「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

スラウェシ島でインドネシア独立戦争に参加した日本兵

2018-03-23 07:12:38 | 2012・1・1
昨日、横浜で開かれたスラウェシ研究会に参加、会に同席された、戦後の混乱期、中部セレベスのエレンガンでインドネシア独立戦争に参加、戦死された菊池康郎さんの甥にあたる優さんから昨年、墓参した際の現地の話を聞いた。研究会のネット会報誌「スラウェシ.マガジン」には,同じように戦後、東南スラウェシ州コラカで独立戦争に参加、和蘭軍に捕られら処刑された樺島海軍中尉の事が紹介されているが、菊池さんのように陸軍の一般兵士の参加は初めてのことだ。

戦後インドネシア各地に残留し、インドネシア独立戦争に参加した旧日本軍の軍人、軍属はジャカルタの残留二世組織の「福祉友の会」などの資料を参考に推定すると、千数百人で、そのうち数百人が戦死しているが、はっきりしない。それに「福祉友の会」の資料はジャワ、スマトラに残留した会員たちの情報によるもので、バリ、セレベス、カリマンタンは含まれていない。

しかし、戦後の連合軍BC級マカッサル裁判資料記録(茶園義男編1992年)によると、戦後の独立戦争に参加した理由で海軍特警(憲兵)だった畑田實さんら3人が処刑され、ほかに陸軍憲兵だった安島末蔵さんが同じく処刑された記録がある。戦後の事件でBC級裁判にかけられ処刑されたのはマカッサル裁判だけである。今回初めて菊池さん話を聞き、歴史の表面から消えてしまったが、戦後スラウェシでは、ほかにも独立戦争に参加した日本人がいたかもしれない。

東京港区の古刹、青松寺の境内の一角にはインドネシアの初代大統領スカルノが揮毫した”独立は一人類のものならず、全人類のものなり”の顕彰碑が改めて想い出されれる。菊池康郎さんは陸軍少年戦車学校出身で、当時弱冠20歳であった。菊池さんのお墓は今、エレンガンの英雄墓地の一角にある。








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