「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           80代が多くなった昭和1ケタ世代

2013-02-16 07:53:14 | Weblog
馬齢を重ねて82歳の誕生日を迎えた。幸い持病の高血圧も糖尿も薬でコントロールされていて血液検査で見る限り正常値である。しかし、左膝の半月板摩耗からか外出時には杖のお世話になることが多くなってきた。誕生日を迎えての感想は月並みだが”冥土の旅の一里塚、うれしくもあり、うれしくもなし”(小林一茶)といったところだが、亡き父母の死亡時年齢に近くなったのだろう。”生きる”ことへの思いが深くなってきた。

昭和1ケタ世代もこの2,3年中には皆80歳の仲間入りする。学童疎開組み世代の石原慎太郎「維新の会」共同代表の学年まで80歳だ。ラジオを聞いていたら日本人の90%までが戦争の記憶がないそうだ。一方、これに反して直接銃を取って従軍した世代は、年々減少してきている。寂しい限りだが、先日、軍属として戦時中スラウェシにおられたKさんから、海軍の軍医だった佐藤衛大尉(故人)の自伝「雲騰う海」を贈って頂いた。海軍の短期現役制度(短現)出身の軍医さんで、戦争中は主として南太平洋、インドネシアのマカッサル、クーパンなどの病院で陸上勤務されいた方だ。

佐藤さんは大正7年生まれ鹿児島県出身の方。戦時中の自分の体験を克明に自伝で記されいるがその終章「戦争―経験―体験」の中で大正生れと昭和世代の世代感を述べられている。僕はこれに感じることがあったのでここで紹介させて貰う。
(大正世代)「自分たちの世代は明治以来の皇国政策から大正末期、昭和初期の自由主義、個人主義的な新教育、さらに太平洋戦争前の軍国的教育まで右に左揺れ動いて定見を持つに至らなかったが、戦争に行かねばならないことは、素直に疑わなかった」
(昭和1ケタ世代)「戦争がエスカレートする中に国民学校教育を受けた、いわゆる戦中派は敗戦のショックが最も激しく若い根幹をブツリと絶たれ動揺も大きかったが、若さによる復元力も強く、戦後の社会の新しい生き方をたくましく選んで今日の日本の原動力となった」

最新の画像もっと見る

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
メールしましたが (kakek)
2013-07-11 05:26:23
丸谷元人 様
ご連絡がなく不審に思っていたところでした。新しい所へメールしました。
当方のアドレス katowarta@ybb.ne.jp です。
返信する
再送をお願い出来ますでしょうか? (丸谷 元人)
2013-07-11 00:35:41
管理人様

先日は早速のご対応をいただき、真に有難うございました。メールを頂いたとの事ですが、残念ながらこちらにはまだ届いておりません。もしかしたら、何らかの理由ではねられたかも知れません。もしよろしければ、以下の別のアカウントに再送をお願い出来ますでしょうか?

marutani@pb3.so-net.ne.jp

お忙しい中、大変申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。

尚、小生、新刊の紹介のため、本日チャンネル桜に出演をいたしました。7月11日の夜以降、YouTubeでもご覧頂けます。私のブログ(http://blog.livedoor.jp/raspi2012)でも紹介いたしますので、またご覧頂けましたら幸いです。

どうぞ、宜しくお願い申し上げます。

丸谷 元人 拝
返信する
お手伝いします (kakek)
2013-07-05 17:47:04
丸谷元人 様
お手伝いします。メールをお送りしました。
返信する
元兵士の方々を探しております。 (丸谷元人)
2013-07-05 17:10:08
突然のメールで失礼いたします。私は、ジャーナリストとして南太平洋問題に関する本や記事を書いております丸谷元人(まるたにはじめ)と申します。『大東亜戦闘とインドネシア』を拝読し、メールを差し上げました。

現在、オーストラリア国営放送の取材班が、チモールやボルネオにおいて、現地人をスパイに仕上げて活動させ、時に日本軍を襲った濠洲軍の活動に関するドキュメンタリー番組を制作しており、元日本兵の方でそのようなご経験を有する方を探しております。そこで、もしそのような方がおられましたら、是非ご紹介いただきたいと思い、ご連絡申し上げました。

私はこれまで、オーストラリアのテレビ局や研究者らに対するその種の手伝いを行って参りましたが、時に彼らの中には、大戦当時のプロパガンダが抜けないままの認識の人もおりました。

