昨日、旧制中学時代の友人Y君を見舞った。彼はここ数年脊髄の難病で自宅療養を
している。彼は僕の尊敬する友人の一人だ。何よりも人生に対して前向きで努力家。
69歳で大學の法学部国際比較法学科を卒業した。69歳といえば普通は第一線を卒
業して孫の面倒をみているご隠居さんの歳だ。
僕らが中学を卒業した昭和23年は、まだ街に焼跡が残り、混乱の時代だった。食べ
てゆくのが精一杯で、僕らの仲間でも昼間学校に来て、夜は進駐軍のキャンプで働
いたり、休みに闇市で”雑炊売り”の手伝いなどしていた。Y君もその一人で、家の近
くの商店の御用聞きをしていたそうだ。とても家庭の事情で進学などできず、御用聞
きで知り合った学校の先輩のつてで、あるラテンバンドの楽器運びに就職した。戦後
の20年代から30年代にかけてラテン音楽が盛んで、彼はそこでドラムを習い、NHKや
国際劇場の舞台にも出演した。
昭和の終わりごろ彼は、その晴舞台から降りて別世界にとびこんだ。彼はまず大検
(大學入試検定試験)を目指して勉強、これに合格すると今度は小型飛行機操縦免
許をとって会社を設立、インストラクターになった。
その後、彼は一念発起して予備校に通い65歳で大學に合格した訳だが、やはり無理
がたたったのか、脊髄の難病に冒され、現在奥さんの手厚い看病で自宅療養している。
身体障害者2級の認定を受けているから、ほとんど身体も動かせない。でも彼はいつも
人生に対して前向きである。リハビリにも一生懸命だ、一日も早い回復を願っている。
している。彼は僕の尊敬する友人の一人だ。何よりも人生に対して前向きで努力家。
69歳で大學の法学部国際比較法学科を卒業した。69歳といえば普通は第一線を卒
業して孫の面倒をみているご隠居さんの歳だ。
僕らが中学を卒業した昭和23年は、まだ街に焼跡が残り、混乱の時代だった。食べ
てゆくのが精一杯で、僕らの仲間でも昼間学校に来て、夜は進駐軍のキャンプで働
いたり、休みに闇市で”雑炊売り”の手伝いなどしていた。Y君もその一人で、家の近
くの商店の御用聞きをしていたそうだ。とても家庭の事情で進学などできず、御用聞
きで知り合った学校の先輩のつてで、あるラテンバンドの楽器運びに就職した。戦後
の20年代から30年代にかけてラテン音楽が盛んで、彼はそこでドラムを習い、NHKや
国際劇場の舞台にも出演した。
昭和の終わりごろ彼は、その晴舞台から降りて別世界にとびこんだ。彼はまず大検
(大學入試検定試験)を目指して勉強、これに合格すると今度は小型飛行機操縦免
許をとって会社を設立、インストラクターになった。
その後、彼は一念発起して予備校に通い65歳で大學に合格した訳だが、やはり無理
がたたったのか、脊髄の難病に冒され、現在奥さんの手厚い看病で自宅療養している。
身体障害者2級の認定を受けているから、ほとんど身体も動かせない。でも彼はいつも
人生に対して前向きである。リハビリにも一生懸命だ、一日も早い回復を願っている。
歳をとると、年齢に怖じ気ついてチャレンジする事を止めてしまいますが、こういう方を拝見すると勇気が出ますね!
私もやりたい事があるのでチャレンジしてみようかと思いました。努力は年齢を超えますね!
身障者2級とは大変なハンディなのです。
普通なら滅入ってしまいますが、奥方の介護もあって前向きに治療しています。
決して器用な男ではないと思いますが、一回限りの人生です。羨ましいとも思います。
いろんなことにチャレンジしたいですよね
でも、病気というものに遭遇すると大抵落ち込んだり
マイナス思考になったりします
それを前向きに考えられるその方に脱帽です
なんというチャレンジ精神をおもちなのでしょうか。
私もchobimameさんと同じで、勇気というか、挑戦する意欲が湧いてきました。
毎日、リハビリに励んでいらっしゃるそうで、一日も早くご回復されることを、お祈りいたします。
老人になると鬱病が多いのですが、彼のようなプラス志向の方はなりません。奥様の支えがあるからだと思います。
若い世代の中に、早くも20代で人生にあきらめ、逃避している人がいますが、もったいないです。僕ら老人はまだやりたいことが沢山あります。人生やはり挑戦が必要です。