「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

昭和16年のバタヴィア(ジャカルタ)の動画と当時の日本

2015-03-03 05:40:07 | Weblog
先日小ブログでジャカルタの交通渋滞について書いたところ、コメンテーターの「朱雀」さんから戦前蘭印時代(昭和16年)の珍しい動画(Duch EastIndia in HD color)あると紹介された。大東亜戦争が始まる直前のバタヴィア(ジャカルタ)とバンドンの町風景や人々の生活をかなり長尺にわたってカラーで撮影している貴重なものだ。

動画の中には1862年、幕末期に川幕府が「和蘭行御軍方」として派遣した榎本武楊ら一行が約1週間滞在していたバタヴィアの「ホテル.デス.インディス」もある。一行がバンカ島沖で座礁し、他船に乗り換えるための間、宿泊していたものだ。また、蘭印時代最古の建物と言われた「ハルモニー」(東印度会社のクラブハウス)もある。これらの歴史遺産物は、残念ながらスハルト(第二代大統領)の”開発”政策よってすべて、取り壊されてしまった。

動画からは、当時の蘭印の一見、平和な豊かな市民の生活が垣間見られる。モダンな乗用車に混じってドッカル(馬車)やベチャ(三輪車)が今は撤去してなくなった路面電車と並行して走っている。パッサール(市場)にはうづ高く、南の果物が積まれ。子供たちが露店でおいしそうに飲食している。バンドン郊外では水牛を使って農夫たちが、ゆっくりと田を耕している。

当時の日本はどうだったかー。亡父の昭和16年の日記の後記には”聖戦すでに4年。さすがに国内物資が欠乏してきた。肉がなく魚もない。野菜がなくむろん菓子など滅多に手にはいらない。どれもこれも配給で、行列しなければ手に入らない”時代になっていた。街行く自動車は、蘭印からの禁油にあい、ガソリン不足から木炭車が走っていた。

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4 コメント

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カラー (chobimame)
2015-03-03 09:29:13
まずはカラーの動画に驚きます。日本は、あったのでしょうか?日本の昔を撮影したもので、カラーを見た事がないです。
誰でしたか忘れましたが(映画評論家の小森和子さんかな?)風と共に去りぬの映画を見て、日本は戦争に負けると思ったと何かで読みました。
日本は、戦況で国民は飢えで喘いでいましたが、他国は豊かだったのですね。
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総天然色 (kakek)
2015-03-03 13:57:52
chobimame さん
全くこの面については素人ですが、戦前は写真機ですら持っていない家庭が多かったです。いわんや8ミリ、16ミリ撮影機は皆無でした。とてもカラーなどー。わが国初めての総天然色映画「カルメン故郷に帰る」が公開されたのは昭和30年代だと記憶しています。
オランダは17世紀以来の植民地貿易で巨大な富を築いており、蘭印には金持ちが多かったようです。日本の兵隊さんは、南の土人国と思っていたのに、はるかに近代化されているのに驚いたそうです。
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カラー動画 (朱雀)
2015-03-03 14:43:41
御解説、ありがとうございます。
NHKが戦前の日本のカラー映像を報じていますが、蘭印の風景もカラーで撮られていたのですね。

確かに一見平和そうですね。
日本軍が行くまでは、スカルノ、ハッタらエリートを除いて、一般庶民は植民地支配されるのを運命として受け止めるような向きさえあったというのは、そのとおりなのであろうと思います。
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NHKアーカイブ (kakek)
2015-03-03 16:20:54
朱雀 さん
NHKのアーカイブにある戦前のインドネシアの16ミリフィルムは、ジャワの百貨店王と言われた、トコ千代田の社長、岡野繁蔵氏(故人)が撮影したものです。DVD(60分)にして32本あります。カラーがあったかどうかは記憶にありませんが、欧米では戦前からカラーフィルムはあったみたいですね。
日本軍政下では、外国からの輸入がスットプ、庶民のくらしは、蘭印時代のほうがよかったらしいです。特に衣料品が不足して困ったみたいです。
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