92歳の尊敬する自称”老兵”から残暑見舞いを頂戴した。ご許可をえたので
そのまま公開します。
処暑ですが、老骨の身、残暑がこたえます。8月23日は明治11年に竹橋
事件(近衛師団兵士の反乱)大正3年、第一次世界大戦参加、対独宣戦の日
だそうです。
南京事件、慰安婦問題等々、気のきいたユーレイがなんとか。昔の人なら笑
い話ですみますが、敗戦の国民(戦争を知らない若い人)には申し訳ありませ
んことです 。
私の郷里は福井県で南京一番乗りの第九師団でした。そのときの兵隊から聞
いたのですが、南京大虐殺など全く知らないと、申しておりました。シンガポール
の華僑虐殺事件は第一線におり、私も陥落後一週間ほどイギリス軍の残した物
資をクアラルンプールに輸送する任務につき、二月末にシンガポールを離れた
のですが全くあの事件を知りませんでした。(華人がいなくなったのはインド方面
に逃げていったとの噂でした)戦争は殺すか殺されるかーですから平時では考え
られない真実があると思います。
戦力にならない,用無しの私など本当は戦争を語る資格はないのですが、勝利
者の歴史ではなく、敗戦兵として狭い戦争体験を文字にしている次第です。
◇ レイクエム 風鈴の音と重なりぬ
手紙と一緒に「南京事件70周年」と「消え行く戦友会」の二つの新聞の切抜が
コメントなしに同封されていた。僕もコメントなしに”老兵”の手紙を紹介した
次第です。
そのまま公開します。
処暑ですが、老骨の身、残暑がこたえます。8月23日は明治11年に竹橋
事件(近衛師団兵士の反乱)大正3年、第一次世界大戦参加、対独宣戦の日
だそうです。
南京事件、慰安婦問題等々、気のきいたユーレイがなんとか。昔の人なら笑
い話ですみますが、敗戦の国民(戦争を知らない若い人)には申し訳ありませ
んことです 。
私の郷里は福井県で南京一番乗りの第九師団でした。そのときの兵隊から聞
いたのですが、南京大虐殺など全く知らないと、申しておりました。シンガポール
の華僑虐殺事件は第一線におり、私も陥落後一週間ほどイギリス軍の残した物
資をクアラルンプールに輸送する任務につき、二月末にシンガポールを離れた
のですが全くあの事件を知りませんでした。(華人がいなくなったのはインド方面
に逃げていったとの噂でした)戦争は殺すか殺されるかーですから平時では考え
られない真実があると思います。
戦力にならない,用無しの私など本当は戦争を語る資格はないのですが、勝利
者の歴史ではなく、敗戦兵として狭い戦争体験を文字にしている次第です。
◇ レイクエム 風鈴の音と重なりぬ
手紙と一緒に「南京事件70周年」と「消え行く戦友会」の二つの新聞の切抜が
コメントなしに同封されていた。僕もコメントなしに”老兵”の手紙を紹介した
次第です。
92歳、まさに歴史を見てきた生き証人です。
こういう方からみたら、今の日本は歯がゆく片腹痛い状況ではないでしょうか。
まさしく、戦勝国から与えられた歴史の証言をそのまま採用し、意味もなく謝罪し、卑屈に生きている。
私は戦争を知りませんが、今の日本に苛立ちを感じます。
なぜ正しいことは正しいと、間違っていることは間違ってると言わないのか。
確かに日本兵が中国人を殺したとはいいません。
それが戦争なのですから。
中国は中国人同士の思想犯に対する虐殺なども混同させて南京大虐殺と言っています。
その陰には、朝日新聞の現地による反日情報の先導によるものが大きいです。
なぜここまで歴史が捻じ曲がってしまったのか、徹底して洗いなおさなければいけません。
そして、戦勝国の犯罪はなぜ問われないのか?
どんなに残虐な殺害をしても、戦争に勝ったというだけで肯定されるのは、まったくおかしな理論です。
戦争は、勝っても負けても人殺しです。やらなければやられるのですから。
日本だけに第二次世界大戦の加害を押し付け、62年経った今でも、その現状がなんら変わらないという状態を問い直さなければいけません。
「老兵」様には、お元気に過ごされて頂きたいです。
今朝も早く、関西の大學の学長経験者の老兵から電話をもらいました。
彼らは戦争中、まだ20歳代前半で戦争に狩出された、いってみれば最大の犠牲者です。
今年は南京事件70周年ですが、もっと
早い時期、従軍世代が健在のうちに聞き込み調査など、しかるべき機関がやって
おればよかったと思います。
「老兵}にはchobimameさんのコメント
を伝えさせて貰います。
上海にも船で行き揚子江周辺で戦闘に参加したようで、百姓が畑を耕している傍を通り過ぎたら、後ろから撃ってきた、便衣兵だった。崖下で休憩を取ったとき、隣に座った人が鉄兜を脱いだ。暫くして様子が何かおかしいと思って見たら、流れ弾が頭から真下に抜けていた。戦場から引き上げ、艀から母船に移るときは縄梯子を上らなければならない。重い背嚢を背負い、鉄砲を持っている上に疲れているので、手に力が入らず揚子江に落ちる兵隊が何人も出たが、川の流れが見た目より速く、見る見る流されていく、一度沈むと上の流れと下の流れが違うので、もう何処に流されたか分からない。などという話を聞いた程度です。
帝国大学を出ましたが、新兵時代に仲間の件で上官の下士官の行為に義憤を感じて文句を言い、問題解決に士官が乗り出した所為で、終戦までに三度徴兵されたらしいのですが上等兵止まりでした。マラリアに罹り、亡くなるまで重い痔瘻に苦しみ、医者嫌で、無信仰となり、寝ると酷く魘されていました。『何故兵隊を訓練するか。疲れさせるためだ。疲れると人は考えなくなる。』この亡父の言葉の意味を実感したのは、私が工場に勤め、朝の8時から夕方の6時まで、昼の一時間を除き、部品の錆落しと油塗りという単調だが手抜きの出来ない仕事で毎日を送り、三ヶ月を過ぎた頃でした。
僕は子供の時から右目が弱視のため職業軍人になる意思はありませんでした。そのせいで軍隊嫌い、戦争が負けてほっとした一人です。
大學出はほとんど幹部候補生を希望したようですがchengguangさんのご尊父のような方も多かったみたいですね。
チャンギーで刑死された「わだつみのこえ」の木村久夫氏(京都大学卒上等兵で
ニコバル諸島駐屯)も、職業軍人の上官
の犠牲になって処刑されています。日本の戦前の軍隊組織は、ガンだったようですね。
手紙の老兵は給水部隊の兵隊でマレー作戦後、豪北地区で苦労されました。
EDITORIAL: A special relationship
http://www.nst.com.my/Current_News/NST/Sunday/Columns/20070826080530/Article/index_html
有難うございます。早速読ませて
貰います。英字紙「ジャカルタ・ポスト」の慰安婦批判と違いますね