「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「東京ぶらり昔話」(1)二重橋 .宮城遥拝

2021-06-08 06:13:08 | 2012・1・1
”宮居の近くにほど近く、いとも畏く位置示し”-筆者が昭和18年3月卒業した品川区の第二日野国民学校(小学校)の校歌の一節だが、戦前、宮居は一般的には宮城と呼ばれた。宮城は東京の住民だけでなく、遠く戦地でも儀式の一つとして宮城遥拝があり、遥かにt天皇陛下を拝んだものだ。

今、一般に皇居と呼ばれているのは江戸時代徳川将軍家の居城で、38 HAあるが、その三分の一はお濠と環境庁の国定公園指定された広場である。その広場から正面入れ口に渡る鉄橋と石門を二重橋と呼ばれている。この二重橋と広場で戦後の混乱期、二つの痛ましい事件と事故が起きている。一つは昭和27年メーデイのデモ隊と警官隊との間の衝突事件、いわゆる血のメーデイ事件。もう一つは29年1月2日,参賀客で混雑する二重橋上で将倒しが発生36人が死亡した

1千万の大都会の中心にこれだけ緑の濃い地域がるのは世界でも珍しいのでは。これには先人たちの思いと努力と汗のあとがある。二重橋広場に近い黒松林は80年前皇紀2600年を記念して当時の中学生が苗木を植えたのだ。

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