族全員が危険だとか、イスラム教徒はみんな悪魔だなどという固定観念をもつべきではないと思います。一歩踏み間違えると、日本人の中から、テロ組織がうまれる危険性は、なくなっておりません。これは、敗戦後GHQの洗脳により、日本人は経済的に豊かになりさえせすれば十分だという錯覚のもと、民族の魂を失い、虚無的な無政府主義へと青年を駆り立てる傾向が強まりました。
過酷な砂漠環境のなかで、しばしば飢餓を逃れるために、オアシス農民地域からの隊商を絶えず襲い、略奪と殺戮とが日常的な遊牧民の社会慣習(力の論理、徹底不信、性悪説、人間同士の契約・人為的法律への不信)が背景にあったのかもしれません。
猜疑心がきわめて強く、騙されたり、盗まれたりするのは、加害者だけでなく「被害者」自身にも責任があるというイスラム文化の発想は、日本の社会通念とは全く異なります。例えば、女性の顔・身体が露出しないように覆い隠す戒律は、周囲の男性から強姦をできる限りされないようにして、被害を受ける機会を徹底して最小限にするのが強姦の被害者となる可能のある女性自身の義務・責任であるという発想から、生まれたのではないでしょうか?(さすがに、西洋でも日本でも、性器を露出して覆い隠さずに、社会に出たら、軽犯罪法違反で逮捕されますが)一方で、フランスの公立学校で、イスラム女生徒が顔を覆い隠して登校すると、公共の場に、特定の宗教要素を持ち込んだとして、政教分離に違反するという理由で、許可されません。一方で、フランスへのイスラム移民たちは、イスラム教徒への宗教差別だと文化摩擦を感じているように思います。
死後の世界を重視するのは、イスラムだけでなく、すべての宗教に共通ではないかと思います。イスラム教が、経典のなかで「聖戦」を重視するのは、他のキリスト教、ユダヤ教、仏教にはない特徴ですが、
7世紀に、
教祖のムハンマドが、イスラムの布教をはじめたときに、メッカにいる多神教徒の部族からメディナを何度も、包囲攻撃されたが、圧倒的に不利な戦力にもかかわらず、この「ジハード」というかたい信仰が兵士信徒の戦いの確信を与えて、最終的勝利へと導びいた。ハディース(預言者ムハンマドの言行の伝承)によれば、非戦闘員である「敵国の老人、子供、および婦人を殺してはならぬ」とイスラム信者に命じたと記録されており、アルカイーダやISなどの過激派集団のテロ行動は、伝統的な多数派のイスラム教の戒律にそむく、おこないだと思われます。
フランス政府が、テロの温床になりかねないとみて、フランス国内にあるモスクの内、特に過激といわれる100余りのサラフィー派モスクを強制的に閉鎖するという宗教弾圧を始める検討をしているという。世界でもっとも自由を重んじる国といわれ200年以上に亘って曲りなりにも他宗教や、異なる思想などに対しても寛容であることを自らに律してきたフランスが、「イスラム教徒はテロリストだ」という固定観念に向かっていることを残念に思います。フランスは、死刑廃止の国であり、そのためか、パリ銃撃戦の過激派の容疑者に対しても、
まず逮捕して、正当な裁判を受けさせて、その後に、刑務所に無期懲役にすると、何百人を殺傷させても、犯人を死刑にすることができません。したがって、イスラム過激派への「報復」のためには、フランス憲法を無視してでも、超法規的処罰(いきなりshoot to kill)を公安警察が、国民感情におもねって実行しているような気配も感じられます。
テロの主犯格はベルギー居住のマグレブ.アラブ人のようです。ドゴール時のアルジェリア戦争を想起しますが、キリスト教徒の他宗教への蔑視、差別がテロの底流に流れていますね。マグレブのベルベル人のベルベルはBarberと語源が同じとか、フィリピンのイスラム教徒モロもムーア人と同一語源とか。十字軍は僕ら日本人は世界史上の存在だが、イスラムにとっては違うのでしょうね、
いずれにせよ、僕らにとっては、”さわらぬ神”がよいですね。