豊洲市場の盛り土問題について、石原慎太郎元都知事が報道機関に対して文書でもって、知事在任中の出来事が多大な混乱や懸念を生じさせて申し訳ないと謝罪した。石原氏は、まもなく84歳という年齢からくる記憶の薄れや勘違いがあるとして、今後報道陣の取材を控えるともいった。”過ちをを改めるに憚ることなかれ”(論語.学而}であり、僕は改めて石原氏の”過ち観て仁を知る”(論語里仁)態度に共感した。
石原氏は謝罪文書の中で、一部の報道が”土壌汚染を無視して予算と完成時期にこだわり過ぎた"との批判に対して、断じてありえないと否定した。”過ちは好むところにあり”(準南子)という諺があり、人は自分の得意な事で油断し失敗することが多い。過去に原発事故の対応で失敗した総理がいた。石原氏も環境問題では、一応権威であるが、今回もその面があったのだろうか。
誕生日がきて84歳、年齢からくる記憶や勘違いを石原氏は率直に認めておられたが、まさにそうである。個人差はあるが、人間は加齢には勝てない。いつまでも「太陽の季節」の石原慎太郎氏ではない。先の都知事選での”厚化粧年増”発言から、今回の盛り土問題まで、石原氏の発言は、あまりにもアウトスポークンし過ぎた。石原氏が自認しているよに、残念ながら年齢からくる”ボケ”が出てきているのだ。
しかし”過ちを改めざるをこれを過ちという”(論議.衛霊公)というが、石原氏は率直に過ちを認めた。さすがに「仁者」である。「仁者」は”山を楽しむ”(論語.擁也)とある。「仁者」は天命をを知り、安らかで、山のようじ動じないという意である(三省堂「慣用句こおわざ辞典」)
石原氏は謝罪文書の中で、一部の報道が”土壌汚染を無視して予算と完成時期にこだわり過ぎた"との批判に対して、断じてありえないと否定した。”過ちは好むところにあり”(準南子)という諺があり、人は自分の得意な事で油断し失敗することが多い。過去に原発事故の対応で失敗した総理がいた。石原氏も環境問題では、一応権威であるが、今回もその面があったのだろうか。
誕生日がきて84歳、年齢からくる記憶や勘違いを石原氏は率直に認めておられたが、まさにそうである。個人差はあるが、人間は加齢には勝てない。いつまでも「太陽の季節」の石原慎太郎氏ではない。先の都知事選での”厚化粧年増”発言から、今回の盛り土問題まで、石原氏の発言は、あまりにもアウトスポークンし過ぎた。石原氏が自認しているよに、残念ながら年齢からくる”ボケ”が出てきているのだ。
しかし”過ちを改めざるをこれを過ちという”(論議.衛霊公)というが、石原氏は率直に過ちを認めた。さすがに「仁者」である。「仁者」は”山を楽しむ”(論語.擁也)とある。「仁者」は天命をを知り、安らかで、山のようじ動じないという意である(三省堂「慣用句こおわざ辞典」)
今回の豊洲問題は、小池さんと石原親子との確執や伸晃が公認しなかった背景の仕返しだとの見方も出るなど、三面記事めいた話に移行しています。
こんな話を聞くと、政治の世界は戦乱時代と同じですね。
都民そっちのけで、食うか食われるかの争いは、止めていただきたいものです。
あの地下の水溜りを見れば、誰でも食の安全は大丈夫かと心配すると思いますが、小池さんが知事になって指摘するまで、関係者は何とも思っていなかったのでしょうか。異常ですね、今、問題は都民の台所を預かる生鮮市場をどうするかであって、小池対石原親子の相克劇場ではありません。その点、慎太郎さんが謝意を表したのは評価しあす。
高齢になると、記憶力が薄れ、思い違いが多くなります。慎太郎さんだけではありません。反省します。