来日中の胡錦涛・中国国家主席が昨夜、東京の日比谷松本楼で催された福田総理の
プライベートな夕食会に出席した。松本楼は”革命の父”と呼ばれる孫文が日本亡命中
たびたび訪れた明治37年、創業のレストランで、店内には孫文夫人宗慶齢が弾いたとい
う国産第一号のピアノも展示されている。このピアノは、孫文と宗慶齢とが結婚式を挙げ
た梅屋庄吉(現松本楼常務の曽祖父)宅にあったものだ。
日露戦争から大正時代の初めにかけて日本には、孫文のような清国からの政治亡命者
をはじめ留学生が2万人から3万人いたといわれる。阿Q正伝などの作品で知られる魯迅
も仙台医専(現東北大医学部)で勉学後、帰国まで東京に滞在している。後に総理になっ
た周恩来も東京・神田の東亜高等予備校で日本語を学び明治大學に留学している。静岡
県掛川市旧大東町には、この二人に日本語を教えた同地出身の松本亀次郎の顕彰碑
(井上靖揮毫)が建っている。
当時中国留学生が多く集まる場所は、私立大学が集中していた神田の駿河台から神保町
にかけての界隈だった。地下鉄神保町近くの愛全公園には「東亜高等予備校」跡の碑が
建っている.そして、その近くの中華料理店「漢陽楼」は周恩来が留学中よく通った店で、周
が好んだ小籠包が今でもこの店の名物である。
「漢陽楼」だけでなく、昭和30年代頃まで神田には中国留学生が通ったと思われる小さな
中華料理店が多く残っていた。胡錦涛主席の来日を機に日中関係の井戸を掘った先人た
ちを偲んでみた。
プライベートな夕食会に出席した。松本楼は”革命の父”と呼ばれる孫文が日本亡命中
たびたび訪れた明治37年、創業のレストランで、店内には孫文夫人宗慶齢が弾いたとい
う国産第一号のピアノも展示されている。このピアノは、孫文と宗慶齢とが結婚式を挙げ
た梅屋庄吉(現松本楼常務の曽祖父)宅にあったものだ。
日露戦争から大正時代の初めにかけて日本には、孫文のような清国からの政治亡命者
をはじめ留学生が2万人から3万人いたといわれる。阿Q正伝などの作品で知られる魯迅
も仙台医専(現東北大医学部)で勉学後、帰国まで東京に滞在している。後に総理になっ
た周恩来も東京・神田の東亜高等予備校で日本語を学び明治大學に留学している。静岡
県掛川市旧大東町には、この二人に日本語を教えた同地出身の松本亀次郎の顕彰碑
(井上靖揮毫)が建っている。
当時中国留学生が多く集まる場所は、私立大学が集中していた神田の駿河台から神保町
にかけての界隈だった。地下鉄神保町近くの愛全公園には「東亜高等予備校」跡の碑が
建っている.そして、その近くの中華料理店「漢陽楼」は周恩来が留学中よく通った店で、周
が好んだ小籠包が今でもこの店の名物である。
「漢陽楼」だけでなく、昭和30年代頃まで神田には中国留学生が通ったと思われる小さな
中華料理店が多く残っていた。胡錦涛主席の来日を機に日中関係の井戸を掘った先人た
ちを偲んでみた。
(櫻井よしこ氏のページより)
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温首相が国会演説で歴史問題に関連して厳しく釘を刺したことはここではおくとして、歓迎宴で、温首相が自分の母親について触れたくだりはじつに“印象的”だった。
「国会演説が終わったあと、ママに電話をすると、ママは、お前の演説はとてもよかったとほめてくれた」と語り、なごやかな笑いを誘ったのだ。
だが、温首相はかつて米国でも自分の母親について語っている。そのときは、ほぼこんな内容だった。
「自分が子どもの頃、日本軍が中国に侵略してきた。私は母親の後ろに隠れ、母親のスカートを握り締めて震えていた。凶悪な日本軍から私を守ってくれたのが、母親だった」
母親に触れることで日本人の微笑を誘い、温家宝氏も人の子だと思わせた。が、同じ母親を題材にしても、米国では180度異なるスピーチをする。
アジアでの覇権の確立、日本の封じ込めなどの大目的は変えることはないが、そこに至る戦術は、強硬路線から柔軟路線へ自在に変化するのが中国だ。
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申し訳ありません。
この頃、シナの要人が信用できなくなってしまいました。
胡主席の態度をみて僕の希望的観測を込めてです。個人が変わっても態勢は変らないかもしれませんが。
申し訳ありません。私としましては、安心できません。
[ウィキペディア]より
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1989年1月、チベット自治区の共産党書記に就任。
1989年3月7日、ラサに戒厳令を布告する。
当時のチベットは独立を求める民族独立運動が激しくなりつつあり、「この運動を押さえ込むよう弾圧すべし」との共産党中央の基本政策に忠実に従い、党指導部の信頼を勝ち得た。
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このような経歴で出世してきた男です。
目的のためには、笑顔、涙、紳士的、なんて、なんの苦もなくできるのではないでしょうか。
シナのやることには、全て目的があります。お人よしではありません。胡錦涛が江沢民路線から離脱したとしても、基本的なシナの戦略は不変であると同時に、今までどうり方法論においては変化自在と考えます。
日本から吸い上げられるものは全て吸い上げる。
それによるシナの国力の増強、軍事力の増強と考えます。
現在、軍事費ではシナはアメリカに次ぐ2位だそうですね。それでも、これからもまだ、2桁台の伸びをするそうですね。一体何の目的があるのでしょうか。台湾を押さえ、海洋に出て行くつもりなんでしょうね。
申し訳ありません。
毒餃子、海洋油田、反日教育、南京事件の捏造活動、尖閣諸島等、これからの事柄についてまともな対応がない限りには、私は、安心できません。
胡錦涛主席の御所訪問の模様をテレビで
見ました。10年前のあの無礼極まる江沢民よりはましでした。歴史は動きます。少なくとも胡錦涛が今回の訪日で江沢民から脱出できればと期待していますがー。
先人たちは清国の見るに見かねる状況に隣人として手を差し延べたものと思います。当時の支那は近代化の波に乗り遅れ
アヘンと纏足の国だったのです。
蒋介石も王精明も当時日本に留学していました。呉越同舟だったわけですね。
胡錦涛が、あの時代についてどのような認識があるかどうかです。
唐招提寺や法隆寺をみせても、彼らは優越感にしたるだけです。
全く同感です!!
胡錦濤、顔ではニコニコしてますが、
やっていること、考えていることの目的は、
「日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。」(『日本解放綱領』中国共産党)のです。
下の記事にもお書きになっているように、今の中国に対して、ぬるま湯外交は日本の弱体化を示すだけのものであり歓迎は出来ません。
餃子もガス田もチベットも南京問題も拉致問題も全部棚上げ。胡錦濤来日を喜んでいるのは福田と田中真紀子と小沢だけです。安全というなら晩餐の席に冷凍餃子を出すくらいの強かさが日本になくて外交といえるか。今回の来日で中国にとって御し易い国だと胡錦濤は再確認したでしょう。福田がパンダ欲しさに年間1億の借用料の約束をヘラヘラしている最中も、ガスは吸い取られているのです。ヘラヘラしているだけなら小学生にだって首相は務まります!