今日8月1日の誕生日の花は朝顔である。その花言葉は”愛情の絆”だそうだ。首都圏はここへきて、暑さも一服状態、昨夏のような猛暑ではない。そのせいなのだろうか。夏本番という気分にはなれない。人間は勝手なものだが、どうも僕には、その原因の一つは暑さだけでなく、街の夏の風情の喪失もあるように思われる。
僕の東京の夏の原風景の中には、横丁の家々の前に置かれた植木鉢に咲いた朝顔がある。あの紫色をした花である。朝に咲いて夕べにしぼむ花が、なぜか子供心にもいとおしく思われた。その朝顔の花が今年は僕の家の周辺では見られない。東日本大震災を受けて入谷の朝顔市が中止され、多少その影響もあるのかもしれないが、やはり、都会人の心の中から花を愛でる気持ちの余裕がなくなり、絆が失われてきたのではないのだろうか。
”朝顔のつるべとられてもらい水”-元禄時代の俳人、加賀千代女の作だが、いまはその世界はない。8月というと、僕らの世代はどうしても66年前のあの時代を想い出す。連日の空襲下、空腹を抱えて過酷の生活を強いられていた。当時は内風呂のある家は少なく、あっても燃料がなかった。幸い、隣家は軍需成金で毎日のように風呂を焚いていた、僕らはその”もらい湯”のご相伴に預かった。僕の記憶には、隣家の勝手口の入り口には確か朝顔があった。
階下の娘婿が自宅の庭でとれたゴウヤの初物を届けてきた。今年は節電をかねてゴウヤを栽培する家が多くなってきたという。”緑のカーテン”の役割をし、さらには実が食べられる。一石二鳥だが、夏の風物詩としては、やはり僕には朝顔のほうが似つかわしい。
僕の東京の夏の原風景の中には、横丁の家々の前に置かれた植木鉢に咲いた朝顔がある。あの紫色をした花である。朝に咲いて夕べにしぼむ花が、なぜか子供心にもいとおしく思われた。その朝顔の花が今年は僕の家の周辺では見られない。東日本大震災を受けて入谷の朝顔市が中止され、多少その影響もあるのかもしれないが、やはり、都会人の心の中から花を愛でる気持ちの余裕がなくなり、絆が失われてきたのではないのだろうか。
”朝顔のつるべとられてもらい水”-元禄時代の俳人、加賀千代女の作だが、いまはその世界はない。8月というと、僕らの世代はどうしても66年前のあの時代を想い出す。連日の空襲下、空腹を抱えて過酷の生活を強いられていた。当時は内風呂のある家は少なく、あっても燃料がなかった。幸い、隣家は軍需成金で毎日のように風呂を焚いていた、僕らはその”もらい湯”のご相伴に預かった。僕の記憶には、隣家の勝手口の入り口には確か朝顔があった。
階下の娘婿が自宅の庭でとれたゴウヤの初物を届けてきた。今年は節電をかねてゴウヤを栽培する家が多くなってきたという。”緑のカーテン”の役割をし、さらには実が食べられる。一石二鳥だが、夏の風物詩としては、やはり僕には朝顔のほうが似つかわしい。
昨日テレビ番組で蝉の鳴声が少ないのは春先の気温低下で、季節が遅れているのだと専門家が言っていました。しかし、大阪での蝉時雨れはどうなんでしょうか。やはり、素人は震災の影響ではないかと思います。朝顔に代わって外来種の花が目立ちます。菅政権の”過去に否定”政策が影響していなければよいのですが。自民党代議士三人の鬱陵島視察は、それに対する警告にはなりました。
(ここまで書いたら、地中から出たばかりのミンミン蝉の弱弱しい鳴声が聞こえてきました。)