わが家の猫の額のように狭いベランダの鉢植えの寒梅がやっと咲いた(写真)。数年前老妻が近所の寒梅の枝が道路に落ちていたのを拾い挿し木したものだが、今年は開花が平年より半月ほど遅れている。小ブログは5年前の2008年1月16日「庭上の寒梅、春の足音」という題で同志社大学の創始者、新島襄の辞世の漢詩「庭上一寒」を紹介している。
庭上一寒梅 笑侵風雪 不争又不力 自占百花魁
(庭先の寒梅が咲いた 風雪に耐え笑うように 争わず無理もせず
どの花よりも先に花を咲かす)
新島襄は明治24年元旦、病気療養先の神奈川県大磯で上記の漢詩を詠んだ後の1月23日、夫人や弟子に見守れながら48歳の若さで天国に召された。この五言絶句が辞世の詩となった。新島襄の夫人、八重は今NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公として名前が知られているが、恥ずかしながら5年前、僕がブログを書いた時には八重のことを知らなかった。しかし、その後調べてみると、新島襄には八重を寒梅にたとえて歌ったこんな和歌もあった。「 めずらしと誰がみざらん世の中の春に先立つ梅の初花」
「庭上一寒梅」は「同志社のうた」(作曲大中寅二)の一つとして歌われており、同志社のキャンバスには「真理似寒梅 敢侵風雪開」と書かれた石碑もある。八重も襄の死後も庭先に寒梅を植え愛でていたそうだ。「八重の桜」も似合うが「八重の梅」も似合う女性であった。
庭上一寒梅 笑侵風雪 不争又不力 自占百花魁
(庭先の寒梅が咲いた 風雪に耐え笑うように 争わず無理もせず
どの花よりも先に花を咲かす)
新島襄は明治24年元旦、病気療養先の神奈川県大磯で上記の漢詩を詠んだ後の1月23日、夫人や弟子に見守れながら48歳の若さで天国に召された。この五言絶句が辞世の詩となった。新島襄の夫人、八重は今NHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公として名前が知られているが、恥ずかしながら5年前、僕がブログを書いた時には八重のことを知らなかった。しかし、その後調べてみると、新島襄には八重を寒梅にたとえて歌ったこんな和歌もあった。「 めずらしと誰がみざらん世の中の春に先立つ梅の初花」
「庭上一寒梅」は「同志社のうた」(作曲大中寅二)の一つとして歌われており、同志社のキャンバスには「真理似寒梅 敢侵風雪開」と書かれた石碑もある。八重も襄の死後も庭先に寒梅を植え愛でていたそうだ。「八重の桜」も似合うが「八重の梅」も似合う女性であった。
今の時代は、そういう女性はいるのでしょうか?80年代にウーマンリブ運動が起こり、男女平等だと鎧を着て女性が社会進出しましたが、そのせいで逆に女性は戦う事を強いられ、男女平等の意識にがんじがらめに縛りつけられ、窮屈な社会を作ってしまったと、ウーマンリブ運動を率先してやっていた団塊世代の女性作家がテレビで懺悔に似たコメントをしていました。
女性がたおやかにのびのびと生きられれば、この八重さんのようになるのかもしれません。無理に鎧を着る必要はないのでしょうね。
俄か知識ですが、新島八重さんの伝記を読むと、百年以上も前の日本人女性にこんな方がいたとは驚きです。夫の襄は米国留学の経験もありますが、八重はいってみれば会津の山の中の砲術教師の娘で、戊辰の役では男たちに交じって戦っています。そして、その前後に結婚した男性とは離婚しています。そんな八重に対して襄は”春に先立つ梅の初花”と絶賛しています。襄の死後、彼女は看護学を学び、日清日露の役にも従軍、一方では茶の道を究めています。スーパーウーマンですね。