今回の調査に関してても、後藤教授や倉沢教授などが「第一人者」だと聞いていたのですが、いくつかの本や資料を読むうちに、これは大変な間違いを犯す事になると思い、アプローチを諦めた経緯がございます。

一方、今回の取材班の目的は、日本軍兵士が当時原住民のスパイ活動をどう感じしていて、実際の日本側の被害はどうだったのか、というところに集約されておりますので問題ございませんが、私自身も大変に気をつけて取材支援を選んでおります。

そこで、もしボルネオやチモールにおいて、原住民との戦闘を見聞したり、濠洲軍の活動に関する話を知っておられる方がおられましたら、是非にでもご紹介いただきたく連絡申し上げた次第でございます。私の電子メールは、hajimaru1224@gmail.com でございます。

突然のお願いで大変に恐縮なのでございますが、ご一考を頂けましたらこれに勝る喜びはございません。何卒、宜しくお願い申し上げます。

丸谷 元人 拝
返信する
隠居のひまつぶし (大正生まれ)
2013-02-18 13:31:38
コンニチハ 例によりヒマツブシです。
家内と娘ども、土曜日から二泊三日の房総ドライブとか、今日、帰宅しますので、留守中のゴミの大掃除、風呂掃除と全身運動やってました。
家内も80歳になり、免許証返納かと思いきや、新車を買ったのには言葉も御座いませんよ。
さて、小生のBLOGのURLは下記の通りです、デジカメで撮った写真日記みたいなもんです。
http://bup7.blog37.fc2.com/
右側に自分のサイト、友人のサイトが「リンク集」になってますが、イロイロで、小生自身のインドネシア関係も何処かに入ってますので。
暇つぶしでもやってお楽しみ頂ければ幸甚であります。  敬具
返信する
年金 (kakek)
2013-02-18 11:19:26
大正生れ さん
僕の場合の年金誤記載は、昭和56年、3か月勤務した会社の年金記録が欠落し、逆に名前も聞いたこともない金融会社から1か月支払った記録が記載しております。2年前、これを年金機構に指摘しましたが、回答は金融会社が倒産して所在不明とのこと。僕の年金全体からみれば大勢に影響がないので、今回再度「確認」の葉書がきましたがそのままにします。大正生れさんみたいなケースもあるのですね。
「大正生れさん」のHP(ブログ)拝見する方法を教えてください。
返信する
年金記録 (大正生まれ)
2013-02-17 20:27:03
前略
一か月くらい前に「年金機構」と言うところからオレンジ色の封書が来ました。
内容は年金記録を紙台帳からコンピューターに移行する際、間違えたんで「回答書を送れ」と言うことでした。
「ア」または「イ」
アは年金記録を訂正して呉れ
イは訂正する必要はない
だそうです。
コンピュータ記録が紙台帳より少ないのに「イ」にするわけはない。
勿論「ア」でお願いしましたが。
試算によると年金額5,000円ほど増えるそうです。
其の約30年分だと、結構良いお小遣いになると喜んでますが、精算には数か月かかるそうであります。
経験者に依ると、其のン十年分の税金が、年数分の紙が束になって郵送されて来るそうですよ。
さて、閑話休題
小生のBLOGのURL載せました。
リンク集の中の「隠居のひまつぶし」に
kakek様の”「老人タイムス」私説”もお許しも受けずに入れてますので、お許し下さい。
お気に触れば、即削除させて頂きますので、お伺いと、ご挨拶まで。
左下の「メロウ倶楽部」と言う遊び場は、結構暇つぶしになりますので、ご参考までに。    敬具 
返信する
失われたバブル期10年 (kakek)
2013-02-17 17:25:31
lordyupa さん
コメント有難うございます。バブル期からその崩壊に至る約10年は、今考えると僕にとっては自分の老後に備えた
”充電期”であったような気がします。民放テレビを50歳で辞めて、年収半分以下のJICAの嘱託の仕事につきました。まったく異なった仕事でしたが、時間があり長期間海外旅行に出かける機会に恵まれました。民放で仕事を続けて定年を迎えたら、今のように老後を”楽しむ”ことはできなかったと思います。
しかし、この結果といってもよいかもしれませんが、マスコミで養われてきた国際情勢を見る目が失われてしまいました。考えると、この10年は東西冷戦が終結し、ソ連体制が崩壊、一方では中国の文革後の社会情勢の変化、途上国の台頭など急激な変化がありましたが、その10年間がぽっくり僕にっは空白になっています。JICAの仕事で語学がブラッシュ.アップされ、まったく知らなかった分野の知識識が広まったり、研修に同行して日本全国旅行できたりしたプラス面もありましたがー。
今、時間はありあまるほどあります。これから失われた10年間を自分なりに検証してみたいです。
返信する
東西冷戦という福音が終わった (lordyupa)
2013-02-17 16:17:28
ブロガー殿、長いコメントで申し訳ありませせん。

