「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

新憲法施行60年 あの頃のこと

2007-05-03 05:21:52 | Weblog
新憲法が施行されてから今年で60年である。きのうある新聞のコ
ラムに銀座4丁目の交差点でMP(米憲兵)が交通整理をしている
写真に関連、当時は目抜通りの交通整理さえ日本人の手で出来な
い状態だった、と書いていた。しかし、これは誤解を呼ぶ。同じ頃、
日本橋白木屋デパート(当時)前の交差点では日本の警察官が、き
ちんと交通整理をしていた写真が残っている。(石井光陽著「昭和 
の東京」朝日文庫)。銀座4丁目角には当時PX(米軍の店)があっ
て、ここだけは進駐軍が多く”特区”だった。

昭和22年5月3日、東京は雨だった。新憲法施行を祝う会場の皇居
前広場には雨にもかかわらず1万人を越す人が集まった。僕は旧制
中学5年(今の高校2年)だったが、残念ながら何故かこの日の記憶
がない。

手元に古ぼけた冊子がある。学校の部活動「地理歴史」班の創刊号
で、当時、謄写版印刷で発刊したものだ。内容は地理、歴史の研究
から時事評論まであるが、憲法施行直後の発刊なのに憲法については
ふれていない。部長の若い先生は、発刊に当たり次のような書出しで
原稿を寄せている。
「日本人はある一部の者の煽動によって神の子孫であり、世界の最優
秀民族だと吹聴されてきたが誤りである」

僕らはこの発刊した部誌を持って日比谷にあった進駐軍のオフィスへ
検閲を受けにいった。こんな中学生の雑誌にまで検閲が必要だった。
公園のあちこちに野球場やテニス場があって、進駐軍がプレイをして
いた。吉田内閣が辞任し、社会党の片山内閣が誕生した頃である。

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2 コメント

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「検閲」は徹底していたのですね (どこにでもいる一般人)
2007-05-03 09:58:55
「GHQは、あらゆる情報ソースの検閲体制を敷き、厳格な情報操作を行った。
単に大東亜戦争についてのみならず、
明治維新や日露戦争の意義を否定し、
欧米による植民地支配批判や東京裁判批判をも封じ込めるという一方的なものだった。」
だそうですね。
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GHQ  (kakek)
2007-05-03 15:32:53
どこにえもいる一般人 さん
知らぬうちにコントロールされていましたね。敗戦直後にNHKで放送された”戦争犯罪人はだれか”などまともな言論介入でした。面白くはなかった記憶があります。
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