知人から朝日新聞が「幻のスマトラ新聞」の”第二弾”を書いたと連絡があった。朝日新聞は8月15日付けジャカルタ発記事の中で、戦時中スマトラで発行されていた邦字紙「スマトラ新聞」約4か月分がインドネシア国立図書館で発見された、と報じた。そして、この発見について慶応大学倉沢愛子名誉教授にコメントを求めている。しかし、この発見は別に新しいものではない。元スマトラ新聞記者だった菊池秀広氏(故人)、すでに平成12年出版された「ムルデカに喝采」(講談社出版サービス)のまえがきの中で「昨年春(平成11年)私の勤務していたスマトラ新聞の一部(100日分)がジャカルタの国立図書館で発見され、そのマイクロフィルムは現存し私の手元にあり、鈴木正夫横浜市立大学教授のご努力により学問的資料でもあるので、しかるべき公的機関に寄贈したい」と記している。その通り菊池氏は平成12年3月7日、東京で開かれた日蘭戦時資料保存委員会の席上、同席した日本新聞協会の春原公彦上智大学教授に一部を手渡し寄贈している。
朝日新聞のジャカルタ駐在記者は記事を書くに当たって、菊池秀広氏の著書を読んんでいたのであろうか。新聞協会の春原教授を取材したとは思えない。ブログで「スマトラ新聞」について書いている僕のところにも取材がない。それより何よりも倉沢教授がスマトラの第25軍防空壕の虐殺虚妄を流布している人物なのを知らないのだろうか。スマトラの虐殺虚妄について倉沢教授が書いたとき、”俺たちが死んだら何を書きだすか、わからない”と従軍世代の人たちが口をそろえて怒っていたのを想い出す。
スマトラ新聞の菊池秀広氏は、かって北海道の民放に勤務していた時の上司であり、戦後二人で一緒に2週間スマトラ旅行をした仲であり、ブキテインギの防空壕虐殺の虚妄を撤回する運動を共にした戦友である。「スマトラ新聞」が幻にならないように、高い自費を払って出版されている。僕も先輩の遺志を組んんで2012年に、僕の別のブログ”1000都物語”にスマトラ新聞について書いたが、朝日新聞が”第二弾”まで追い打ちをかけて自分の勉強不足をカバーしようとしているので、改めて「老人タイムス」でもスマトラ新聞を連載で再録し,真実を後世に伝えたいと思う。
朝日新聞のジャカルタ駐在記者は記事を書くに当たって、菊池秀広氏の著書を読んんでいたのであろうか。新聞協会の春原教授を取材したとは思えない。ブログで「スマトラ新聞」について書いている僕のところにも取材がない。それより何よりも倉沢教授がスマトラの第25軍防空壕の虐殺虚妄を流布している人物なのを知らないのだろうか。スマトラの虐殺虚妄について倉沢教授が書いたとき、”俺たちが死んだら何を書きだすか、わからない”と従軍世代の人たちが口をそろえて怒っていたのを想い出す。
スマトラ新聞の菊池秀広氏は、かって北海道の民放に勤務していた時の上司であり、戦後二人で一緒に2週間スマトラ旅行をした仲であり、ブキテインギの防空壕虐殺の虚妄を撤回する運動を共にした戦友である。「スマトラ新聞」が幻にならないように、高い自費を払って出版されている。僕も先輩の遺志を組んんで2012年に、僕の別のブログ”1000都物語”にスマトラ新聞について書いたが、朝日新聞が”第二弾”まで追い打ちをかけて自分の勉強不足をカバーしようとしているので、改めて「老人タイムス」でもスマトラ新聞を連載で再録し,真実を後世に伝えたいと思う。
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