「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”聖職”意識がなくなった教師

2014-04-13 06:09:46 | Weblog
埼玉県の50代の女性教師が自分の長男の高校入学式に出るため、担任している学校のクラスの入学式に出なかったという。女性教師はあらかじめ学校に対して”やむをえない事情”により出席できないと、届け出を出していたそうだが、果たして、自分の子供の入学式出席が”やむをえな事情”であるかどうか、古い世代の僕には疑問だ。

先日、孫の大学入学式に娘婿夫婦も、仕事を早引きして出席した。会場が狭く一杯で、遅く行った二人は会場の外でビデオを見ながら式に参加したという。大学の入学式にまで親が参加するという習慣は昔はなかった。60年前、僕が入学した当時は、戦後の焼け跡が残っていた頃で、親は食べるのに精いっぱいだったのか、そんな余裕がなかった。僕らも親が式に参加することに対して恥ずかしく抵抗もあった。

戦前、学校の先生は社会から聖職視され、卒業式には”仰げば尊しわが師の恩”と歌われた。教室の中にも一段高く教壇があった。先生は日常的にも服装にも気を付け、背広にネクタイを着用していた(戦争中は国民服であったが)。ところが、戦後、父親参観などで学校へでかけると、先生の中には体操の時間でもないのに、ジャージ姿なのに驚かされた。どうも、これは戦後の”民主主義”の影響ではないだろうか。戦後、大学で米国人教師が机に腰かけて教える姿をみて、びっくりしたのを今でも覚えている。

母親であり、自分の子供の入学式に出たい気持ちは好く理解できる。しかし、自分が教師である自覚がなかったのだろうか。まして聖職意識などなかったに違いない。古いといわれるかもしれないが、やはり先生は学校内では、きちんとした服装で、子供たちから尊敬される人であって欲しいものだ。