私も、長年kakekさんと同じように、「日本のバブル(国内問題)が諸悪の根源」と考えていましたが、十年前に先輩から以下のように指摘され、自分自身でも、あれこれ調査し、思案した結果、やはり1990年代以降、共産主義国家の連鎖的崩壊が原因となり起こった国境を越えてカネ、モノ、ヒト、情報が動き回る『グローバル経済競争』こそが、先進国での貧富拡大の根源だと考えるに至りました。ひとことで言えば、成熟した先進国での「カネ余り」(過剰な国債発行など)、新興国での「ヒト余り」(間接的な貧困の先進国への輸出)であり、敗戦後の日本の高度経済成長を支えた「加工貿易立国」時代の終わりです。

ブロガーが書かれたように、昭和一桁世代の頑張りで、敗戦直後から1970年代までの高度経済成長を進めてきて経済的大成功となりましたが、chobimameさんのいわれるように、GHQにより去勢された「和魂なき国家」であったので、「一億総白痴」化した社会を産み出しました。オイルショック以降も、経済の低成長率時代に突入したものの、1990年代までは、蓄積した技術と資本とで乗り切り、kakekさんの嫌われる団塊の世代らに引き継がれた頑張りで、Japan as No.1とまで言われまでに至りました。ところが1990年代に入ると、経済が飽和した日本国内に健全で有望な投資先がなくなり、日本の金融機関(保険会社・銀行)は、土地不動産・株式などに流れ込むように投資し、熱に浮かれたようにメディアも国民に投資を煽りました。このバブルの時期と偶々同じ頃、共産主義国家群が崩壊し、グローバルに一物一価の市場が登場。1990年代以降には、円高などを理由に、生産工場のアジア(とくに、中国)移転が進み、中流階層の基盤となる工場労働者(特に、地方での)が雇用を失い、国内には非正規労働者がどんどん増えるようになりました。圧倒的に不足する地方の雇用を増やすため、1990年以降、ムダな公共投資(ほとんどが赤字事業)を二十年にわたり国債で補い、工場アジア移転により減少する地方税収は、地方交付税で、帳尻だけをあわせてきました。仕事と年収が、日本人(特に中流階層、地方)からアジア(特に、中国)の労働者へと奪われたというのが核心にあると思います。

私は左翼とか進歩的文化人が大嫌いですが、皮肉にも、敗戦以降の日本の奇跡的経済発展と総中流化とは、実は、「風が吹けば桶屋が儲かる」のように、日本にとって、共産主義(東西冷戦対立)こそがもたらしてくれた最大の福音だったように思います。
④ 植民地をもたなくても、原料・エネルギ資源を自由に調達購買できる
(戦後、米国の世界覇権による自由貿易環境が現れた。戦前のABCD包囲網とは全く正反対の条件)
⑤ 敗戦后の日本の輸出競争相手の候補途上国は、共産主義に染まってくれたため、国民が貧困を共有して成長しない共産主義国家、いわば、貧困を国内へと囲い込む国々であった(韓国は分裂して、北朝鮮との戦争で疲弊、軍事独裁が長引く。中国は、毛沢東の文化大革命と大躍進のおかげで、完全停滞)。敗戦後の高度経済成長期には、日本の一人勝ちの局面を迎えた。
⑥ 共産主義的な労働者側の要求が、先進国の政府や資本・経営陣に不承不承で受け入れられため、先進国の労働者は大いに得をした。東西冷戦が起こることで、先進国で共産主義革命が勃発して東側に有利となっては困るということで、労働組合、職場の安全・衛生、社会保障(失業保険、健康保険、年金など)、生活保護、公害環境の改善などなどが、暴力革命なしに認められるようになった。日本では、意図はなかったと思えるが、GHQが推進した累進課税のような左翼的な発想の税制度が進められたので、経済成長につれて中流階級層の出現に大きく貢献した。
・・一方で、共産主義国の労働者では、独裁している共産党員エリートのみが、待遇がよく、大半の国民は貧困のまま、貧弱な社会保障のまま据え置きで、踏んだり蹴ったり状態。

