「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       (号外)大君に召されなば(1)-(4)今沢栄三郎

2013-04-15 14:43:18 | Weblog
外出日には小田急で、新宿に出て同年兵たちと武蔵野館やムーラン.ルージェの前を通り、その隣の「ジャスミン」という喫茶店で暫 憩いが楽しかった。ほてい屋(現在の伊勢丹)の並びの「白十字」で義兄の大前毅志郎とケーキを食べたことなどは、その後異国での夢枕に度々あらわれ懐かしい想い出の一コマとなった、
戦地へ行くことが決まったが、、戦地へ行くといっても死など少しも考えず、最後の外出日には家に帰り、母には直ぐ帰って来るよと気軽に別れを告げた。結核で療養中の当時、自由主義的な思想を持っていた妹の登喜子にも、軍隊生活が考えていたほど野蛮なところでもなく、兵営でも二.二六事件に参加した兵隊が愛唱したとう「ポーランド懐古」や「青年日本の歌」をきかせたが、、黙ってきてくれた。母と妹とは、この別れが最後となった。
兵隊は軍服も靴も自分の身体に合わせるのではなく、それらの被服の中に納まるように順応してゆかなくては成らない。個人が全体に統ベられるために個性を生かすか、全体に仕組まれていくのかは個性の意志の問題である。戦地行きが決まって、班内で待機しているとき、無記名による軍隊生活の感想文を書かされた。遺書の都合で書かせたのであろうが、兵隊たちにはそんな気持ちのひとかけらもなかったようだ。

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