歳をかさねると、季節の移り変わりが早く感じるのだろうか。昨日週一回のリハビリに施設の送迎車で近所のパーシモン.ホール横を通ったら、先週までは緑色していた銀杏並木が見事に黄葉していた。地名(柿の木坂=パーシモン)からきている、このホールは高台にあり陽の当たりがよいのか黄葉が早い。その梢ごしに遠く富士の”霊峰”が眺められた。
思えば11月も後半である。わが家にも季節の喪中葉書が毎日届くようになった。喪中につき、賀状は欠礼するという知らせである。この喪中葉書の中に生前賀状を交換していたご本人が直接亡くなられご遺族から訃報に接するケースが最近多くなってきた。僕個人としてはこの傾向はあまり賛成ではない。葬儀に参加するかどうかは別として、賀状を交換していた仲なら、訃報は早く知り、生前の交誼に感謝して合掌したいからだ。
昨日、昼前のNHK総合テレビの情報番組で最近の葬儀の簡素化を特集していた。時代の要望なのか昔のように大勢の方に参加して頂く葬儀はなくなり、親族だけの家族葬が多くなってきた。昭和51年、亡母が札幌で亡くったときは、僕の勤めの関係もあって新聞広告に名前が載り式のあったお寺の門前には,造花が列をなした。感謝の気持ちだったが、家族が葬儀に参加している留守宅に賊が入り小銭を盗まれた。
その時の関係もあり、僕も葬儀の簡素化には賛成である。しかし、訃報を「喪中葉書」で代行する最近のしきたりには首を傾げる。毎年、賀状を交換している仲なら、葉書でよい。遺族はできるだけ早く訃報を知らせるのが生前の交誼の最後のあかしだと思うのが。JP郵便局は訃報用の特別葉書を用意したらどんなものか。