今年も数え日となった。昨日午後、老妻と一緒に近くの目不動尊へ参詣に行った。一年最後の縁日を”納めの不動”という。一年間の無事息災に感謝して護摩を焚く行事からきているようだ。わが家は今年は僕の二度にわたる膀胱癌手術入院など多難な一年だった。そこでその回復を感謝し、来るべき年にむけて病魔を納めて欲しいというのが正直な気持ちであった。
目不動は別名,龍泉寺という。本堂に上る階段の右手に独鈷(とくこ)の滝があることから来ている。滝は二つの龍の口を通じて滝壷に落ちている。70年前、僕が少年だった頃は滝の水は、もっと勢いがよく、僕らは滝壷でしぶきを上げて水浴したものだった。が、今は龍の口から流れる水はちょろちょろだ。
本堂への階段は急な男坂とゆるい傾斜の女坂とがある。つい最近まではなんの苦もなく男坂を上ったものだったが、今年は手すりの世話になっても上れそうもない。仕方がない。やっと女坂の手すりにつかまりながら、本堂にたどりついた。自分ながらなさけない限りだ。
本堂の裏手には小さな公園がある。昭和13年の秋だったが、この公園で卒業した幼稚園の運動会があり参加したのを覚えている。当時はかなり広いと思った公園だが、今、見るとそんなに広い感じがしない。逆に公園に降りる階段が、こんなところに階段があったのかと、驚いた。僅か3段しかないのに手すりがないのである。70年前にも、この階段はあったに違いないのだが。やはり70年の歳月の流れなのである。
目不動は別名,龍泉寺という。本堂に上る階段の右手に独鈷(とくこ)の滝があることから来ている。滝は二つの龍の口を通じて滝壷に落ちている。70年前、僕が少年だった頃は滝の水は、もっと勢いがよく、僕らは滝壷でしぶきを上げて水浴したものだった。が、今は龍の口から流れる水はちょろちょろだ。
本堂への階段は急な男坂とゆるい傾斜の女坂とがある。つい最近まではなんの苦もなく男坂を上ったものだったが、今年は手すりの世話になっても上れそうもない。仕方がない。やっと女坂の手すりにつかまりながら、本堂にたどりついた。自分ながらなさけない限りだ。
本堂の裏手には小さな公園がある。昭和13年の秋だったが、この公園で卒業した幼稚園の運動会があり参加したのを覚えている。当時はかなり広いと思った公園だが、今、見るとそんなに広い感じがしない。逆に公園に降りる階段が、こんなところに階段があったのかと、驚いた。僅か3段しかないのに手すりがないのである。70年前にも、この階段はあったに違いないのだが。やはり70年の歳月の流れなのである。
目黒は有名ですが、ほかのお不動さんは知りませんでした。
お不動さんは身代わり不動ですから、きっと病気も納めてくれると思います。
昔大きく見えた場所も、自分が大人になってみると小さく見えたりしますよね。
目不動は江戸時代はもっと賑わっていたようです。今は縁日の28日だけ日出がでます。でもたいしたことはありません。僕も目白、目黄、目赤不動があると聞いていますが、行ったことはありません。意外と東京生まれでも知らないところがおおいです。