首都圏の盂蘭盆は新暦の7月15日前後である。大体は15日を挟んで
5日ぐらいではないだろうかー。東京では昔と違って家庭で盂蘭盆の
行事をする家庭がめっきり減った。したがって寺町の界隈でも行かない
限り、いまお盆であるかどうかわからない。
東京でも昭和30年代はじめ頃までは,ナスやキューリで精霊馬(牛)を
つくり、麻幹(オガラ)を焚いて迎え火(送り火)をしたものだった。
この期間、どこの家庭でも、仏壇には季節の果物や菓子を供え、夕方に
なると盆提灯に火がともるなど、なんとなく普段とは違う空気で、それが
夏休み前の一つの風物詩ともなっていた。
盂蘭盆の家庭での行事が東京の街から消えたのは、”列島改造”で各地
から東京に人が集まってきたのと関係がありそうだ。首都圏を除けば
盂蘭盆は一ヶ月遅れの8月に行われる。そして、この時期ほとんどの人が
故郷に帰ってお盆休みを楽しむ。新暦の7月にはお盆の行事はしない。
信仰心の薄くなった東京原人も、これにならって盂蘭盆の家庭での行事
をしなくなった。
日本伝来の行事だっただけに残念である。なんとか復活させたい。
”おしょろさん”といっても東京の子供たちにはわからなくなった。
5日ぐらいではないだろうかー。東京では昔と違って家庭で盂蘭盆の
行事をする家庭がめっきり減った。したがって寺町の界隈でも行かない
限り、いまお盆であるかどうかわからない。
東京でも昭和30年代はじめ頃までは,ナスやキューリで精霊馬(牛)を
つくり、麻幹(オガラ)を焚いて迎え火(送り火)をしたものだった。
この期間、どこの家庭でも、仏壇には季節の果物や菓子を供え、夕方に
なると盆提灯に火がともるなど、なんとなく普段とは違う空気で、それが
夏休み前の一つの風物詩ともなっていた。
盂蘭盆の家庭での行事が東京の街から消えたのは、”列島改造”で各地
から東京に人が集まってきたのと関係がありそうだ。首都圏を除けば
盂蘭盆は一ヶ月遅れの8月に行われる。そして、この時期ほとんどの人が
故郷に帰ってお盆休みを楽しむ。新暦の7月にはお盆の行事はしない。
信仰心の薄くなった東京原人も、これにならって盂蘭盆の家庭での行事
をしなくなった。
日本伝来の行事だっただけに残念である。なんとか復活させたい。
”おしょろさん”といっても東京の子供たちにはわからなくなった。
核家族化が進み各家庭で御先祖様を
お迎えする行事は 知らない世代へと
移行しています。
例えひと月遅れでも田舎に帰って
お墓参りをし、泣き御先祖に手を合わせることを、
寺としても頷いております。
いました。
”おじいちゃん家”に行くとありましたが、
私の親はそういう行事があまり好きでは
無かったんですね。
今思うと伝統文化が無くなっていく行為で
あったわけでさみしいことだと思い起こされます。
昔からの伝統は、次の世代に引き継ぎたい
ものです。その中から神仏への畏敬心が
生まれ、公徳心も育つと信じています。
戦後の一時期、昔のものはすべて悪、
という風潮がありましたね。僕もその一人
でしたが。