東西冷戦の終結とともに、これらの福音が、日本でも消滅し、格差の拡大が進展。日本では、年次別・一括採用の労働慣習が戦後確立したため、雇用の流動性が少ない、そのため、若者の世代内経済格差(非正規社員など)が、人生の数十年もの長きにわたって、解消されないまま持続する。
阿部政権になって、円安が進んでいるが、経団連の悲鳴などにめげず、是非堅持してほしい。国内工場のアジア移転を、ぜひ、抑制してほしい。

返信する
お元気何よりです (kakek)
2013-02-17 10:02:35
大正生れ さん
お元気で何よりです。お元気なのは社会参加されているからだですね。肉体の老化は仕方がありませんね。70代には毎日5000歩、朝のラジオ体操にも参加していましたがー。一昨年はスポーツクラブ通いをしましたが、極度のアンチエージングが裏目に出てしまいました。難しいものです。
役所からの書類は老人泣かせです。たしかに一貫性に欠けています。先日、年金機構から、過去の年金に問題があれば、連絡をという葉書が来ましたが、数年前これについて返事をしたのに、どうなっているのでしょう。
返信する
杖を突く (大正生まれ)
2013-02-16 20:32:43
一応、大正生まれ(T14)ですが、一昨年くらいから、よく転倒するようになりました。
一昨年は家の食堂で椅子に躓き転倒、椅子の角に左胸を強打、肋骨骨折、全治に二ケ月。
去年は近所を散歩中、段差で転倒、左肩強打、全治一か月、二週間前、パソコン部屋で椅子から立ち上がった瞬間、滑り背中(心臓の裏側)を机の角に強打、これは、痛み目下進行中。
と、言うわけで、外出には杖を突いて歩くようになりましたが、急に老化現象が出たミタイ。
80は初老、85は中老、88はもう完老ですね。
でも、今日は近所の集会所で麻雀大会、リャンチャンとも大勝、麻雀の方は未だボケテナイミタイ。
囲碁はネットで無料対決でやってますが、進歩なし。 無駄話でした。
別の話
「市・県民税申告書」って言うのが、初めて送られて来ました。
年金者の確定申告はやらなぅて良いと言うことで去年からやってませんが、数日前、上記の書類の提出の文書が市役所から来ました。
市役所にメールで問い合わせたら、”貴殿の場合は年金の方から明細が来ているので必要ない”とのことでしたが、必要のないものを何故送って来るのかって訊いたら、ご返事は頂けませんでした。
此の”市民税・県民税申告書”紙質は薄くてペラペラ、説明書は分かり難く、「確定申告」をネットでやらせて貰った方が楽と言った内容でした。
以上、蛇足でした。
返信する
バブル期の負の遺産 (kakek)
2013-02-16 17:53:29
chobimame さん
バブル期(昭和61年12月―平成3年2月)のフワフワした時代が、精神的におかしくしたような気がしてなりません。働かなくても、おカネが入ってくるという幻覚が、日本人を悪くしたのではないでしょうか。僕個人的には、61年4月で55歳の定年を迎えた世代でバブルの恩恵はあまり受けておらず、逆に転職して”汗水たらして”働いて時代でした。
そのおかげで65歳まで仕事を続けることができましたが。
バブルの破壊で社会に格差が生じたのが最大の負の遺産です。
返信する
Unknown (chobimame)
2013-02-16 16:05:08
明治から昭和までは、戦争続きだったので大変だったと思います。
大正などは、戦争もある中で大正ロマンが開花した時代でもあり、女性の新しい生き方なども出てきましたが、昭和の戦争でガラッと国が変わりました。激動ですね。
戦後、活力のあった昭和40年代以降は、なんだかのっぺりした時代になり、誰かが日本人総白痴化と称しましたが、まさにそれです。今は思想も何もありません。ただただ白痴のような世代です。
返信する

コメントを投稿