最近「戦前昭和」という言葉をよく耳にする。講談社現代新書の「戦前昭和の社会」(井上寿一著)からきているようだが、僕はまさにこの時代の”申し子”みたいな世代だと思う。この時代は厳密に言えば、昭和元年(1926年)から二十年(1945年)だが、一般的には大東亜戦争が勃発した十六年以前の時代を指している。
本の副題には”暗い時代の明るい生活”とあるが、子供だった僕にはあまり暗かった記憶はない。昭和6年2月生まれの僕だが、同じ年の6月には満州事変が始まり翌年には上海事変(第一次)そして小学校に入学した12年の7月には支那事変が始まった。事変とはお互いに宣戦布告なしの戦いだそうだが、そのためなのだろうか、社会生活の面で”戦争をしている”意識は感じられなかった。
昨日は節分で初午。何故か僕は「戦前昭和」の時代を思い出した。家族全員がそろって誰かまわぬ大声をあげてした豆まき。初午には近所の”おいなりさん”で行われた行事。大人たちが祭袢纏を着て太鼓をたたき、集まった子供たちに温かい甘酒をふるまった。わが家では節分には”五目御飯”を作り重箱に詰めて、隣近所に配った。干瓢(かんぴょう)ピンク色したデンブ、紅色の生姜、インゲン、ハスなどの野菜をあしらったお酢の御飯だ。
バレンタインなどなかったが、デパートの売り場には動物の形をした大小のチョコレートが売られていた。子供のお小遣いでは買えなかったが、駄菓子屋には子供にはもっと魅力的な金華糖が売られていたし、子供向けの”お好み焼き”(ドンドン焼)も食べられた。”季節がもう少し進むと近くの原っぱには、土筆(つくし)が芽を出し、ヨモギも摘めて家で草餅を作ってもらえた。たしかに明るい生活があった。大東亜戦争がはじまり、この明るい生活は急坂を転がり落ちるようにして、ついには地獄の時代と変わった。
本の副題には”暗い時代の明るい生活”とあるが、子供だった僕にはあまり暗かった記憶はない。昭和6年2月生まれの僕だが、同じ年の6月には満州事変が始まり翌年には上海事変(第一次)そして小学校に入学した12年の7月には支那事変が始まった。事変とはお互いに宣戦布告なしの戦いだそうだが、そのためなのだろうか、社会生活の面で”戦争をしている”意識は感じられなかった。
昨日は節分で初午。何故か僕は「戦前昭和」の時代を思い出した。家族全員がそろって誰かまわぬ大声をあげてした豆まき。初午には近所の”おいなりさん”で行われた行事。大人たちが祭袢纏を着て太鼓をたたき、集まった子供たちに温かい甘酒をふるまった。わが家では節分には”五目御飯”を作り重箱に詰めて、隣近所に配った。干瓢(かんぴょう)ピンク色したデンブ、紅色の生姜、インゲン、ハスなどの野菜をあしらったお酢の御飯だ。
バレンタインなどなかったが、デパートの売り場には動物の形をした大小のチョコレートが売られていた。子供のお小遣いでは買えなかったが、駄菓子屋には子供にはもっと魅力的な金華糖が売られていたし、子供向けの”お好み焼き”(ドンドン焼)も食べられた。”季節がもう少し進むと近くの原っぱには、土筆(つくし)が芽を出し、ヨモギも摘めて家で草餅を作ってもらえた。たしかに明るい生活があった。大東亜戦争がはじまり、この明るい生活は急坂を転がり落ちるようにして、ついには地獄の時代と変わった。
今の社会は、子供たちが外で遊ぶこともなくなり、家族も同じ家にいてもバラバラ、動けばお金がかかり、お金がなくてはレジャーも成り立たない。お金が優先される世の中になってから、人間関係が希薄になり、人間関係に司法が介入することも多く、人との付き合いにいらぬ神経を使う状態です。どういう世の中になってしまったのでしょうか?
殺伐さを感じるからこそ戦前の生活に憧れたり、昭和30年代の生活がクローズアップされたりするのでしょうね。
そういえば、オールウェイズ3丁目の夕日が映画館で放映中ですね。東京オリンピックの感動を知らない世代なので、映画の内容に興味があるのですが、なかなか観にいけません。
昭和恐慌からから戦争へと向かう時代でした。2.26事件などあり、決して落ち着いた時代ではなかったのですが、社会に一応の秩序があったみたいな気がします。子供だったのでしょうか。
勝ち戦で会った昭和17年までは、曲がりなりにも食料も衣類もあり「戦前昭和」の空気でしたが、18年になって一挙におかしくなりました。やはり理由は何であれ、戦争は愚行ですね。
数年前”3丁目の夕日”を見ました。東京タワーがバックとしてよく描かれいました。当時は安サラリーマンのくせに、よく飲んでいました。仕事も夢中にしていた気がします。