goo blog サービス終了のお知らせ 

「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

国際人道支援 改めてケネデイの平和部隊

2019-12-10 05:53:37 | 2012・1・1
アフガニスタンの東部ジャララバードで地域の人道支援の指導に当たっていた国際NGO組織ペシャワール会の現地代表の中村哲医師(73)が現地の武装組織集団に銃撃され、昨日ご遺体がご遺族らにつき添われ、故郷の福岡に無言の帰郷をされた。なんとも無念で痛ましい。改めて手を合わせてご冥福をお祈りしたい。

僕が中村医師の活躍に敬意を示したいのは専門の医師としてだけでなく、低開発国への人道支援という哲学に基づき自ら行動に移していたことだ。テレビで中村医師が現地の灌漑現場で作業服を着て自ら重機を運転していたのに驚いた。率先実行なのである。

低開発国への先進国からの援助という考え方が出てきたのは1961年(昭和36年)、米国のケネディ大統領の「平和部隊」(Peace  corps)の創設である。その日本版ともいえるJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊が発足したのは65年である。東西冷戦、南北格差が問題視されていた時代であった。

個人的な話で恐縮だが、1980年代に僕は10年ほどJICAの研修事業の末端で働いたことがあるが、一般日本人の途上国支援への理解は薄かった。中村医師は30年も国際NGOの現場で働いていたという。この問題の先駆けである。世界的にも貴重な人材を失ったものだ。同時に半世紀前、この問題に着目したケネディの政治家としての偉大さを思い起こした。




最新の画像もっと見る

4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
憲法9条は守ってくれなかった (日本ミツバチ28号)
2019-12-10 11:01:44
10年程前、テレビで中村哲医師の活動を知り、深く感動しました。本当に痛ましく残念でなりません。心からご冥福をお祈りします。 『ウィキペディア』に中村医師が「9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる。これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。・・・政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない」と語っていることが書かれています。なんと、この言葉が虚しく響くことでしょう。9条は中村医師を守ってはくれませんでした。今回の中村医師の殺害事件を切っ掛けに、憲法9条が日本をそして私たち日本国民を守っているのではないことに気付く人が増えることを願います。
偉大なケネディ大統領が尊敬する日本人として挙げたのは江戸時代後期の米沢藩主上杉鷹山でした。中村医師と上杉鷹山とでは時代も違えば、国も違い、立場も仕事の内容も違いますが、二人の利他的な生き方が私たちを感動させるのではないでしょうか。
返信する
「昨日の敵は今日の友」 (日本ミツバチ28号)
2019-12-10 12:37:49
大東亜戦争下の昭和18年8月2日の深夜、ソロモン海域のフーガンソ水路でわが国の駆逐艦「天霧」(艦長花見弘平中佐)はアメリカの魚雷艇「PT109」(艇長ケネディ)を発見し攻撃します。ケネディは背骨に重傷を受けましたがなんとか助かっています。そして時は移り、昭和26年の秋、ケネディ下院議員は日本外政学会理事長細野軍治氏に会い、「ソロモン海域で自分の魚雷艇を真二つにした駆逐艦の艦長を探してくれ」と頼みます。 花見弘平氏と判るとケネディは自分の写真の裏に「昨日の敵は今日の友」と書いて、手紙と一緒に花見氏に送っています。 ケネディは騎士道精神から、大東亜戦争で祖国のために戦った花見艦長や我が兵を、敬意をもって見ていたのではないでしょうか。

前回のコメント「国も違い」は誤りですので削除致します。謹んでお詫びいたします。
返信する
変わってきた日本人 (kakek)
2019-12-10 14:05:00
日本ミツバチ28号 様
ソロモン海域のケネデイ魚雷艇艇長の話想い出しました。「朝日ジヤナール」「世界」の絶頂期のような気がします。ケネデイ.ブームでもあったですね。
団塊の世代の中村さんは、この後に続く人たちですが、憲法6条がバックボーンとされていたそうですが、よく理解できます。小ブログは、団塊世代を批判することが多いのですが、昭和1ケタにはないものの考え方と実行力があります。
ノーベル賞受賞の吉野彰さんの授賞式の模様をテレビでみながら、島国人間だった日本人も、良い意味で変わってきたと思います。



返信する
変わってきた日本人 (kakek)
2019-12-10 14:05:27
日本ミツバチ28号 様
ソロモン海域のケネデイ魚雷艇艇長の話想い出しました。「朝日ジヤナール」「世界」の絶頂期のような気がします。ケネデイ.ブームでもあったですね。
団塊の世代の中村さんは、この後に続く人たちですが、憲法6条がバックボーンとされていたそうですが、よく理解できます。小ブログは、団塊世代を批判することが多いのですが、昭和1ケタにはないものの考え方と実行力があります。
ノーベル賞受賞の吉野彰さんの授賞式の模様をテレビでみながら、島国人間だった日本人も、良い意味で変わってきたと思います。



返信する

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。