「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           異常気象と震災が多発した昭和19年

2012-04-01 07:04:20 | Weblog
今日から4月だというのに東京の春はまだ遠い。わが家の近くの暗渠の上の桜並木には、すでにお花見用の提灯が飾られているが花の蕾は固い。その寒々しい並木の下を郷土史研究グループの一行が通って行く。本来なら、この時季、桜は満開。そのお花見を兼ねての集いだったのだろう。

僕の80年の人生の中でも4月になっても東京で桜が咲かないという記憶はあまりない。亡父の残した日記をめくってみたら昭和19年(1944年)がそうだった。4月15日、駅の下の土手の桜、ようやくチラチラ咲き出すとある。寒い年だった。この年5月2日、僕の一人きりの姉が21歳の若さで肺結核でなくなっているので、よく覚えているが、手をかじらませて町の氷屋へ解熱用の氷を買いに行った。

戦時中は天気予報は軍事上の機密からラジオや新聞にも報道されなかった。国民は一切気象に関する情報を得られなかった。東京高円寺の氷川神社に「気象神社」があるそうだが、これは戦争中近くにあった陸軍気象部にあったものを移してきたものだという。気象まで”神がかった”時代であった。そういうことまもあってか、戦時中の異常気象や震災は国民には明らかにされなかった。

戦争が激化して、国民はその推移に目を奪われていたが異常気象の年であり、火山の爆発あり、大地震ありで大変な年であった。戦後になって判ったことだが、3月12日の豪雪で岩手県宮古で200戸もの家が壊れ164人もの犠牲者が出ている。6月には北海道で火山が爆発して土地が隆起して昭和新山が新たにできた。さらに12月7日にはM7.9の東南海大地震が発生、死者行方不明1244人を出している。

異常気象と震災と関係があるのかどうかわからない。が、内閣府が折から南海トラフ巨大地震について予測している。備えあれば憂いなしであるが、異常気象が”老爺心”でないことを祈る次第である。


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