認知症による徘徊が原因で電車事故を起こし鉄道会社に損害を与えたとし、91歳の夫を見守る責任があったと85歳の妻が監督不十分で359万円の賠償を、JR東海へ支払えと名古屋高裁が下級審の判決を支持した判決を言い渡した。超高齢者社会であり、僕自身も伴侶の老妻も80歳を越える高齢、いつ認知症になるかもしれない。これに対して、日本の社会の認知症対策はどうなのか。警察庁の調査では全国で9607人の認知症老人の行方が判らないという(平成24年度)恐るべき数字だ。
厚労省の統計によると、日本人の65歳以上の年寄りの認知症有病率は推定で15%とみられ平成24年度の患者数は287万人である。この数字は20年前に比べて約6倍だとのこと。また別の厚労省の推計では、2025年には患者数は400万人を越え、高齢者の4人に1人は認知症だという。考えるだけでもぞーつとする。
認知症が日本の社会で表面化してきたのは、1972年(昭和42年)有吉佐和子の小説「恍惚の人」がベストセラーになり、映画化された時代である。以前からお年寄りのボケはあったが、数は少なく、また周囲の暖かく見守る目もあった。戦前子供であった頃、元治元年生まれの母方の祖母がボケが始まり徘徊を始めたが、戦前は東京でも本家を中心に周囲に親戚の家が多くあり、行き届いた介護が出来ていた。
「恍惚の人」の主人公はほぼ僕と同じ年齢の84歳だが、妻に先立たれ、それが引き金になってボケが始まり徘徊しだした。小説はこの老人を勤めももちながら介護する息子嫁の話を中心とした家族の人間像だが、今の認知症に相通ずるものがある。標題の「恍惚の人」は日本外史に出てくる戦国大名、三好長慶の”老いて病み恍惚として人を知らず”からとったものだという。
認知症患者本人が”恍惚の人”と感じているかどうかは知らない。しかし、長い人生を歩んできた人生の先輩である。”恍惚として人を知らない”状態での事故である。また、その”恍惚の人”を見守れといっても、社会全体のバックアップ体制が出来ていないのが現実である。無情な判決と言われても仕方がない。
厚労省の統計によると、日本人の65歳以上の年寄りの認知症有病率は推定で15%とみられ平成24年度の患者数は287万人である。この数字は20年前に比べて約6倍だとのこと。また別の厚労省の推計では、2025年には患者数は400万人を越え、高齢者の4人に1人は認知症だという。考えるだけでもぞーつとする。
認知症が日本の社会で表面化してきたのは、1972年(昭和42年)有吉佐和子の小説「恍惚の人」がベストセラーになり、映画化された時代である。以前からお年寄りのボケはあったが、数は少なく、また周囲の暖かく見守る目もあった。戦前子供であった頃、元治元年生まれの母方の祖母がボケが始まり徘徊を始めたが、戦前は東京でも本家を中心に周囲に親戚の家が多くあり、行き届いた介護が出来ていた。
「恍惚の人」の主人公はほぼ僕と同じ年齢の84歳だが、妻に先立たれ、それが引き金になってボケが始まり徘徊しだした。小説はこの老人を勤めももちながら介護する息子嫁の話を中心とした家族の人間像だが、今の認知症に相通ずるものがある。標題の「恍惚の人」は日本外史に出てくる戦国大名、三好長慶の”老いて病み恍惚として人を知らず”からとったものだという。
認知症患者本人が”恍惚の人”と感じているかどうかは知らない。しかし、長い人生を歩んできた人生の先輩である。”恍惚として人を知らない”状態での事故である。また、その”恍惚の人”を見守れといっても、社会全体のバックアップ体制が出来ていないのが現実である。無情な判決と言われても仕方がない。